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箱庭から歪んだ愛を君に。  作者: 泉出流
第1章【十二支達の箱庭】
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●第4話「無意味な行為なんて」

ここにいる者の自己紹介もひと通り終わり、場の空気も幾分か和らいでいた。

誰かが他愛もない世間話を始めかけた、まさにその時だった。


何の前触れもなく、空気が変わった。


「無意味な行為だな」


低く、冷ややかな声が空間を断ち切る。


一瞬で場が静まり返る。

振り向くと広間の扉口に一人の人物が立っていた。


長身痩躯。

漆黒のロングコートを纏い、腰まで届く灰銀の髪を一つに束ねている。

淡く翳った瞳は凍りついた水面のように感情を遮り、その奥では何かを測るような微かな光が揺れていた。


「あら、シン。ここに来るなんて珍しいわね」


エンジュがわずかに眉を上げて声をかける。

驚きというよりなんだか呆れ混じりの口調だった。


「えっ!? シンシン?」


ウイがパッと振り返り、目を丸くする。


「えーっ、シンシンがそこから出てくるなんて、どういう風の吹き回し~? ミヤちゃんが気になっちゃったとか?」


トウマが笑いながら冗談を飛ばす。

けれど視線の冷たさからみるに、トウマの言葉はまるで届いていないようだった。


「此処にいる以上いずれ顔は合わせる。それを今、自ら望んで行う理由があると思うか?」


その声はあくまで冷静で感情の揺れは一切なかった。


「挨拶は大事だと思うな。自己紹介しなきゃ名前も知らないままだよ」


コハクが柔らかく言葉を挟むが、どこか壁を感じさせる響きだった。


「自己紹介? なんだそれは」


即座に切り捨てる。


「自分のことを語り、相手のことを知るための行為です。意味のないことではないはずです」


チハヤが続けたが、その声にもわずかな疲労が滲んでいる。


「幼子の集まりか。くだらん」


吐き捨てるような一言。

それはただの呆れではなかった。


(……いや、これは呆れてるんじゃない。最初から私たちを見下してるんだ)


その無表情な瞳は、まるで人と関わることそのものを否定しているようだった。


「名に意味など無い。いずれ消える、仮初めの符号に過ぎない」


誰とも目を合わせぬまま、まるで独り言のようにそう告げる。


(……ひどい)


たったひとつの名前をもらって、少しだけ世界と繋がれた気がしたばかりだったのに。

それはようやく「自分」と呼べる何かの、最初のかけらだったのに。

それをまるで無意味だと切り捨てられたようで胸の奥がきゅっと痛んだ。


(……この人、好きじゃない)


ただの怒りじゃない。

“大切にしたもの”を、鼻で笑われたようなそんな悔しさがあった。


「では、シンの紹介はこちらで代弁しておきます。何を言われても文句は言わないでくださいね」


チハヤが表情を崩さぬまま淡く笑った。

けれどその声にはわずかにトゲが混じっている気がした。


「どうせまた何かを忘れて部屋に戻るんでしょう? 紙が切れたかインクが切れたか、どちらですか?」


「紙だ。お前の部屋も探したが、見当たらなかった」

「やっぱり。だから何度も言ってるでしょう、私の部屋を勝手に漁るのはやめなさいって。片付けるならまだしも……」


ブツブツと文句を言いながら、チハヤが眉間に皺を寄せる。

なんだか本気で怒っているように思える。


「シンシンってね、辰の人。あんな感じだけど、悪い人ではないんだよ」


ウイがそっと耳元で囁いてくる。

けれど、私はどうしてもその言葉を信じることができなかった。


名を。意味を。繋がりを。

まるで最初から、すべてを否定する前提で生きているようなその姿に、私はただ言いようのない寂しさを覚えていた。


(この人は、ずっとこんなふうに生きてきたの?)


彼はただの一度もこちらを見なかった。

その背中はまるで、世界そのものを拒んでいるように見えた。


「さて。これで一通り、顔合わせは済みましたね」


チハヤの声は柔らかいが、どこか淡く疲れていた。


「そろそろ今日は解散にしましょうか」

「あれ? でも先生。ミヤちゃんの部屋ってどこになるの?」


ウイが手を挙げて問いかける。

その呼び名も相まって、まるで先生と生徒のようなやり取りだった。


「部屋って人数分しかないよね?」

「ええ、残念ながら。この園には十二室しか用意されていませんので」


(また、“十二”)


この園において、やたらと出てくる数字。

いったい何を意味しているのだろう。

詳しく聞きたい気もするが、今はその時ではなさそうだった。


「じゃあいっそ、シンシンの部屋使っちゃえば〜?」


突然トウマが挙手しながらとんでもないことを言い出し、私は思わず目を丸くする。


「は?」


まだその場にいたシンが不機嫌そうに短く声を上げた。


「いやだって、ある意味空き家でしょ? 家具が生きてるかは知らないけどさ〜」

「僕は賛成。だってアンタ、先生の部屋に入り浸ってて自分の部屋使ってないじゃん」


メイが肩をすくめながら、あっさり同意する。


「いやいやいやいや、それはちょっと……さすがにマズイと思うな」


コハクが慌てて否定した。

手を軽く振りながら、どこか焦ったような様子で。


「俺の意見を聞く努力ぐらいしてみせたらどうなんだ」


シンは絶えず不機嫌そうだが、その言い方もどこか機械的だった。


「でもシンさん、そもそも僕たちの話を聞いてくれることのほうが少ないですから」


シュウが苦笑しながらフォローを入れるが、効果は薄そうだ。


「大丈夫よォ。だって、アタシの部屋に来たら良いだけだもの」


ひらりとエンジュが笑みを浮かべる。


── 何故か一瞬、空気が止まった気がした。


「……それも充分問題な気がする~」


トウマは少し考えてからへらりと笑って応えた。


「というか、狼の巣に放り込むような真似はできないでしょ。シンの部屋がいくら空き部屋だと言っても一応男の部屋なのよ?」

「僕はアンタももれなく“その狼の一人”だって、そろそろ自覚した方がいいと思うけどね?」

「まあ、悪い口」


エンジュはそう言いながら、にこやかにメイの頬をきゅっと摘んで横に引っぱった。


(狼……?)


話の意味は分からない。

でも、あまり良くないことなんだろう。

場の空気がなんとなくそう言っている。


「なにすんだよっ!!」


「メイちゃんはその悪い口さえなければ、もっと可愛いのにねぇ」


エンジュは頬を離し、自分の頬に手を当てて、ため息交じりに首を振った。


「私はエンジュお姉ちゃんなら別に大丈夫だとは思うけどぉ」


ウイが小首を傾げながら不思議そうな表情を浮かべた。


(エンジュ“お姉ちゃん”って、ウイは当たり前みたいに言うけど……いや、どうなんだろう?)


じっとエンジュを見ていたら女神のような微笑みを返されてしまった。

余計分からなくなった。


「エンジュお姉ちゃんがダメならここはやっぱり私の部屋だよね!」


ウイが再び手を挙げる。

さっきよりも勢いよく、今度は満面の笑みで。


「嫌じゃなければ、一緒に寝よ? ルームシェアって憧れてたんだ~!」

「ウイがいいなら」


その言葉に他の面々も「それが一番無難」といった表情でうなずいていた。

明るく差し出されたその手は、この混沌とした会話から抜け出す救いのように感じられて、私は自然と頷いていた。


「では、部屋も決まったようですし」


チハヤが静かに息を吐き、真白な手袋の指先を整えながら言った。


「私は先に失礼します。この人──」


ちら、と無言の辰に目をやる。


「が、私の書斎をまた物色したようなので。片付けねばなりません」

「必要な行動だ」

「今度は何をしたんです? 本棚から本を全部抜き出しました? それとも机を逆さに?」


穏やかな口調だが、その声にはうっすらと怒気が混じっていた。


(やっぱり怒ってた)


「ウイ、あなたが案内役をお願いできますか。私は行けませんので」

「はーいっ、任せて! ……えーと、先生も頑張って、ね?」


ウイは元気に返事をしつつ、シンを一瞥してからチハヤに視線を戻す。その目には、うっすらとした同情の色が滲んでいた。


「では、ミヤさん。また後ほど」

「…………」

「シン。逃がしませんよ。君も一緒に片付けるのです」


チハヤが羽織っている白衣のように見える白い上着の裾を翻してシンの腕を軽く取ったまま、半ば引きずるようにして広間を後にする。


「先生、大変そうだから俺も手伝うよ」

「今日は先生が勝つか、シンシンが勝つか……どっちかな~」


コハクとトウマも笑いながら続いて広間を出ていった。


「先生、今度やったら“反省文”書かせるのとかどう?」

「断固拒否する」

「反省文を書かせてどうするつもりだい?」

「そりゃあ……壁に貼るっしょ?」

「黙れ」

「君たちは私の部屋をなんだと思ってるんですか……!」


四人のやり取りが遠ざかる。

その声は思いのほか楽しそうで、きっとそこまで仲が悪いというわけではないのだろうと思えた。

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