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決勝戦の選択

 決勝戦の相手は、市原慎司のクラスとなった。

 春のソフトボールに続き、秋のバスケでも二人は決勝の舞台で相対することになったのだ。

 

 だが体育館に満ちる熱気とは裏腹に、二人の胸にあの春のような心躍る高揚感は、もはや欠片もなかった。あるのはただ、凍てつくような緊張と、決して交わることのないそれぞれの想いだけだ。


 試合開始直前、体育館につながる渡り廊下で良樹と市原は偶然すれ違った。

 

「……手加減すんなよな」

 

 先に口を開いたのは良樹だった。

 その声には相手を挑発するような響きはなく、どこか自分自身に言い聞かせているように市原には思えた。

 市原は、一瞬だけ足を止めた。

 目の前に立つ男は、彼が知っている「川島良樹」ではない。焦りと苛立ちと、そしてどうしようもない孤独でその身を鎧のように固くしている、見知らぬ誰かだ。

 春の大会で、満面の笑みを浮かべながら拳を高々と突き上げたあのヒーローの面影など、もうどこにもない。

 

「……当たり前だろ」

 

 市原の声は、静かで冷たかった。

 

「川島こそ、少しは周りを見たらどうなんだ?  コートに立ってるのは、オマエ一人じゃない。オマエはチームメイトたちの顔を、ちゃんと見てるのかい?」

「……言ってろよ。最後に勝つのは、俺だ」

 

 勝つのは俺たちだ、ではなく「俺だ」と良樹は言った。その言葉を聞いて、市原の心の底から落胆した。

 

(……そうかよ)

 

 もう、何も言うことはない。

 市原は内心で、深く、深くため息をついた。初戦であれほどの醜態をさらし、チームメイトから総スカンを食らっても、まだ何もわかっていないのか。

 

(なんで、気づかないんだよ、この鈍感バカが……)


 市原は込み上げてくる怒りで、奥歯をギリリと噛み締めた。

 そして同時に感じる、どうしようもない虚しさ。

 市原は良樹に背を向けると、吐き捨てるように言った。

 

「……せいぜい一人で頑張れよ。元ヒーローさん」

 

 その痛烈な皮肉の言葉だけを置き土産に、市原は決勝のコートへと歩き出していった。

 


 コートに立ち、ボールの感触を確かめながら、良樹はぐるりと観客たちを見回した。

 無数の顔、顔、顔。

 その中に志保の姿を探そうとして、すぐに自嘲気味に首を振った。

 脳裏に、春のソフトボール大会の記憶が、鮮やかな残像となって蘇る。

 乾いた土の匂い。突き抜けるような青空。カキーンという、軽快な金属音。そして、バックネット裏から聞こえた志保の「よしくーん! 頑張ってー!」という声。

 たくさんの声援に混じっているはずなのに、なぜかあの声だけは、クリアに、真っ直ぐに自分の耳へ届いた。


 ――見てろよ志保。絶対に打つからな。


 あの時の全身が燃えるような高揚感。無敵感。

 世界が全て自分のために回っているような、あの感覚を今もハッキリ良樹は覚えている。

 

 ひるがえって、今。

 

 鼻をつくのは、体育館特有の汗とワックスの混じった匂い。耳に響くのは、天井に反響する雑多な応援の声とシューズの軋む音。

 

「川島くーん! 頑張ってー!」

 

 渡辺の、甲高い声援が聞こえる。

 大好きなカノジョが、自分のためだけに送ってくれる、特別な声援。

 嬉しいはずだ。力になるはずだ。なのに。

 

(……なんでだ? どうしてなんだよ)

 

 その声は、春に聞いた志保の声のようには良樹の心の中心まで届かない。

 まるで厚い壁を隔てた向こう側から聞こえてくるように、どこか遠く、そしてぼやけて聞こえる。

 

(カノジョが応援してくれてんのに……全然、気分が上がんねえ……)

 

 わからない。自分でも、わけがわからない。

 

(あの時と……何が違うんだよ!)

 

 ただ一つ確かなのは、春の大会で自分の全身を駆け巡った、あの魔法のような力は、今の自分にはもう宿っていないということだけだった。


 ピーッ!


 試合開始を告げる、無情なホイッスルが体育館に鳴り響いた。


 

 試合が始まると市原は、ディフェンスの要として徹底的に良樹をマークした。

 藤原が回したパスから、良樹は何度も強引に突破を仕掛けシュートを繰り出すが、どれもことごとく市原の厚い壁に阻まれて失敗に終わる。

 

「オマエのバスケは、独りよがりなんだよ」

 

 市原はプレー中にもかかわらず厳しい言葉を良樹に投げかける。

 

「なんだと!」

「誰にもパスしないで全部自分で決めに来るってわかってるなら、守るのも楽だってことだよ。そんなことも忘れちゃったのかよ」

「うるせぇよ!」

 

 良樹はますます焦り、視野が狭くなり、独りよがりなプレーに拍車がかかる。


 

(マズいな。川島くんと市原くん抜きの4対4か。これじゃこっちの分が悪いぞ)

 

 今までの試合を見た限りでは、5対5なら互角だが、4対4では向こうの方が上だと藤原は考えていた。

 

(やっぱり、なんとかして川島くんに決めてもらわないと勝てないぞ)

 

 藤原は必死でリバウンドを拾い、ルーズボールに飛びつき、チームを繋ぎ止めようと奮闘する。チームメイトを叱咤激励し、自らゴールを決め、良樹に何度もパスを回す。まさに八面六臂の大活躍だ。

 彼のその献身的なプレーに、他のチームメイトたちも少しずつ心を動かされていく。だが球技大会の試合時間は短い。残り時間はもう少なかった。


 渡辺は良樹に向けて懸命に声援を送る。

 

 「頑張って、川島くん!」

 「負けないで!」

 

 しかしその声援は、空回りしている良樹には、もはやプレッシャーにしか感じられない。

 


 試合終了間際、良樹たちは1点ビハインド。残り時間から考えて、おそらく最後のプレーだった。

 ボールを持ったのは藤原だったが、目の前には相手ディフェンスがガッチリ壁を作っている。

 

「こっちだ!」

 

 この時、一瞬市原のマークを外してフリーになった良樹が叫んだ。今パスを出せば、位置的に良樹なら3ポイントシュートを決められるだろう。そうすれば逆転した瞬間に試合終了だ。

 

(どうする……)

 

 しかし、藤原は良樹にパスを出さなかった。

 彼は相手が良樹に気を取られたその一瞬に、良樹とは逆サイドでフリーになったチームメイトへ渾身のパスを出した。彼もまた3ポイントシュートを決められる位置にいたからだ。

 パスを受けたチームメイトのシュート。だが、それは無情にもリングに嫌われた。


 ピーッ!


 試合終了の笛が鳴った。あと一歩及ばなかった。

 


 試合終了と同時に、良樹は藤原に駆け寄った。

 

 「なんで、俺に出さなかったんだよ! フリーだったろ! 3ポイントで逆転だったのに!」

 

 藤原は、汗だくのまま良樹を見つめ返しながら言った。

 

「……ごめん。でも、僕はあれがベストの選択だと思ったから」

 

 その言葉に、良樹は何も言い返せなかった。藤原の瞳があまりにも真っ直ぐで、そこには一片の私情も言い訳もなかったからだ。

 あの選択は、チームを勝たせるための冷静な判断だったのだというその事実が、良樹の最後のプライドを粉々に打ち砕いた。

 

 藤原は、コートの誰よりも状況が見えていた。

 だからこそ彼は、より可能性の高い逆サイドのフリーの選手を選んだのだ。

 決められなかったのは結果でしかない。

 しかし藤原に見えていたものが、良樹には見えていなかった。

 ただ自分のことしか、良樹には見えていなかった。

 

 

 勝者である市原のチームが歓喜の輪を作る。

 その輪の中心で市原は、コートの反対側で立ち尽くす良樹の姿を、静かに、そしてどこか悲しげな目で見つめていた。

 

 藤原は、シュートを外してしまったチームメイトの肩を叩き、「惜しかったな。ナイスシュートだったぞ」と、声をかけている。他のチームメイトたちも、次々と彼のもとに集まってくる。

 

「藤原、すごかったぞ!」

「お前がいなかったら、とっくに負けてたよ」

 

 負けたはずのチームなのに、そこにはなぜか不思議な一体感が生まれていた。

 だが、そのどちらの輪にも、良樹の居場所はなかった。

 

 渡辺が、心配そうにコートサイドから駆け寄ってくる。

 

 「川島くん……大丈夫……?」

 

 しかし、良樹の耳には、もう何も届いていなかった。

 

「……ゴメン……ほっといてくれ」

 

 彼は、カノジョであるはずの少女の手を力なく振り払うと、誰にも見向きもされず、一人コートを後にした。

 

 その全てを志保は、観客席から、ただ黙って見ていた。良樹の孤立、藤原の献身、そして最後の藤原も全て見ていた。

 

「……藤原くん、すごいじゃない。キャプテンシーあるわね」

「……うん」

 

 志保の瞳は、藤原の姿を尊敬の眼差しで見つめていた。

 だが、同時にひとりコートに立ち尽くす良樹の姿を見て、胸の奥がチクリと痛むのも確かだった。

 

 試合を終えた藤原と観客席の志保の目が合った。彼は、やりきったというような、穏やかな笑みを浮かべ、 志保も彼に微笑み返した。

 だが、やはり良樹のことが気になって仕方がなかった。

 

 春。サヨナラホームランで満場の喝采を浴びた、あの太陽のようなヒーローの姿。

 秋。誰からも声をかけられず、俯いて独りきりでコートを去っていく、傷ついた少年の小さな背中。

 

(どっちも同じよしくんなのに……)

 

 そのあまりにも痛々しい光景に、志保は胸が張り裂けそうになるのを必死で堪えていた。その隣りで藤原の健闘を称える美咲の声が、やけに遠くに聞こえた。

 


 球技大会を終えた後、渡辺との待ち合わせ場所に向かう良樹は、偶然バッタリと志保に出くわした。

 

「あ、あの、よしくん」

「……なんだよ」

「あの、バスケ、惜しかったね。もうちょっとだったのに」

「……見てたのかよ」

「……うん」

「……ダッセえとこ、見られたな」

「……そんなこと、ないよ。カッコよかったよ、よしくん」

 

 久しぶりに聞いたその心からの優しい声に、良樹は顔を上げることができなかった。

 そして志保もそれ以上は何も言えなかった。

 ふたりの間に長く気まずい沈黙が流れる。秋の冷たい風が、その間を吹き抜けていった。

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