第44話 月面基地
軌道ステーションまでは最高時速1200km、28時間をかけて昇ることになる。
定員60名のエレベーター内部はちょっとしたバーのような趣で、そのスペースを囲むように人数分の座席が窓に向かって配置されている。座席はリクライニングシートになっていて飛行機のファーストクラスにも引けをとらない。
最初の1時間はベルトを締めて座席で待機。その後、速度が安定したところで自由に室内を行き来できるようになった。
その途端に隣席のアメリカ人が興奮して窓にかぶりつく。
「こ、こ、これは絶景だ!」
太った男は妻らしき女性の袖をしきりに引っ張って景色を見るよう促した。が、女性の方は高所恐怖症とみえてあまり乗り気ではない。
「ほら! スザンヌ! 凄い! 凄いよ!」
「もうジェームスたら。分かったわ。分かったからもう少し静かにして」
「そんなこと言ったってほら!」
そんな調子でテンションが上がっているのはお隣だけではない。あちこちで感嘆の声や歓声が聞かれる。
「素晴らしい! 今度はあっちに行ってみよう!」
そう言ってジェームスは反対側の窓に向かう。このエレベーターは円形なので場所を変えれば360度、地上を見渡すことが出来るのだ。その様子を目で追っているとスザンヌと呼ばれた女性と目が合った。彼女は(主人が騒がしくてすみませんね)といった風に苦笑いを浮かべる。軽い笑顔を返して座席に深くもたれる。そしてナミのことを思い出した。
C国行きの機中でナミは『Fly me to the moon』を口ずさみながら「私も月に行ってみたい」と呟いた。あの時は「月になんて何もないさ」と応えたものの、今自分はこうして月に向かっている。
(もし彼女が生きていたら一緒に付いてきただろうか……)
水割りをチビチビやりながら、しばらく彼女のことを考えていた。
しかし酒をストローで飲むというのも妙な話だ。恐らく微少重力下で液体が飛び出すのを防止する為なのだろう。が、まだ半分も上昇していない。せめて重力が十分の一になるまでは好きなようにさせて欲しいものだ。
ふと視線を移すと窓の外で地平線が微かに丸みを帯びるのに気付いた。この高さでは海が一枚布のように見える。それはシワが寄った紺色のカーテンに似ている。また色の濃淡がくっきり仕分けされている様がよく分かる。恐らく雲の厚みと形によって地表に到達する日の光に差が出るのだろう。一方、海岸線では茶色と緑の連合軍が懸命に青の侵食を受け止めている。だがそれは、ちょっと大きな津波があれば簡単に突破されそうで心もとない。その防波堤の奥には錆びた銅版のような赤茶けた大地が少々。さらには幾つもの白い筋が黒の輪郭を伴って険しい山々の存在を知らしめている。恐らく白い部分は雪、そして灰色っぽい箇所は町なのだろう。こうしてみると人間の領域など実にちっぽけなものだ…。
かなりの速度で上昇しているはずなのだが窓から臨む光景に変化が見られなくなってきた。他の乗客達も景色を眺めるのに飽きてしまったようで室内は随分と落ち着いてきた。
(さて。少しぐらいは情報を仕込んでおくかな……)
何しろ予備知識ゼロで宇宙に送り込まれてしまうのだ。イタチ男が勝手に手続きをしてしまったせいでガイダンスだとか訓練だとかは一切、受けていない。流石に初めての宇宙でそれもまずかろうと備え付けのモニターで『初心者の方へ』のメニューを開く。だが、その内容はあまりにも退屈で直ぐに眠たくなってきた……
* * *
『到着まで約2時間です……』
そのアナウンスで目が覚めた。いや、正確には少し前からうとうとしていた。異様に心地よい空間に包まれて現実と夢の間を行ったり来たりしていたのだ。
姿勢を正して周りの様子を探る。
(……身体が軽いな)
もう重力がほとんど感じられない。その一方で身体の変化に気付く。まず、妙に顔がむくむ。熱っぽい。そして鼻が詰まる。
(ガイダンス通りだな)
そこではたと気付いた。身体を傾けてもその感覚が無い。試しに反対方向に傾ける。やはり同じだ。
……方向感覚が失われている。というよりそれが無いのだ。それに気付いてしまうとどちらが下でどちらが上なのか急に自信が無くなってくる。
(妙な気分だ)
それに方向感覚が無いと自らの身体と空間の境界線が曖昧になってくる。この場所に居るようで居ないような感覚とでもいおうか。座ったままなのに自分の身体があるべき場所に収まらない…。
飲み物を取ろうと手を伸ばす。腕の重さが感じられない。腕を上げるのにまったく力を必要としないのだ。油断すると必要以上に手を突き出してしまうような感触だ。これはまさにガイダンスにあった『微小重力下ではひとつひとつの動作が非常に重要になってきます』という注意事項そのものだ。今更ながらその情報の重要さを思い知る。確か『慌てず落ち着いて、ひとつひとつの動作をゆっくり区切って行いましょう』というくだりもあった。あの部分はこれのことを言っていたのか…。
微少重力の世界に触れて、はしゃいでいた乗客達もようやく事の重大さに気付いたのか室内は微妙な緊張感に包まれた。自分の座席に戻ろうとしていた人間が大げさに躓く。そして照れ笑いを浮かべながら歩き出そうとしてまた体勢を崩す。恐らく『歩く』という無意識の行為ですら油断するとつい床を強く蹴ってしまうのだろう。それを見て必要以上に多く備え付けられた『手すり』はこれの為だったのかと初めて気付かされる。
水割りの入ったカップの蓋を開けてみる。
(これは……)
カップの中では飲みかけの水割りが、まるで水中に出来た大きな気泡のように腰を浮かせてフルフルと震えていた。
窓の外に目を移すと地球の輪郭がはっきりと捉えられる。白く薄い雲を幾重にも纏った紺色は、その下に無数の生命を包括しているとは思えないぐらいに無機質に感じられた。そのせいかリアルタイムで見ているはずなのに静止画像を眺めているようだ。
(まさか肉眼でこれを見る日が来るとは思わなかったな……)
エレベーターは慎重に減速しながら軌道ステーションを目指す。慣性で乗客が天井に頭をぶつけないようにする為だ。
到着まであと1時間半。少し気を引き締める。
(ここからは未知なる領域だ……)
* * *
エレベーターを降りた我々新参者は真っ直ぐに別室に送られた。そこで『必要な手続き』を取らなければならないというのだ。それが具体的にどういうものかは皆知っているようだった。
軌道ステーションに到着した乗客が最初に受ける洗礼は殺菌処理である。出発前にも懇切丁寧な浣腸と遠慮の無い殺菌処理をされたのだが、ここでは一人ずつ狭い箱に押し込められさらに執拗な除菌を施される。大抵の人間は、まるで自分がバイキンにでもなったような気分になるというがそれは本当だった。また、メディカルチェックも徹底している。特に抗生ウィルスを持っていないかのチェックは念入りにされた。だがこれらをすべて受けないとステーション内を自由に歩き回ることもままならないのだ。
2時間近くを要してようやく最初の関門をクリアした。しかし、ステーション止まりの観光客はまだいい。月面基地へ向かう人間は、さらにまた2日間のメディカルチェックが待っているのだ。そう考えると心底うんざりした。
(やれやれ。ホテルでのんびり出来る連中が羨ましいもんだ)
そこで尿意を催したのでトイレを探した。
トイレの使い方は、初心者向けガイドでは最初に紹介されていた項目だ。それはある意味、誰もが避けて通れない問題。なので、バキュームで吸わせるのが基本ということは学んでいた。だが、実際にやってみるとこれが結構、難しい。微少重力下では身体を安定させるのにも一苦労する。それに下という感覚が完全に失われているので、本当にここで出してよいものか迷う。
(排泄ごときに不安になってしまうとはな……)
宇宙のトイレでは男といえども立ったままで用を足すことは出来ない。お行儀よく座ってことを済ませなければならないのだ。
便座に座ると使用者の体型に合わせて穴の位置と大きさが自動的に調整される。そして前方から筒が伸びてきてサオをすっぽり収めてしまう。そこでバキューム開始という手際の良さだ。さすがにこの一連の動きにはぎょっとした。
(何だこりゃ!)
『POW』のダイヤルは吸引力の強弱を調整出来るらしい。その隣の『SIZE』のダイヤルは筒の大きさを変えられるのだろうが……これは余計なお世話だ!
(しかし、すっきりとは程遠いな)
何だかオムツのお世話になったような感触でどうもしっくり来ない。これも慣れるしかないのだろうが先が思いやられる。
トイレを出たところで係官がすっと寄ってきた。
ここの係官はICCA(国際宇宙管理機構)が直轄する軍隊に所属する。彼等は月面基地を含む宇宙空間で唯一の軍隊である。その権限は絶大で例え大国の意向といえども彼等をコントロールすることは出来ない、と言われている。あくまでも表向きだが。
青地に白の係官の軍服には何やらごちゃごちゃと付属品が満載されている。どんな時にそれを使うのかは知らないが武装していることは間違いない。
係官は耳元で囁いた。
「ミスター・カイドウ。こちらへ」
そう声を掛けられて一寸、躊躇した。
(まさかもう目をつけられているのか?)
係官は軽く周囲を警戒しながら言う。
「ミスター・インプゥから命令されています。貴方を大至急、送り届けるように」
「……なるほど。手配済みというわけか」
「急いでください。時間がありません」
着いて早々にただ事ではない雰囲気だ。止む無く係官に急かされて別ルートに向かうことにした。
* * *
月までの移動はコンテナ・プレーンの定期便に一本化されている。これは月面基地への出入りを一元管理する為に設けられた国際ルールだ。したがって他のルートはすべて不法侵入として扱われてしまう。ここで法を犯した国はペナルティとして軌道ステーション及び月面基地の使用を全面的に禁じられてしまうので、どの国もこのルールに従わざるを得ないのだ。
コンテナ・プレーンは軌道ステーションの発射口から遠心力を利用して打ち出される。その後80分間加速を続け5時間かけて月に到達する。その際には軌道ステーションから月までレーザーを照射、予めプレーンの進むコースと位置を計算して障害物に衝突しないようにタイミングを見計らって発射される。正確には月まで飛行させるというよりは月に向かって大砲をぶっ放すのに近い。
全長48メートルのコンテナ・プレーンは胴長のラグビーボールの下部に小さな羽を6枚つけたような形状をしている。もともと物資の運搬に重きを置かれているので定員は12名と少ない。そのうち操縦士は一名。操縦といっても殆どが自動なので特に問題は無いらしい。その点はワンマンバスに乗っているのと変わりない。月に行くというのに何だか緊張感が足りないように感じられるのはそのせいかもしれない。
こうして特に意気込む訳でもなく淡々と月まで来てしまった。
地球から38万キロも離れてしまったという実感はまるで無い。ただ、船外の光景にはやはり目を見張るものがある。
(これが近くで見た月か……)
左手に太陽光を直に浴びた球面はなぜか女の白い肌を連想させた。
『月と女は良く似ている。その裏側は決して見えないという点において』
有名な歌の一節を思い出す。しかし実際に周回軌道に入ってから、その印象は幻想に過ぎないと思い直した。高度100キロから見下ろす月面は、まるで何百年もかけて錆付いた鉄球の表面のように見えた。それは美しさとは程遠い。そこに拡がるのは灰色のグラデュエーションのみで構成された静寂の世界に過ぎない。窪んだ部分と隆起した部分の境界は曖昧でそれぞれのスケールがいまひとつ把握できなかった。平坦ではないが変化に富むわけでもない。それは電子顕微鏡で見る細菌の表面を連想させた。
そんなことを考えながら船外の景色を眺めていると隣の男が急に話しかけてきた。眠っているとばかり思っていたのだが…。
「お前さん、月は初めてかい?」
「ああ」
「どうだい。見事に何も無いだろう。まあ、すぐに分かると思うがロクな所じゃない」
「そう言うあんたは?」
「8回目かな。出稼ぎでね。半年働いては半年休む。なんだかんだ言ってここでの稼ぎは悪くないからな。それに身体が楽なんだ。重力が少ないからな。地球でのんびり過ごしてても一ヶ月もすればここでの生活に戻りたくなるんだ」
男の年齢は40代半ばぐらい。よく日焼けした顔つきはスペイン人っぽい。聞けばやはりそうだと言う。
「俺の故郷のムルシア州じゃロクな仕事が無い。海面上昇でマール・メノール潟がやられちまってからは酷いもんさ」
マール・メノール潟といえば半月型の巨大な海水湖として以前はその名を知られていた。特に、砂州によって地中海と仕切られたこの海水湖が海面上昇によって失われてしまった時にはまるで世界の終わりが始まったといわんばかりにマスコミによく取り上げられていた。だが、今やそんな事例は珍しくもない。気の毒だとは思うが…。
その時、プレーンが着陸態勢に入ったというアナウンスが流れた。見ると、前方に人工物らしき場所が判別できる。緑っぽい色の半球。それはまるで砂漠の真ん中に放置されたカプセルのように見えた。
(あれがゼロ号基地か……)
いよいよ月面に降り立つ。
* * *
コンテナ・プレーンは予定通りの時間に月面のゼロ号基地に着陸した。
ほんの僅かではあるがここには重力が存在する。だが、ほっとした。正直言ってずっと落ち着かなかったのだ。まさか重力が恋しくなるとは思ってもみなかった。「失ってから初めてそのありがたみが分かる」とは良く言ったものだ。
ゼロ号基地は文字通り最初に作られた月面基地だ。また、月面唯一の宇宙船の発着場でもありICCA(国際宇宙管理機構)の本拠地でもある。したがって月を訪れる人間は必ずこの玄関を通ることになる。そのためゼロ号基地には病院などの施設が集中しているだけでなく商業的にも月面世界の中核として機能しているのだ。
言うまでも無く月は死の世界である。その表面には生物を養うだけの水も酸素もない。ゼロ号基地の初代キャプテンであるロベルト・ワーズバーグの名言を借りるまでもなく「宇宙は何も無いように見えて水素と放射能だらけ」なのだ。そこで月面基地は半径数百メートルのクレーターを強化ガラスでドーム型に覆う形で作られる。次に地面を掘り下げ、さらに放射能対策をしたうえで居住空間が設けられる。その際には水と植物の循環が最重要視される。いわば『小さな地球』をドーム内に再現するのだ。
こうやって作られた月面基地の数は現在で19。米国の7つは別格としても主要国はそれぞれ独自の基地を持ち、月面でのレアメタル採掘や月面でしか作れない製造物、例えば高純度の人造ダイヤやナノマシーンの工場を設けている。
コンテナ・プレーンで話をしたスペイン人はその第6基地の工場で働くことになっているそうだ。
「俺は一日休んでから第6基地に行くことになってる。それまでは暇なんでどうだい。良かったら案内するぜ」
ゼロ号基地のドーム内を歩きながらスペイン人の男はそう誘ってくれた。だが、自分は行くところがある。先ほど入管手続きの際に係官からの指示が端末に来たのだ。
「せっかくの申し出だが、あいにく予定が詰まっていてね。悪いがこのあと直ぐに人に会わなければならないんだ」
「そうか。そりゃ残念だ。色々案内してやりたかったんだがな。遊ぶところとかよ」
男はそう言うが、とてもそんな場所があるようには思えなかった。なぜならドーム内部に作られた都市は整然とした緑地に未来都市のような建物で構成されていて完璧に統括されているように思えたからだ。
「まるで味気の無い町並みだな。完璧すぎるというかロボットの国にでも迷い込んでしまったような雰囲気だ」
素直な感想を漏らすと男は小指を立ててニヤリと笑う。
「あるところにはあるのさ。所詮、人が住むところには自然とそういうものが出来る。自然の摂理って奴さ」
「なるほどな。ところで何で建物がみんなキノコ型なんだ?」
と、素朴な疑問をぶつけてみた。
「ああ。それはスペースを有効に使う為だよ。多分な」
「高層の箱物を密集させた方が容積率は上がるんじゃないか?」
「どうだろう。だけど重力が小さいからこそああいうのが建てられるじゃねえかな」
男にもその理由はよく分からないらしいが『椎茸』のような建物が互いに重なりながら並ぶ様はちょっと異様に思えた。もともと緑の占める面積が多い中でキノコが立ち並ぶというのは、まるっきりファンタジーの世界だ。まるで自分がゴブリンになってキノコの町を散策しているような感覚だ。それは空、正確には天井が青緑色をしているせいもあるのだろう。だが、道行く人々は特に気にするでもなく軽いステップを踏みながら器用に歩いている。彼等はまるで水中でジャンプするかのように身体を宙に投げ出してはゆっくり着地というのを繰り返して前に進む。歩き方を見れば月での経験の差が一目瞭然だ。かくいう自分も初心者に過ぎないので不恰好なスキップをするぐらいなら『すり足』で歩くことを選択するのだが。
「それじゃ俺は飯でも食って安ホテルで一休みするよ」
男はそう言って手を上げた。
「ああ。それじゃ」
軽く挨拶を返してそこで男と別れる。そして目的の場所に向かった。
* * *
指定された場所はドームの中心から離れたところにあった。周りにはまるで人の気配が無い。見たところ工場というより倉庫街のような場所だ。
しばらくすると端末に人の反応が表示された。月面でも端末機能の幾つかは使えるようだ。
「ミスター・カイドウ。お待たせしました」
そこに現れた男は英語で話しかけてきた。
「随分と寂しい場所に呼び出したもんだな」
「それは失礼しました。ですが止むを得ません。あなたの存在は極秘なので」
そう詫びる男はICCAの軍服を着ている。同じICCAでも軌道ステーションや月面エントランスの係官のそれが青地に白であったのに対し、この男のは薄い紫色を基調にしている。
「こんなものをぶら下げて極秘も何もないだろう」
そう言って左手首につけられた『輪っか』を示す。月に降り立つと同時に装着されたこれは恐らく所在確認の為のものだろう。ICCAがすべての人間を管理下に置く為に。
それを見て係官の男は苦笑する。
「申し訳ありません。一応、決まりなので……」
「まあ仕方が無い。それは諦めるとして、俺はこれからどうすればいいんだ?」
どうせこの係官もイタチ男の指示を受けているのだろう。
「はい。ミスター・カイドウにはこれから月面の裏に行って頂きます。」
「月面の裏だと? 何も無いところじゃないか」
「はい。表向きは未開発区域になっています。ですが一箇所だけアメリカがひた隠しにしている場所があるのです」
「……その噂は知っている。だが、そこに何があるんだ?」
「え? ミスター・インプゥからお聞きになっているのではなかったのですか?」
「予備知識無しに放り込まれたもんでね。文字通り右も左も分からないんだ」
「それは困りましたね。しかしこれは命令ですから。ご案内するしかありません」
アメリカが隠匿する場所……イタチ男が自分をそこに誘導しようとするからには何か理由があるのだ。そしてそれにはヘーラーが関与している。
係官は表情を引き締める。
「一刻の猶予もありません。間もなく突入の時間です」
思わず聞き返す。
「突入だと? 誰が?」
「我々バベルの精鋭部隊が封鎖地区に」
「ちょっと待て。まったく状況が掴めないんだが」
「私も詳細は知らされていません。ですが後で説明致します。とにかく急いでください」
そう言って係官は力強く背中を押してきた。
(やれやれ。月面基地を見物するどころじゃなさそうだな……)
何の準備をするでもなく、ただ慌しく流れに身を任せるより他はなかった。