揺らぐ気持ち
8月の終わりが近づいた、ある日の帰り道。突然の夕立に降られた志保と藤原は、古い神社の小さな軒下へと駆け込んだ。
叩きつけるような雨の音と湿った土の匂いが、二人だけの世界を作る。
「すごい雨だね」
「うん……」
隣に立つ藤原の肩が、触れそうで触れない。
その数センチの距離が、今の二人の心地よくて、そして少しだけもどかしい関係そのもののよう志保には思える。
志保は雨で濡れたワンピースの裾を気にしながら、ふと隣りに立つ彼の白いシャツの袖だけが、自分よりもずっと濡れていることに気づいた。
(……あ。私のこと、庇って、くれたんだ……)
きっと、少しでも私が濡れないようにと、腕を伸ばして庇ってくれたのだろう。そう思った。
あまりにもさりげない、その優しさ。
心臓が、とくん、と、温かい音を立てた。
その、瞬間だった。
ざああっ!
ひときわ強い風が吹き荒れて、木々の葉が激しく揺れる。
(……あ。この匂い……)
雨と、土と、濡れた葉っぱの匂い。
――違う。
――よしくんの、匂いだ。
志保の脳裏に蘇る、中学生の頃の、あの土砂降りの帰り道。
サッカー部の練習で泥だらけになった良樹が「おい、志保! 危ねえだろ!」と言って、彼女の腕を乱暴に掴んで、車道から引き寄せてくれたあの日のこと。
あの時の彼のジャージからした、雨と汗と泥の匂い。
(……藤原くんは、優しいな……こんな風に、黙って、隣で濡れてくれるんだ。よしくんだったらきっと、そんなことしないで「バカ! 風邪引くだろ!」って怒鳴りながら、自分のジャージを無理やり私の頭に被せてくるんだろうな……)
目の前に、いるのは、藤原なのに。その完璧な優しさに包まれているはずなのに。
なのにどうしてだろう。
彼の濡れたシャツの袖を見るたびに、あの日の泥だらけの良樹の笑顔を思い出す。
胸の奥が、ぎゅうっと、痛くなった。
「……あの、藤原くん」
「ん?」
「……ううん、なんでもない」
「ありがとう」の一言が、喉まで出かかって消えた。そのたった一言が、どうしても喉の奥につかえて出てこなかった。
(どうして言えないんだろう……)
良樹相手なら、きっと何も考えずに言えたはずだ。
なのに藤原相手だと、たった一言がすごく重たくて、特別な意味を持ってしまうような気がする。
そんな志保の葛藤を知る由もなく、藤原は、ただ遠くで鳴り響く雷の音に耳を澄ませていた。




