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盤上の駒

 朝食を終えた市原は、美咲を見つけると急ぎ足で歩み寄った。もちろん彼女から昨夜の話を聞きたかったからだ。


「あ、市原じゃん。おはよう」

「おはよう。昨夜はどうだった? 上手くいった?」

「それがさあ、聞いてよ。上手くいったはいったんだけどさぁ……」

 

 美咲は楽しくて仕方がないといった口調で、昨晩あった出来事の顛末を市原に話した。

 

「へぇ、そんなことがあったんだ」

「もう、ふたりともホント真っ赤になっちゃって、反応がウブでおもしろかったよ。市原にも見せたかったなぁ」

 

 美咲はケラケラと可笑しそうに笑った。

 話を聞く限りでは、計画は成功したようだなと市原は思った。ただし、予期せぬアクシデントがあったらしい。

 

(まあ、目的は果たせたわけだし、アクシデントは些細なことか……)

 

 彼の脳裏には、昨夜渡辺が見せた、あの泣き出しそうな顔が浮かんでいた。

 

(……ホントにこれで、よかったのかな?)

 

 いまさらながら湧き上がる、わずかな罪悪感。昨日の自分は感情的になり過ぎていたのではないかという不安。

 

「なに浮かない顔してんのよ。計画は大成功だったでしょ?」

「……そうだね。でも、ちょっとやりすぎたかもしれないなって」

「やりすぎ?  何がよ。それより、問題はこれからなんだからね」

「これから? なんの話?」

「見てなさいよ、市原。これからあの3人に何が起こっていくか」

「……どういうこと?」

「いい? 昨夜の一件で、川島は間違いなくまた志保を意識し始めてるよ。そして焦りだすの。藤原に志保を取られちゃう、ってね。そうなった時、藤原がどう動くと思う?」

「……」

「そうなったら藤原は、もう今みたいにただの優しい人じゃいられないよ。川島の嫉妬を、真正面から受け止めることになるんだから。どう? 面白くなってきたと思わない?」

 

 まるでチェスの盤面を見つめるかのような、その冷徹で、しかしどこか楽しげな美咲の瞳。

 

「えっ、ちょっと待って。江藤さん、もしかして、そこまで考えて僕の計画に乗ったの?」

「当たり前じゃない。アタシが、ただ面白そうだからって理由だけで動くわけないでしょ」

 

 市原は、自分が大きな思い違いをしていたことに気づいた。

 彼は美咲を利用したつもりだったが、とんでもない勘違いだった。


(僕は、逆に利用される側だったんだ……)


 そう気づいた途端、彼は目の前の少女の底知れない恐ろしさに、背筋が寒くなるのを感じた。


「いい、市原。これはね、テストなのよ。志保にふさわしい男かどうかを見極めるためのね」

「テスト?」

「アタシはね、市原。志保が幸せになれるなら、ぶっちゃけ相手が誰でもかまわないのよ」

「相手が今の川島でも?」

「今の川島じゃ全然ダメね。話にならないもの。でも、もし昨日のことがキッカケになって、アイツが自分の本当の気持ちに気づいたっていうなら、それで志保を大切にしてくれるならアタシは喜んで背中を押すよ」

「藤原くんに対しても不満があるわけ?」

「今は無いよ。今の藤原は完璧に近いもの。でもさ、アイツだって、いざ付き合ってみたらただ優しいだけの男かもしれないじゃない? そんな男に志保は、やっぱり任せられないもん」

 

 もちろん志保の気持ちが第一だけどね、と付け加えることを美咲は忘れない。

 

「……江藤さん……なんでそこまで槇原さんのことを……」

「なんでもなにもないよ。アタシは志保の親友だし、あのコには絶対幸せになって欲しいの。あんな良いコが不幸な世界なんて間違ってるから、だから間違ってる世界ならアタシが正してやるって思ってる。ただ、それだけよ」

「ただそれだけって……」


 背筋が寒くなるどころの話ではない。市原は戦慄に近い感覚を初めて知った。

 目の前のこの少女は、親友の幸せのためなら悪魔とでも契約するだろう。

 いや、それどころか、平気で自分自身が悪魔にさえなるに違いない。


 ――僕は、その悪魔に手を貸してしまったんだ。

 


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