02 中編
「この俺、デイビス・ベルウーズは、悪女ソシエ・レーゼルとの婚約を破棄する!
そしてアイリス・ディート子爵令嬢と改めて婚約する!」
卒業パーティーに、そう宣言された言葉にざわざわと会場は囁きあった。
「ソシエ・レーゼル! 前に出て来い!」
見下したように、そう言いつけるデイビス王子。
しかし。
「ソシエ! どこに居る!? さっさと出て来い!」
尚も怒鳴るデイビスだったが……当然、その会場にソシエの姿はなかった。
そこに集まった生徒たちも、関係者たちも誰もソシエの姿を見つけることはできない。
本人が会場どころか、国内にさえ居ないのだから当たり前のことだった。
「……?」
何を考えていたのか。
悪女とまで己の婚約者を罵った王子は、会場にソシエの姿がいないことを時間を掛けて悟る。
「……どこだ!? まさか逃げたのか!?」
デイビス王子の目的は、国王と公爵という邪魔者がいないこのパーティーでの婚約破棄と、己の婚約者の断罪だった。
だが、その予定はあっけなく崩れてしまう。
当の本人がいない場での断罪劇。
婚約破棄を突きつけた相手の顔色も何もない。
その突きつけた相手が存在しないのだ。
「……あの。殿下。レーゼル公爵令嬢は、そもそも本日、お見えになっておりませんが」
「なんだと!? 卒業パーティーに参加しなかったのか! なんて勝手な奴だ!」
そもそも自身の婚約者が会場に来ていない事に気付くのが今更なのは何故か。
それはエスコートする予定が最初からなかったデイビスのせいだ。
周囲の目が冷ややかになり、デイビスたちに突き刺さる。
この場で断罪し、兵達に彼女を捕まえさせれば、まだ話も進んだかもしれないが……。
デイビスの振る舞いは、ただただ混乱を招いただけ。
悪女だなどと公爵令嬢を宣うことになった原因であるディート嬢も、すべての予定が狂って困惑するしかなかった。
彼女は彼女で、虐げられた被害者のように声高らかに泣いてみせる予定だったのだ。
そして、さらにソシエを追い詰めるはずだった。
だが『悪役』のいないこの場で被害者のように振る舞ったところで、人々の同情や共感を引き出せてもどうにもならない。
必要なのは、公爵令嬢の断罪という醜聞をつける事だったのだから。
「あの。デイビス殿下。ソシエ様に関して、何かしら王家と話されるのでしたら、公爵家か王宮でお願いしてもよろしいでしょうか? ソシエ様がいらっしゃらないので、我々にはどうにも出来ないのですが」
「くっ……くそ! 何故いないんだ! あの女!」
神聖な宣言と断罪であったはずの場は、あっという間にただデイビスたちが恥をかくだけの場と化した。
学園での評価を下げられたソシエ一人が追い詰められるならばともかく、デイビスと関わりのない多くの貴族子女たちに権威や武力を押し付けても意味がない。
『悪役』の糾弾だからこそ、皆が黙認したはずだった。
無関係の者達の前でわめきたてても皆の反応は『その話はここでする事なのか』と冷ややかに見られるだけだ。
さらに悪女として陥れられる役の人物も、冤罪での被害者もこの場に居ないため、余計に周りの人間はどうとも出来ない。
せいぜいが、卒業パーティーで起きた話がすぐに自国内に居る王妃や王太子、第二王子に伝わったぐらいだ。
「……デイビス殿下。卒業パーティーを続けてもよろしいでしょうか?」
「くっ……!」
痺れを切らした卒業生の一人がそう問う。
デイビスたちとて、ソシエを断罪した後は滞りなく、卒業パーティーを続けるつもりだった。
断罪が成立しなくなっただけで、その予定は変わりなく。
「……ああ。始めろ」
計画通りにいかなかったデイビスは、不満を抱えながらも卒業パーティーを続けるしかなくなった。
その後、公爵家に使いを出し、ソシエに王宮に来るように命令を下す。
だが、レーゼル家から返ってきた返事は、ソシエが今、公爵家に居ないというものだった。
激昂したデイビスが、レーゼル家の屋敷に向かう。
制止も振り切り、我が物顔でソシエの自室まで踏み込んでいった。
だが、当然、その場にもソシエは居ない。
公爵家側は、あえて抵抗せずに屋敷内を探させた。
「デイビス殿下は一体、何をされたいのですか?」
「くっ……!」
公子であるソシエの兄ケイ・レーゼルは冷ややかな目を王子に向ける。
護衛騎士たちが彼の周りにつき、横暴な命令は下せそうになかった。
そこでソシエを見くびっているからこそ、ソシエに対してだけは傍若無人が許されると。
そういう考えがデイビスの中に生じていたのだ。
だがその理不尽をぶつけていいはずのソシエはどこにもおらず。
抵抗する力を持った公子、ケイの前では理不尽と横暴は鳴りを潜める。
「ソシエはどこへ消えた? 彼女は俺の婚約者なんだぞ。隠していいと思っているのか」
「隠すとは? 何も隠しておりませんが」
「では、なぜ卒業パーティーに参加しなかった!?」
「は?」
そこでケイは首を傾げた。わざとらしいぐらいに。
「デイビス殿下はご存知だったのではないのですか?」
「何の話だ」
「ソシエは今、父や国王陛下と共にカーセル王国への外遊に参加しています」
「……は?」
「当然、その話は殿下も知っているものかと思っていたのですが……。国王陛下や王妃様からは何か聞いていないのですか?」
「な……。なんだ、それは。聞いていないぞ?」
「そうなんですか? まぁ、国王陛下からの命令でしたし、殿下に話されなかった理由は、陛下のお考えかと思います。何故なんでしょうね?」
「っ……!」
ソシエが国内に居ない。
どころか国王と公爵と共に外遊中?
そんな話は誰からも聞いていなかった。
「ソシエが勝手にあちらに向かったんじゃないのか」
「まさか。陛下と共に向かう使節団ですよ。当然、陛下の承認がなければ共に向かうなど出来ません。むしろ、陛下がデイビス殿下に何も報せていなかった事の方が驚きなのですが。
……もしや、王宮で何かあったのですか?
陛下とデイビス殿下の間で何か問題でも?」
「も、問題などない……!」
やはりデイビスはどうする事もできず、レーゼル家の屋敷を後にした。
(くそっ、くそっ。まさか父上と共に居るだと?)
これでは断罪の場など設けられない。
卒業パーティーでソシエを陥れるはずだった。
なのに。
デイビスの計画が何一つ上手くいかず、さらに2週間が経過した。
卒業パーティーでの醜態や、その後のデイビスの傍若無人に対して、兄王子たちや王妃は沈黙を守り続けている。
おそらく国王陛下が戻り次第、判断を仰ぐつもりなのだろう。
出鼻を挫かれる形になったデイビスは悶々とした日々を過ごす。
ソシエを思い通りに動かす事のできなかった苛立ちを彼は感じていた。
見下し、支配下に置けていたはずの人物が、己の思い通りにならない事をストレスに感じているのだ。
だが、国王や公爵、そしてソシエが国内に戻る前に。
ある一報がデイビスにもたらされる事になった。
その日は、王妃が改めて王都近隣の貴族を招集しての小規模の夜会が催されていた。
王太子である第一王子、そして第二王子もパートナーと共に参加している。
その場で王妃の口から告げられたことは。
「我が国の公爵令嬢ソシエ・レーゼルが、隣国の第二王子サイラス・カーセル殿下と婚約する事に決まりました。その為、レーゼル公爵令嬢と、第3王子デイビスの婚約は『白紙』とします」
「…………は?」
母である王妃からの言葉に、隣にアイリスを立たせていたデイビスは絶句する。
「ソシエ嬢は、このまま国内には帰らず、カーセル国で過ごす事になるそうです。親しかった者には手紙もやり取りし、あちらが落ち着いた後に改めて招くこともあると聞いています。
我が国の公爵令嬢と、カーセル王家の繋がりは願ってもないこと。
皆、レーゼル公爵家とは、国内事情や我が国の立場を考えて対応するように」
そこで王妃が睨んだのは、学園でソシエを見下していた者たちの家門だった。
冷や汗をかき、自分たちの普段の振る舞いを振り返って嘆く子息・子女が幾人か。
そんな彼らを王妃は呆れた目で見る。
「な、何を……おっしゃっているのですか? 母上。ソシエは、ソシエは……俺の婚約者なのですよ!?」
「……デイビス。先の卒業パーティーでの一件は私の耳にも入っています。
貴方がソシエ嬢との婚約の白紙を嘆く権利はありません。
それに彼女を『悪女』と罵ったそうですね。
王族の婚約者ということで、王家からも彼女に監視と警護がついています。
特に貴方が、一人の令嬢に執心するようになってからは厳重に。
王家も公爵家との関係を、今以上に悪化させたくありませんでしたからね。
……同時に貴方に対する情もあったからこそ、この一件が長引いてしまった。
これは私と夫の落ち度です。ソシエ嬢とレーゼル家には申し訳ないことをしたわ」
「は……? はっ、」
「デイビス。ソシエはもう国に帰ることはないから。ソシエに代わって私が聞くわね?」
「え。母、上……?」
「──貴方はソシエに捨てられたの。
どんな気持ちかしら?
彼女は、貴方よりも素敵な男性に巡り合えたから。貴方なんかもう要らないのよ。
いつまでも他の女の尻ばかり追いかける婚約者など不要だものね。
婚約者に捨てられた、愚か者。
私と陛下。そして王太子と第二王子から、貴方への愛想は尽きています。
当然、ソシエからの愛想も尽きているのよ。
ねぇ、デイビス。間違っても彼女に縋りつこうと隣国へ行かないでね?
カーセル王国の王子の婚約者相手に、そんな事をしないとだけ信じたいわ」
「な……、ん……は、母上、兄上……」
王妃からデイビス王子に向けられた言葉を貴族たちは聞き届けた。
そこでデイビス王子の先行きを察する。
愚か者の王子を担ぎ上げる貴族も居るかもしれないが……神輿にする者が愚か過ぎれば共に沈むだけになる。
「ああ。婚約者の居なくなったデイビスと、それでも婚姻を結びたいと考えている者が居るなら聞いてあげるわ。ただ、私が先に言った言葉は撤回することはない。
陛下の気持ちも、私たちと同じだということは理解した上で考えなさい。
もし、誰からの声も掛からなければ……デイビスは、アイリス・ディートの子爵家を『男爵家』に降爵した上で婿入りさせます」
「えっ!?」
「は、母上!?」
「この言葉もまた国王陛下から伝え聞いた言葉です。また王命での言葉になることでしょう」
「そ、そんな……」
「王家も、公爵家も。見下されていい存在ではないのよ。デイビス・ベルウーズ。アイリス・ディート」
「あ……あ……」
王妃からの言葉と、家族からの冷たい態度に、ようやく己の立場を悟ったデイビスは膝から崩れ落ちた。
隣に立っていたアイリスもまたヘナヘナとその場に座り込んでしまう。
だが、そんな情けない姿を晒した彼らに、誰も手を差し伸べることはなかった。