●第2話「仮面の向こうに見えるモノ」
軋む音を立てながら、重そうに扉が開いた。
その先に広がっていたのは、仄かな光と影が交錯する大広間。
私は思わず、酉の背に半歩身を寄せた。
高い天井にはシャンデリアが吊るされ、風もないのに僅かに揺れている。
木造の柱が並び、中央には季節の花々を飾った華やかな円卓。
その周囲には先ほど話していたであろう者たちが座っていた。
——九人。
円卓を囲むように並べられた十二脚の椅子。埋まっているのは九人分だけだった。
そして不思議なことに、彼らの誰もが仮面を持っていた。
頭にかけた者、膝に乗せた者、ポケットから端だけ覗かせている者。
それはまるで舞台の役者の“台本”のように、当然のように身に付けられていた。
(私の……仮面は?)
反射的に手元に視線を落とすが、それらしいものは見当たらなかった。
酉も特に何も言ってくれない。
ただ、穏やかな顔で歩を進めていく。
入口から一番離れた柱の近くには、頬に手を当てて悩むような仕草の美しい女性。
窓側の花瓶のそばには、可愛らしい女の子が足をパタパタと落ち着かない様子で座っている。
入口に最も近い位置では、肩幅の広い青年が肘をついてじっとこちらを見つめていた。
硬そうなその視線には他の誰とも違う、試すような興味が宿っていた。
そしてその反対側には、椅子の上でだらりと背を丸めた男——私を睨むように見ているのが彼だった。
服の裾が不自然に膨らんでいるのが見えた。
(……仮面、隠してる?)
彼らの視線が一斉に私へと向けられる。
「……っ」
全身を貫くような視線の圧力。
好奇。疑念。警戒。
様々な感情が混ざり合い、言葉ではなく空気が私を包み込む。
(怖い)
私の肩はわずかに震えていた。
酉は振り返らず、それでも気配で察すると穏やかに言葉を紡いだ。
「大丈夫ですよ。誰もあなたをとって食ったりなんてしませんから」
くすくすと笑いながら私の様子を明らかに面白がっている酉に、少し腹が立った。
だからその足をぎゅっと踏んでやる。
「いたた……気を悪くしないでくださいよ」
腹の立つ笑みから苦笑に変わる酉を見て、思わず笑いそうになった。
「さて、皆さん。彼女が猫さんです。仲良くしてあげてくださいね」
そう言って一歩前へ出ると呼び名の通り、まるで本当の先生のように皆に向かって告げた。
言葉は柔らかいが「異論は認めません」と言外に含まれているような気がした。
やはり私からも挨拶をした方がいいのかと、前に出て口を開きかけたその時だった。
「……ふん。干支でもないくせに、ずいぶん堂々としてるじゃないか」
低く響く声が大広間に落ちた。
椅子の上で背を丸めていた青年。
緑がかった長めの前髪の隙間から、鋭く私を射抜くような視線。
明らかな敵意。
「猫なんて名乗って……何のつもりだよ。ここは、十二人までしか入れない場所なんだ。余計な数が混ざれば、バランスが崩れるだろ」
(十二人まで? なんの話をしているの……?)
ここに来たのは私の意思ではないのに。
そう思っても、向けられる敵意の前に私は視線を落としてしまう。
だがその直後——。
「ミイ」
静かに、だが異様な存在感をもってその青年の名が呼ばれた。
席を立つこともなく、ただ穏やかに発せられた声。
「良くないよ。分かるよね?」
誰が言ったのか、誰もがすぐに理解した。
なぜならその一言で広間の空気が一変したからだ。
声の主は明るい金髪の青年。無造作な髪と、琥珀色の瞳が印象的だった。
ミイと呼ばれた男の肩がびくりと揺れ、椅子がガタリと大きく音を立てた。
「……」
ミイは何か言いたげに口を開こうとしたが、呻くような声音しか出ない。
やがて口を結び、悔しそうに金髪の青年へと視線を向けた。
彼はただ、穏やかに微笑んでいる。
(酉も微笑むけど……この人のは、違う)
その笑みには咎めも怒りもない。
けれど、沈黙だけが語る確かな”抑圧”があった。
しばらく睨みつけた後、ミイは舌打ちのような息を漏らし、立ち上がる。
「……付き合ってられない」
そう吐き捨て、足早に広間を出ていった。
誰もその背を止めなかった。
けれど全員が知っていた。
ミイが去ったのは納得ではなく明らかな敗北だった。
ミイと呼ばれた青年が去った後の広間には、一瞬の静寂が訪れる。
円卓の者たちは互いに視線を交わすことなく、ただ淡々と沈黙を守っている。
緊張と警戒が薄く漂っているが、そこに攻撃性は感じられない。むしろ困惑と様子見の色が濃かった。
私はまだその空気を飲み込めずにいた。
ただ胸の奥がざわざわと騒ぎ、言葉も思考もまとまらない。
酉の背に半歩隠れたまま、そっと辺りを見回したそのときだった。
——視線を感じた。
はっとして顔を上げると、先程場を支配していた金髪の青年がじっとこちらを見つめていた。
柔らかな琥珀色の瞳。
決して刺すような鋭さではないのに、なぜかまっすぐで強い。
(綺麗な瞳……)
宝石のようなその瞳に一瞬目を奪われるもその視線に居心地の悪さを覚えて、私が反射的に身を引きかけたその時だった。
「……っ、ごめん!」
私を穴が空くほど見つめてきていた金髪の青年がハッとしたように慌てて椅子を引き、立ち上がった。
気まずそうに後頭部をかきながら、こちらへと一歩近づく。
「怖がらせるつもりはなかったんだ。俺、コハクって言います。干支はこれでも一応寅」
そう言って笑った彼の表情にはどこか照れと申し訳なさが滲んでいた。
先ほどまで場を支配していた人物とは思えないほど、彼の笑顔は柔らかく穏やかだった。
「寅だからさ、どうしても威圧感とか出ちゃうんだよね〜。許してあげてね、ネコちゃん」
軽快な声が割り込むように響いた。
コハクの隣に、茶髪の青年がふわりと現れる。
とても人当たりの良い笑みをこちらに向け、自然な流れで私の手を取って握った。思わずびくりと肩が跳ねたが、彼は気にした様子もなく満面の笑みを浮かべている。
「俺、トウマ。午担当してまーす! よろしくねー!」
「よ、よろしく」
「ちなみにさっき出ていったのはミイちゃんっていって巳の人ね〜。アイツは誰にでもあんな感じだから気にしなくていーからね」
言動は軽い。
羽くらい軽いと思う、この人。
「はーいっ! 次は私の番!」
トウマの背後から飛び出してきたのは、桜色のツインテールを揺らす女の子だった。
あのとき、椅子の上でそわそわと足をばたつかせていた子だ。
目を輝かせて飛び込んでくるその姿は、まるで長い沈黙から解き放たれた子供のよう。
年齢的にもまだ十代のあどけなさがあり、トウマやコハクより年下に見えた。
「トウマちゃん、女の子にはちゃんと許可を貰ってからじゃないと触っちゃダメなんだよ」
そういってトウマの手から私の手をまるで奪い返すようにして自身の両手で包み込む。
「私、ウイ! 干支はうさぎだよっ!」
「う、うん、分かった」
満面の笑顔と共に、まるでアイドルのようにポーズまで添えて名乗る彼女に私は少し戸惑いながらも小さく頭を下げた。
「ねぇねぇ猫ちゃんって呼んでいいかなぁ? さっきからずっと話しかけたかったんだけど、なかなかタイミングが掴めなくて話しかけられな」
「ウイ、そんな一気に喋ったら猫さんが目を回しちゃうよ」
落ち着いてと困り顔で出てきたのは恐らくウイと同じくらいの年代の男の子。
「そっか、ごめんね! 女の子が増えたのが嬉し過ぎてつい気持ちが先走っちゃった」
「大丈夫。ちょっと驚いただけ」
それは本当だったから大丈夫だと首を横に振った。
「じゃあ、僕たちも自己紹介、してもいいかな?僕はシュウ。干支は丑。こっちは弟のメイ。干支は未だよ」
どうやらシュウは双子だったようでほぼ同じ顔が目の前に二つ並んでいた。
顔も服装もほぼ同じだが、シュウだという子は着ている色合いに黒が多い。逆にメイという子はシュウとは反対で白多めの色合いの服を着ているため判断は難なく着きそうだ。
「…………」
挨拶をしてくれるシュウに対して弟のメイは一言も言葉を発さない。
巳に向けられたような視線をじっと私に向けてきている。
(……服がなくても、この子はすぐに見分けがつきそう)