第6話 瞬身
やはり行くしか……
1……右足を軸に反転、と同時にナイフを掬い上げ、体勢を低く斜め前へ3歩。
2……さらに4歩間合いを詰め、左で拳銃を押し、右のナイフを敵の喉元へ。
3……左で手首を捻りあげ、反応を見る。
「何の真似だ?」
「……」
彼女は人形のような瞳でナイフを見下している。
(無反応、だと? 状況が飲み込めていないのか? いや、この表情は……)
「……安心したわ」
「?!」
「試したのよ。これから敵地に乗り込むのに足手まといだと困るから」
確かに彼女が放った一撃は壁にオレンジを擦り付けている。そこはさっきまでの立ち位置だ。これをやってなければ肉と一緒にペイントまみれにされていたところだ。
彼女はチラリとこちらを見て口角を上げる。
「確かに脳の使い方を知ってるってレベルじゃないわね」
「……そりゃどうも。どうやら及第点は頂けたようで」
「噂には聞いていたけどこれが『瞬身』ね」
やはりこの女は俺のことを知っているようだ。どこまでこちらの能力が知られているのかは分からない。まさか今請け負っている任務の詳細までは知られていないはずだが油断は出来ない。
(それにしても瞬きひとつしないとは……何て奴だ)
彼女は掴まれた左手首をゆっくり振った。
それを掴んでいた手の握力を緩めようとして気付いた。
(この固さは……)
少なくともか弱い女性のそれではない。最も『か弱い』というのは死語だが。
「早く食事を済ませて貰えるかしら?」
「ん? あ、ああ」
「食べ終わるまでに潜入する方法を考えて」
「無茶言うな。相手はまかりなりにも軍隊だぜ。だいたいそれが出来るならとっくに商売替えしてるよ」
「必要なものがあれば言ってね。準備はこちらでするわ」
「だったら一個中隊用意してくれるか?」
彼女は無言でそれをスルーする。
やれやれ。冗談の通じない女は苦手だ。
「しょうがない。必要な物は後でリクエストする。それと振込も頼んでいいか?」
「振込? ワイロにするの?」
「いや。さっきのジイサンにだ。追加料金を払っておいて欲しい」
「いいわ。じゃ、待ってるわよ」
そう言い残すと彼女は高慢な女秘書のような足どりでキッチンを出て行った。
(さて、どうしたものかな)
R基地の詳細は入手出来た。セキュリティもたいしたことはない。この程度ならジイサンにとってハナクソをほじくるより簡単だろう。鼻血のリスクが無い分だけそっちの方が楽かもしれない。
* * *
だだっ広いダイニングで食うのも何なのでリビングに皿を持ち込むことにした。
フォークで肉を刺し、口に放り込む。
実に味気ない。なんだか留守番の報酬に肉を与えられた犬みたいな気分だ。
気晴らしに端末で最新のニュースをチェックする。
最新情報ではB国海軍が機体の一部とみられる物体を複数発見したとなっている。
(やはり墜落したことにしたいようだな)
タイミングとしてはそろそろかなと思っていた。そもそも破片がひとつも出てこないとなると疑われる可能性が高まる。現にこれまでは墜落に疑問を呈する意見も少なくなかった。中には「これは誘拐なのでは?」という真相に近付く推論もあった。が、それを裏付けるだけの情報が足りない為、相手にされていないだけだ。とはいえ余計な詮索を免れる為にもC国に対するアリバイの為にも墜落した機体の一部だけしか回収できなかったという既成事実は欲しい。そこでタイミングを見計らって機体の残骸を提示する…。
自分が首謀者なら多分そうするだろう。
(やはりB国軍はグルだな……しかし何が目的なんだ?)
問題はそこだ。誰が何の為にこんな大芝居をうつのか?
ナミが言っていた秘密組織の仕業?
(まさかな。『バベル』だと? 聞いたことも無い名前だ)
この商売を長くやっているとやたらと「裏組織の仕業だ」とか「背後に謎の組織が」とか胡散臭い話に出くわす。だが自分はそんな話は相手にしない。個人であれ組織であれ、所詮、目的はひとつ。『利益を得ること』必ずそれが動機なのだ。だからこそ今度の事件には違和感を覚える。
(旅客機を誘拐して誰が得をする?)
事件の全体像がはっきりしない中での強行突入は本意ではないが、本来任務を遂行するためには止むを得ない。
とにかく消えた乗客の確保を急がねばならない。その中に居る『標的』を見失う前に…。