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第二話

 数日後、イヨの怪我はだいぶ良くなり、顔の腫れもすっかり引いていた。

 外で身体を動かすことも出来るようになり、今は子供たちと境内で鬼ごっこに興じている。

 その様子を縁側で眺めながら、天狗はゆっくりと茶を啜っていた。


「おっちゃん、いっしょにあそぼーぜ!」


 わんぱくな太助が声をかけてくる。それに合わせて、引っ込み思案なきぬがモジモジしながら上目遣いをしてきた。


「てんぐしゃま……」

「……わけあり?」


 その脇で、いつも物静かな友吉が、ぼそりと尋ねてくる。


「……うむ。訳ありといえば訳あり、だな」

「天狗様……」


 その様子を見ていたイヨが、少し心配そうな表情で天狗を見つめていた。その眼には、どこか怯えのようなものがあると天狗は感じている。


「……どうやら、少し腰が痛くてな。俺も歳かもしれんなぁ」

「えー、おっちゃんじじーじゃん!」

「だいじょうぶ、てんぐしゃま……?」

「……歳」


 嘘である。

 彼女(イヨ)は未だ、大人の男に対する恐怖心が抜けていない。まして、一度も素顔を見せず禁足地に籠る男など、子供たちとのやり取りで悪人ではないと、頭ではある程度理解はしていても、心の怯えはそう簡単に拭えるものではなかった。

 天狗はそれを理解しているからこそ、彼女に対して、常に一定の距離を保つようにしているのだ。

 だが、それをそのまま言うのは野暮が過ぎる。それに、子供たちに簡単に理解出来ることでもない。

 そういった理由で、天狗はあえて自分の腰のせいにしていたのだった。


「しょーがねーなー。じゃあおっちゃんはハナ(・・)でもくわえてそこでみててよ!」

「おおう、口が悪過ぎるぞ太助、今少し手加減を」

たしけ(・・・)、てんぐしゃまかわいそー!」

「……つぎ、イヨがおに」

「あ、うん。いくよー!」


 太助たちは、まだ生まれて間もない頃、この山に捨てられた。いわゆる〝人減らし〟である。

 この時代としては当たり前に行われていた風習ではあるが、だからといってそれを良し、と出来る者ばかりではない。

 この天狗のような者に拾われた子供たちは、まだ幸運と言えるだろう。


 山に入れば女子供の白骨死体がごろごろしている、そんな時代であった。


――その夜。


 天狗がいつもの様に縁側に腰を下ろし、そよぐ風を肴に酒を呑んでいると、後ろに何やら気配を感じる。


「眠れないのか」


 それは、おずおずと佇む少女の姿をしていた。


「――イヨ」

「……てんぐ、様」


 イヨはゆっくりと、天狗の隣に座る。


「大丈夫なのか」

「てんぐ様、は、イヨをいじめないでしょう……?」

「勿論だ。……で、どうした」

「……眠れなくて」

「そうか。なら少し風にでも当たっていけ」


 イヨは俯き、しばらく足をぶらぶらとさせていたが、やがてぽつぽつと言葉を紡ぎ始めた。


「……私、半年くらい前に麓の村に嫁いできたんです。それまでは少し遠くの村に住んでおりました」

「今、いくつだ」

「十八になりました」

「……そうか」


 この時代での十八といえば、人妻になって当たり前である。むしろ遅めと言っていい。

 十四、十五で嫁ぐのが良いとされる時代で、十八まで行き手がないとなれば、何か問題でもあるのだろうと勘繰る者さえ出てくる始末だ。

 だが、この数日、彼女の面倒を見ている限り、天狗はイヨにそういう問題があるとは思えなかった。

 家事も出来る、性格に難があるわけでもなし。器量だって十二分に良いと言えるだろう。


 ただ、人見知りで奥手であろうことは想像に難くなかった。


「見知りの男か」

「……いいえ」


 天狗の問いを否定するイヨの顔を見て、天狗は大体を察する。

 それを確認する代わりに、彼女に向かって尋ねた。


「相手は?」

「……村長の息子、清吉さんです」


――売られたか。


 天狗は内心で深いため息をつく。

 麓の村の清吉については、あまり良い噂が出てこない。村の実力者である村長の息子ゆえに誰も表立っては言わないが、粗忽で粗野、さらに無能で自尊心ばかりが先行する、どうにもならない輩だという話であった。

 そんな馬鹿息子でも、齢二十歳ともなれば、伴侶の一人もいなければ格好がつかない。

 そこで一計を案じた村長が、借金か何かをでっち上げ、そのカタに娘を寄越せと脅した、といったところだろうか。

 あえて別の村からというのも、清吉の素行や噂が届かない場所を選んだに違いない。

 天狗はそう考えたが、だとすればイヨからすれば酷でしかない話だ。

 実際のところ天狗の考えに近いことが起こっていたのだが、今この場で言ったところでどうにかなる話ではなかった。


「で、それが何故、この禁足地で倒れていた?」

「……」


 天狗の問いに、イヨが押し黙る。

 これはさすがにまずいことを聞いたかと天狗が逡巡したとき。

 俯いた彼女の手に、雫が一滴ぽとりと落ちた。


「子が、出来なかったんです」

「……そうか」

石女(うまずめ)は要らないって。どうせ出来ないなら、さ、最期に、好きにしてやる、て、村長たち、が、ぅぅ……」

「……そうか」


 天狗には何も言うことが出来なかった。

 〝石女〟とは、子供の出来ない女性の蔑称である。

 子が成せぬ女に用はない。

 残酷な物言いとしか言いようはないが、後世に血を残していくのが是とされるこの時代、不妊の女性がそれを理由に離縁されるのは、珍しいことではなかった。

 天狗が絶句したのは、どうせ出来ぬならば、の仕打ちである。

 様子からして、普通の状態ではなかったのだろう。相手も何人いたのか分からない。そんな中、たった十八の娘が自分の身体を好きに嬲られて、どんな思いをしたのか。


「私、だっ……て、わた、し……」

「……」


 嗚咽を繰り返すイヨの頭に、天狗はそっと手を置く。


「辛かったな」

「てん、ぐ、様……う、うぅ、うぁああああああん!」


 それが合図となったか、イヨは天狗にしがみつき、子供のように泣き叫んだ。

 天狗はその背を優しく撫でる。


「わた、し、うみ、た、かった、よぉぉぉ……」

「……そうだな」

「で、でも、うめないって、うま、ず、めだって、わたしっ……!」

「……」

「くやしぃ、くやしいよおおおっ……!」

「……そうだな」


 少女の慟哭は、彼女が疲れて寝入ってしまうまで続いていた。



――――



 翌日。

 昨夜と同じく、縁側に腰をかけて煙管を呑む天狗の元に、朝餉を済ませたイヨが現れた。


「てんぐ様……」

「ん? おう、イヨか」

「昨日は、あの……」


 もじもじと言い淀むイヨに、天狗はしれっとした顔で言った。


「なぁイヨ。おまえさん、読み書き算盤は出来るかい」

「え? か、簡単なものなら……。実家は商いをしておりましたので」

「そいつはいい。……元気になってからでいい、チビどもに教えてやってくれねえか。あいつら、俺相手だとどうにもわんぱくでな。出来ることだけでいい、暇つぶしがてら頼まれてくれねえか」

「は、はい。――てんぐ様」

「ん?」

「ありがとうございますっ」


 彼女は明るい表情で深く頭を下げると、軽やかな足取りで境内に走っていく。

 遠くで子供たちを呼ぶイヨの声が聞こえると、天狗は小さく肩をすくめた。そして膝に肘をつき、手を組んだ上に顎を乗せると、ぽつりと呟く。


「……外道が」


 そう漏らした口の端から、食いしばった血がつい、と流れた。

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