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アルバムが語る日々

 子供たちが寝静まったある日の夜。良樹の両親である樹と薫子が、子供たちのことを真剣な表情で話し合っていた。

 

 「あの子たち、もうずっと様子がおかしいのよ。良樹は妙に浮かれているようで、でもどこか焦っているみたいだし、志保ちゃんは笑っているけど……あのコ、時々すごく遠い目をするのよ……」

 

 薫子が樹にそう言った。

 

「あなた、あの子たち、何かあったのかしら」

「……さあな。思春期だろ」

 

 ぶっきらぼうに答える樹だが、中学校の体育教師として多くの生徒を見てきた彼は、今の二人の状態が単なる「思春期」では片付けられない、根深い問題であるかもしれないことには気づいている。

 

「何があったのか、聞いたのかい?」

「もちろんよ。でも2人とも、別に何もないって言うばかりで……」

「そうか……」

 

 樹は腕組みをして考え込んだ。

 子供には子供の世界があるので、そこに大人がむやみやたらと首を突っ込んでいいものではない。教師である樹にはそれがわかっている。

 子供たちのことは、基本子供たち同士で解決するのがベストなのだ。

 

「志保ちゃんが、またあの頃みたいに心を閉ざしてしまわなければいいのだけれど……」

「そうだなぁ……だが、思春期ってのは難しい時期だしな。特に女の子は。志保ちゃんの心の中に、どこまで踏み込んでいいやら……」

「でも、黙って放っておくわけにもいかないわ」

「気持ちはわかるけど、本人たちが何も言わない以上、たとえ親でも心の中にまで踏み込んではいけないよ」

「話してくれるようになるまで待つということ?」

「残念だが、今の俺たちにできることはないんだよ。原因がわからない以上、そして何も話してくれない以上、思春期の女の子は見守るしかないんだ。それぐらい中学生の女の子ってのは繊細なんだよ。おそらく、特に志保ちゃんはね」

「それは、そうかもしれないけど……」

 

 2人とも、志保が何か悩み苦しんでいるのなら手を貸したいと心から思っているが、彼女の年齢ゆえ距離間を測りかねている。

 

(もし失敗して、また昔のように自分たちに心を閉ざしてしまうようになったら……)

 

 その恐怖が常にあるのだ。

 

「なんにしても俺たちは、アイツらの宝物だった志保ちゃんを、絶対幸せにしなくちゃいけないよな」

「違うでしょ。あのコは、『私たちの』宝物でもあるのよ」

「ああ、そうだな。あのコはアイツらと俺たちの宝物なんだった」

 

 何もせず見守るだけというのは精神的にツラいものだ。

 あれしろこれしろと命令してしまえば親は楽かもしれないが、それでは子供の心が育たない。

 志保を大切に思うが故に何もできない皮肉を、もどかしく思いながらも今は受け入れるしかない2人だった。


「ねえ、あなた。あのコたちのアルバム見ない?」


 突然薫子がそう言いだした。


「なんだい、急に?」

「良樹と志保ちゃんのことを話してたら、なんだか急に昔のアルバムを見たくなっちゃって」


 薫子はそう言って部屋を出ていくと、やがて数冊のアルバムを抱えて戻ってきた。


「志保ちゃんがウチに来てからのアルバムかい?」

「ええ、そうよ」

「そうか……あのコが来てから、もうそんなにアルバムが溜まってるんだな」


 二人は別々のアルバムを手にすると、じっくり見つめながら1ページ、また1ページとめくっていく。

 

「……なんだか、懐かしいな」

 「あなた、見て。ほら、この写真。志保ちゃんが、初めてうちに来た年の、クリスマス」

 

 写真の中の、表情の硬い小さな志保を、薫子は指でそっと撫でた。

 

「どの写真も、まだ後ろに隠れるようにして写ってるわ。この頃は、なかなか心を開いてくれなくて……夜中に小さな声で泣いているのを何度聞いたかしら……正直、本当にどうしようかと思ったのよねぇ」

「ああ。俺が『ただいま』って帰ってきても、部屋の隅に隠れちまって、まるで怯えた子猫みたいだったな。俺のことが怖かったのかな」

 

 樹は当時のことを思い出したのか、少しだけ渋い顔をした。

 薫子は、そんな夫の気持ちを察するように、静かにページをめくる。

 

「あら、この写真は……」

 

 そこには、良樹が泥だらけの顔で、泣きべそをかいている志保の手を引いている写真があった。

 

「ああ、これか。確か、志保ちゃんが近所のガキ大将に意地悪されて、怒った良樹が殴りかかっていった時だな。自分より年上でデカい相手だったのに、アイツ無茶しやがって」

「そうだったわね。あなたに『暴力はダメだ』って叱られて、良樹も一緒に泣いてたわね」

「あれは良樹にちょっと悪いことしたかなと思ってるんだ。アイツは俺が志保ちゃんを守ってやれって言ったから、その言いつけを守ろうとしてるだけだったろうからね。もちろん暴力はダメなんだが、理由が理由だからな」

「でも志保ちゃん、その頃からかしら。少しずつ良樹の後ろをついて歩くようになったのよね。他にも何かあったのかもしれないわね」

「そうだな。俺たちの知らないところで何かあったのかもしれないな」

 

 薫子は愛おしそうに写真を撫でた。一枚一枚の写真に、ひとつひとつの物語がある。

 心を閉ざした少女が少しずつ、一歩ずつ光の中へと歩み出てくる、その軌跡がそこには確かにあった。

 

 薫子がさらにページをめくっていくと、樹が一枚の写真を力強く指差した。

 

「……ああ。それがたった一年後の、この運動会の写真を見てみろよ」

 

 そこには、ハチマキを締めた良樹と志保が、二人で肩を組み、満面の笑みを浮かべている姿があった。土と汗にまみれた顔は、達成感と喜びに輝いている。


「もう良樹の肩に腕を回して、こんなに胸を張ってピースしてるんだからな。たいしたもんだよ、あのコは……いや、それは良樹がずっと隣りにいたからなのかもしれないな」

 

 樹の言葉には、二人の子供への、不器用だが深い愛情が滲んでいた。

 

「この頃からかしらね。あのコが、本当に私たちの『娘』になったのは……」

 

 2人はページをめくる手を止め、アルバムに刻まれたたくさんの「娘」の笑顔を、ただ黙って、万感の思いで見つめていた。

 

「……なあ、薫子」

「なあに?」

 

「俺たちは、あの2人との約束を、ちゃんと果たせてるんだろうか……」

 

 夫の呟きに、薫子は胸が締め付けられる思いだった。

 それは、遠い日に今は亡き友たちと交わした、魂の約束だったのだから。


 

 志保の父親である聡は、樹と学生時代からの古く濃い友人だった。

 お互いに社会人となり、結婚して子供ができてからも、その関係は何ら変わることがなかった。

 そして当然のように樹の妻である薫子と、聡の妻である咲希も自然と姉妹のように仲良くなった。

 2つの家族は頻繁に集まり、笑い合い、互いの子供の成長を喜びあった。

 

「初対面の時から、咲希ちゃんは私をすごく慕ってくれて……嬉しかったなぁ」

「薫子の方がちょっとだけ年上だったのもよかったんだろうね」

「咲希ちゃんのことは、私もホントの妹みたいに思ってたわ。ずっとそうだと思ってたのに……」

「それが、まさかあんなことになるなんてなぁ……」

 

 突然の交通事故で聡と咲希は亡くなってしまった。

 悲しみに暮れた樹と薫子だったが、すぐにでも志保を引き取りたいと願った。

 しかし、そこに立ちはだかる壁。それは志保の母方の親戚だった。

 

(今でも忘れない。親族会議での、あの人のぎらついた目……聞こえよがしに囁かれた保険金という言葉。私たちを赤の他人だと見下した、あの冷たい声……)

 

 あの男のことを思い出すと、薫子は今でも憤る。もちろんそれは樹も同じだ。

 

 彼は法律を盾にして志保の身柄を確保してしまった。自らが志保の代理人となって、彼女の相続する遺産を実質的に私物化することを狙っていたのだ。

 それに対して赤の他人である樹と薫子は、法律上すぐには手出しができない。

 

 だが聡たちの遺言により、当初の狙い通りに金銭を得られなくなった彼とその家族は、一転して志保を厄介者として扱うようになる。

 それは正しく育児放棄、あるいは虐待と言って差し支えないものだった。

 

(樹さんと2人で何度も何度も面会を求めたけれど、あの人はただ『赤の他人に会わせる必要は無い』の一点張りで会わせてくれなくて……電話の奥で、志保ちゃんの小さな泣き声が聞こえた気がした夜は、一睡もできなかったっけ……)

 

 そして数年後、様々な人たちの尽力でようやく会えた志保は、まるで別人のようになっていた。

 あんなに可愛かった女の子が、目も虚ろで魂の抜けた人形のよう。そしてまだ小学生なのに、まるで人生を全て諦めたかのようだった。


 ――いったい、どうすればこんなことになるんだ。コイツら、なんてことを……。


 彼女はもう、大人に何の期待もしていないように見えた。

 いや、それどころか自分を傷つける者としか認識していないのだろう。自分たちに向ける酷く怯えた表情が、そう物語っていた。

 そんな志保の姿を見て、2人は心を切り裂かれるような痛みを覚えた。

 そして同時に、激しい怒りがその胸に渦を巻いたのだった。

 

「あの時のあなたの顔を、私は一生忘れないわ」

 

 薫子が、震える声で言った。

 

「あんなに怒りに燃えたあなたを見たのは、後にも先にもあの時だけよ。『そんなに金が欲しいならくれてやる! たとえいくらかかろうが、俺は絶対にあの子をウチに連れて帰るぞ!』って……ものすごい剣幕だったわよね」

「薫子だって、反対しなかったじゃないか」

 

 薫子も、涙ながらに頷いたのを覚えている。

 

「ええ。だって咲希ちゃんとの約束だもの。それぞれに何かあったら、お互いの子供たちをって……だから私も、志保ちゃんを私たちの娘にしましょうって言ったのよ」

 

 それは同情や義務感ではない。亡き友への愛と忠誠、そして、一人の少女の未来を自分たちの手で守り抜くという、家族になるという決意そのものだった。

 

「そういえば、不思議だったよな。俺は聡に、薫子は咲希ちゃんに、それぞれ『何かあったら娘を頼む』って言われてたんだから」

「ええ。今思えば、何か虫の知らせでもあったのかしら……」

「そうかもしれないな」

 

 今となっては、もう何もわからない。わかっているのは、亡き友たちに愛娘を託された自分たちが、その約束を守るべく現在進行形で日々悪戦苦闘しているということだけだ。

 


 「ねえ、あなた。志保ちゃんが良樹のことを好きだっていうことはないかしら? 女の子の顔で」

 

 ひとしきり昔話に花が咲いたところで、薫子が突然そう言った。樹は一瞬驚き、腕組みをして考え込んだ。

 

「うーん……無いとはいわないけど、あのコの良樹に対する好意は、信頼とか頼りがいからくるものであって、恋愛とは違うと思うがなぁ。何か思い当たるフシでもあるのかい?」

 

 薫子は答えられないが、最近の志保の様子を思い浮かべていた。

 

(良樹の話をする時の、ほんの少し上ずる声。出かけていたあの子が帰ってくる時の、期待と不安が混じったような表情。そして時々見せる、胸が締め付けられるような、あの寂しそうな笑顔……)

 

 だが、これらはいわば状況証拠であって、確信が持てるものではない。もっと言うならば、そう見えるという薫子のカンでしかない。

 

「……さあ、どうかしら。私の考えすぎかもしれないわね」

 

 薫子は、そう言って曖昧な笑みを浮かべた。

 だが、彼女は心の中では確信していた。

 

(……ううん、考えすぎなんかじゃない。あのコのあの目は、ただの信頼なんかじゃないわ。あれは……恋をしている女の子の目だもの)

 

 しかし薫子は、それを口にしようとはしなかった。

 それはまだ誰にも触れられてはいけない、愛する娘の、あまりにも繊細で大切な秘密だと分かっていたからだ。

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