第二話
食事を乗せたトレーを手に、青年は辺りを見渡した。
キャンパスの中央辺りに設けられた大きな学生食堂の、ドアを出てすぐのところだ。一階部分はガラス張りになっていて、席に着いて昼食をとりながら談笑したり、メニューを吟味する学生たちの様子が見て取れた。食堂の外には石面調のタイルに彩られた広場があって、葉を落とした木々やパラソルとテーブルを備えたベンチ、花壇が幾つか並んでいる。時折吹く風が少々肌寒くはあったが、頭上から注ぐ陽光に和らげられ、屋外で過ごすのもそれほど苦ではない。昼休憩が始まってからそれほど時間は経っていないが、食堂には入り口脇の自販機の辺りまで列ができ、広場のほうでも数人のグループによって既に半分ほどのテーブルが埋まっていた。ほかの学生とぶつかりそうになった青年が肩から提げた紺色のスポーツバッグを庇って蹌踉めいている間も、構内の各所からは学生が次々に集まり、列の尾を伸ばしている。
「曜洲、こっちこっち!」
そうこうしていると、よく通る快活な声が辺りに響いた。周囲の視線が声の主に集まる。テーブルから半ば身を乗り出すように手を伸ばすのは、栗色の髪を揺らす女学生だった。アイボリーのタンクトップ、その上に羽織ったシアーシャツの薄緑の裾が小風に靡いている。テーブルやベンチの隙間から、アルパイン・グリーンのジーンズとビスケット色のスニーカーが覗いていた。曜洲と呼ばれた青年はトレッキングシューズの底を鳴らしながら、そちらへ歩を向けた。
「お待たせ」
曜洲はトレーをテーブルに置きながら、女学生の対面に腰掛けた。スポーツバッグをゆっくりと隣へ下ろす。
「ん。今日も安定の定食ローテね」
向かいにあるトレーの上を一瞥して、女学生は笑い掛けた。曜洲のトレーの上では、大皿にレタスと大振りの唐揚げ数個、茶碗一杯の白米、葱とワカメと豆腐の入った味噌汁が湯気を立てている。
「まあ。そっちは、……それ何?」
「新メニューの海鮮パスタと、期間限定のコンソメスープセット。プラスでミニサラダ」
「相変わらず目新しいの好きだね」
そんなことを言いながら、曜洲はベンチの上の塵を軽く手で払ってから腰掛けた。二人は手を合わせてからプラスチック製の箸を取り、女性のほうはまずサラダから、曜洲はメインの唐揚げから、それぞれ昼食に取り掛かった。
「今日、午前中はアトリエ?」
「いや。空いてなかったから自習室使った」
女学生からの問いかけに、唐揚げを頬張りながら曜洲が答える。
「え、じゃあ絵とか絵の具はどうしたの?」
「ここ」
曜洲は空いた左手で、脇に置いた大きなスポーツバッグをぼすぼすと叩いた。それを聞いて、女学生は僅かに顔を顰める。
「ええ……バッグの中、ムチャクチャになってない?」
「絵の具は処理したし、キャンバスは一応乾かしたから。油彩に比べたら全然マシだよ」
「ふうん」
それに今回はお試しだから、と付け加える曜洲に、女学生は一度スポーツバッグに視線を投げたあと、横合いに目を遣った。通路とガラス窓の向こうの食堂では、削席がほとんど埋まろうとしていた。会計を終え、トレーを持ったまま僅かな空席を求めて渋滞する学生の姿がちらほら見える。元々食堂には在校生と職員、全員分の席は用意されていない。昼食どきに出遅れて食堂内の席にありつけなかった場合は、外のベンチや花壇の土留め石に腰を下ろすか、食堂に隣接された購買を利用する、もしくは教室棟を一つ挟んだところにある小さなカフェへ足を運ぶ羽目になる。中には鼻から席取り競争には参加せず近場の飲食店を目当てにキャンパスを出る者もいたが、二人にその経験はなかった。
「午後の講義、憂鬱だなあ」
スープカップの縁に口をつけながら、女学生は独り言ちた。
「三限のグローバルコミュニケーションは席が一番前固定で気を抜けないし、四限の経営史は先生が厳しくて、毎回の小テストが難しいんだよねえ」
コンソメ色の溜め息が、桜色の唇から漏れた。
「前にも言ってたような気がする」
「言ったかも。――曜洲も、五限まで講義だっけ?」
「普段はそうだけど、今日は四限が休講になった」
「そうなんだ。………あ、そういえば」
女学生は傍らの、クロムオレンジを基調としたリュックサックからスマートフォンを取り出して、慣れた手つきで手早く画面を操作した。曜洲は何となしにその手元に視線を注ぎながら、ドレッシングのかかったレタスを口に運ぶ。
「掲示板の、休講連絡……あった! やっぱりそうだ、ほら」
女学生が嬉しそうに、スマートフォンの画面を曜洲に向けた。眼前に突き出された画面に、曜洲は上体を反らしてピントを調整する。画面には「経営史A」という講義が今日、講師の都合で休講となる旨が記載されていた。小さく併記された日付によると、投稿されたのはほんの数時間前らしい。
「へへ、こっちも四限休講だった」
「気づいてよかったな」
「一回ちらっと見たんだけど忘れてた、危なかったや」
レタスを咀嚼する曜洲の言葉に、女学生は小さく何度か頷いた。スマートフォンをしまい、卓上のパスタに向き直りながら、ちらりと曜洲を盗み見る。大きな口を開けて何個目かの唐揚げに齧りつく曜洲に、女学生は前髪を弄りながら、
「ね、今度の休みにまたどっか行かない?」
「? 行きたいところがあるわけじゃないの?」
「うむぐ」
即座に訊き返した曜洲に、須光羽は小さく顔を顰めた。曜洲は首を傾げる。行き場のないフォークの先端が、茹でられた海老の脇腹を突く。
「……えっと」
言葉に詰まりながら、女学生はフォークの先を曜洲の胸元へ向ける。
「曜洲は、どっか行きたいとことかある?」
「んー。画材屋とか」
「そ……れでもいいんだけど、そうじゃなくて」
「じゃあ、大きめの文房具屋」
「うーん」
女学生は眉根を寄せて思案顔になった。ぐるぐるぐるとフォークに巻きつけたパスタの塊を口に運ぶ。
「ほら、こないだ行った映画とか、植物園とか……そういう系統のね」
「はあ」
曜洲は気の抜けた相槌を返した。いまいち得心がいかないらしい曜洲をよそに、女学生は頭上を覆うパラソルの隅棟を裏から睨める。
「こないだの動物園リベンジもしたいんだけど、まだ改修工事終わってないしなー。他のとこだと遠いし、映画……はそうか、観たかったやつ試験期間中に公開終わっちゃってたな」
唇を尖らせる女学生を、曜洲はほうじ茶を啜りながら静観する。安っぽいプラスチック製のカップからは、まだほんのりと湯気が立っている。曜洲が汁椀に手を掛けたところで、女学生は向き直って指を弾いた。
「そうだ! プラネタリウム行こうよ」
「プラネタリウム?」
飲みかけた汁椀の縁から唇を離して、曜洲は意外そうに訊き返す。
「そう。いまなんか、よさそうなのやってたはず……好きだったよね? 星」
「え? ――あー、うん。まあ」
適量のパスタを頬張りながら、女学生は再びスマートフォンを取り出した。細い指先でリズムよく画面を叩き、スクロールする。
「隣町のステラビレッジわかるでしょ?」
「ああ。遊園地とかショッピングモールとか、プールとかいろいろひっついてるやつ。何回か行ったことある」
「それそれ。あそこ、展望フロアの上がプラネタリウムになってるの知ってる? 結構オシャレって評判なんだよね」
「へえ」
「……よし、じゃあ決まりね! 今度プラネタリウム行こ」
「うん。まあ、いいよ」
味噌汁を啜りながらの返答に、女学生は満足そうに微笑んだ。わざとらしくウインクを見せながら、
「なんせ、あたしらアストロ世代だしね」
「四限空きならさ、その時間でプラネタリウムの予定詰めない?」
食堂で食器やトレイを片づけたあと、後ろで一つに纏めた髪を下ろしながら女学生は曜洲に声を掛けた。食堂入り口に設置されたごみ箱にポケットから取り出したごみを放る曜洲は、
「その間、用事があるから無理だ」
「また絵?」
「いや、教授に質問しにいこうと思って」
「え、真面目じゃん」
女学生は小さく目を剥く。
「や、そんなんじゃない。授業のことじゃなくて、単に個人的な、興味の話というか……」
「ますます真面目じゃん」
目を剥いたまま大袈裟に後退る女学生に、曜洲はそんなんじゃないって、と重ねた。女学生は悪戯そうに笑うと、ビスケット色のリュックを背負い直す。
「じゃあ、また五限で。がんばってね」
「ああ。須光羽も」
Astro/星、その短縮形や接頭辞
宇宙に存在する岩石、ガス、塵などの様々な物質が、重力的に束縛されて凝縮状態になっているもの
遥かな夢、空想の宿り木
・アルパイン・グリーン
濃く深い緑色。カラーコードは「#496A4D」
・ビスケット
淡い茶色。カラーコードは「#BC9C78」
・クロムオレンジ
強い黄赤のオレンジ。カラーコードは「#ED6C00」
・隅棟
方形造の屋根において、棟(屋根の頂点)から四隅に降りる山形の部分。屋根の面同士が出会う境界の部分




