第43話 カウントダウン
雨上がりの墓地は日差しのスポットライトを浴びて上気しているように見えた。
冬枯れの芝は疲れ果てた老人の頭髪のようにたなびき、なだらかな丘には墓石がドット模様のように整然と並んでいた。この辺りはまだ火葬が義務付けられていない。だが、土葬が禁じられるのも時間の問題だろう。水害が頻発する地域では衛生上の問題があるからだ。
NYで再会した時に彼女が名乗った『ジェーン・ギデオン』というのは本名だった。その名前で過去の交通事故を検索するとすぐに身元は判明した。その情報を辿ってこの墓地を見つけ出したのだ。
家族の眠る場所に埋葬してやること。
(それがせめてもの弔いだ……)
親しい人間の死に接するといつも胸の奥が空っぽになってしまう。さらにその空洞にはブラックホールのような引力があってあらゆる気力を奪い取ってしまう。そして残されるのは、脱力感、虚無感、無力感…。そこから立ち直るまでにはひたすら待つしかない。時の流れがその痛みを和らげるまでただ待つしかないのだ。考えようによっては生きるということは誰かの死を横目で見ながら忘れていくことの繰り返しなのかもしれない。それは何度経験しても決して慣れることはない。しかし、長く生きるというのはそういうことなのだ。
チャンがこちらの顔色を窺いながら呟く。
「ここも真新しい墓が多いですね」
「ああ。そうだな……」
「沢山のお墓があるけど中にはもう誰にもケアして貰えないものもあるんでしょうね」
バカみたいに人が死んでいく時代において墓を守る人間が途絶えてしまうなんてことは珍しくない。
「それは仕方が無いさ。そもそも墓というものは死んだ本人の為に作るもんじゃない。どちらかといえば残された人間の為のものだ」
「でもそれも寂しいですよね。お墓だけが残るなんて」
残念ながらこの墓もいずれはそうなるだろう。両親と妹を失ったナミには親戚ですら他人だったという。その彼女まで居なくなってしまってはこの不幸な一家を知る者はいずれ存在しなくなる…。
チャンは隣の墓に目をやった。そして供花に目を細める。
「アンカーさんは花を供えに来年もここへ来るんですよね?」
「いいや。定期的に花を届けるなんて真似はしない。俺は花屋じゃないからな」
「……またそんな冷たいことを」
そう言ってチャンは呆れたように首を振る。だが、本当にそんなつもりはないのだ。亡くなった人間の為にいちいち墓参りをしていたら、そのうち毎日が命日になってしまうだろう。特に自分の場合は…。
彼女と過ごした時間はあまりに短いものだった。それだけに彼女を愛していたかと問われればそれを肯定する自信はなかった。特別な存在というものがいつまでも特別であり続ける保証なんて無い。それは経験上、厭というほど思い知らされている。
「行くぞ。少年」
もう二度とここへ来ることはないだろう……そう思いながら墓地を後にした。
* * *
墓地を出て教会近くに停めてあった車に乗り込もうとした時だった。見覚えのあるシルエットに足が止まった。
(イタチ男……このタイミングで現れるか)
もはや驚きを通り越して呆れるしかない。チャンもイタチ男の姿を見つけて立ち止まる。
イタチ男はいつものようにスーツケースを片手にゆっくりとこちらに歩み寄る。
取り敢えず文句のひとつも言っておく。
「カナダに遠征したが酷い目にあったぞ。あんたがスポンサーでなければぶっ飛ばしているところだ」
するとイタチ男は瞬きをして「ほお」と、ひとつ返事を返した。
チャンはイタチ男とこちらを見比べながら首を捻る。
「どうしてこんな場所に……もしかしてナミさんの弔いに?」
イタチ男のことはチャンには少ししか話していなかったのだ。
イタチ男はチャンの言葉を無視して言った。
「想定外だった。ヘーラーの動きは予想よりも、早い。急がなければならない」
いつもは無表情なイタチ男が珍しくイラついているように見える。だが、こちらにも都合があるというものだ。今はとても仕事をする気分にはなれない。
「だからどうした。悪いがしばらく休養させてもらう」
そう断りを入れるとイタチ男は眉間にしわを寄せて続けた。
「インド洋の津波。あれは彼等の仕業だ」
イタチ男の突拍子もない言葉に呆れてしまった。
「バカな。何を根拠に……」
「一昨日の山崩れ。あれも彼等によるものだ」
「山崩れというのはチベットのことか?」
埋葬のことで忙しくてここ数日、世間の動きはほとんど把握していないが、チベットで大規模な山崩れがあったことは知っている。昨日はそのニュースで持ちきりだった。
「そうだ。あれは地震なんかではない」
イタチ男はそう断言する。だが詳しい原因はまだ解明されていないはずだ。それにインド洋の津波にしたって未だに諸説入り乱れている状態だ。
イタチ男は自らの端末を取り出して何やら操作をする。
「これを見ろ。一目瞭然だ」
そう言って彼が送ってきた映像を自分の端末で確認する。
(こ、これは……)
映像は上空から撮影したもののようだ。どこかの山のようだが、よく見ると山の右側が抉り取られているようにも見える。その隣には真新しいクレーターのような窪みが出来ている。映像は拡大・回転が出来るようだ。しかも3D…。
「これはクロウリーで撮影したものだな?」
イタチ男は頷く。
「そうだ。これはヘーラーの攻撃。津波も同様だ」
「馬鹿を言え。仮にこれが自然災害でないとしたらどんな攻撃だ? レーザー核融合を使用したとでも?」
そこでチャンが口を挟む。
「その人が言っていることは、あながち絵空事ではないかもしれませんよ。今、ネット上ではインド洋の津波もチベットの山崩れも隕石の落下が原因だっていう説が注目されています」
「おいおい少年。まさか、ヘーラーは隕石をも操るってことか?」
「いえ、そうとは言えませんが、少なくとも短期間に二度も隕石が落下するとは考えにくいでしょう」
チャンの言葉にイタチ男が大きく頷く。
「その通りだ。偶然ではない。それらは人為的なもの。一回目はテスト。そして二回目で彼等は成功した。バベルにとって最重要施設を破壊することに」
言っている意味が分からない。思わず疑問を口にする。
「最重要施設だと? まさかバベルの施設がチベットの山奥にあったというのか?」
その質問にイタチ男はまたしても頷く。
「そうだ。彼等は破壊した。バベルの塔を」
(なっ!? バベルの塔……)
思わず声を失った。
イタチ男は続ける。
「組織が山頂をくりぬいて秘かに建設した塔を、彼等は周辺の山ごと吹き飛ばしたのだ。驚くべき精度だ」
(バベルの塔。重要施設。まさか……発射台か!)
そこでチャンの顔を見ながらその推測を口にしてみた。
「バベルの重要施設。つまり発射台か」
そしてイタチ男の反応を窺う。するとイタチ男は表情を変えずに頷く。
「よく分かったな。そうだ。バベルの塔は発射台なのだ。組織の計画には必要不可欠。宇宙に資材を打ち上げる為に」
チャンの仮説は正しかった。らせん状の加速装置は資材を打ち上げる為のものだったのだ…。
「驚いたな。バベルは自前でそんなものを用意していたのか?」
「そうだ。とはいえモデルはあったのだ」
すかさずチャンが口を開く。
「イラン奥地のジークリッド」
イタチ男はちらりとチャンの顔を見て頷く。
「知っていたのか。なるほど。あれを見れば大体の想像はつくだろう」
チャンはイタチ男を睨みながら言う。
「とんでもない! まったく理解に苦しみます。あれは何なんですか?」
ちょっと間を置いてイタチ男が口を開く。
「神の創造。先人に習っただけだ」
(……なんと愚かなことを)
我々は絶句した。チャンがイランで見たバベルの塔。あの忌まわしき痕跡から想像される古の蛮行が繰り返されようとしているのか…。
イタチ男は我々の反応などお構いなしに話を続ける。
「宇宙空間に神を創ること。それが組織の最終目的だ。その為には低軌道上を完全に支配しなければならない。なんぴたりとも神に触れることは許されないのだ」
「クロウリーを乗っ取ったのもその一貫か」
「恐らくそういうことだろう。しかし計画の完遂にはあと数年は要するはず。軌道衛星の建設は準備段階にすぎない。それに肝心の神がまだ完成していない」
「……あんた等の言う『神』って奴はひょっとして脳みそのバケモノのことか?」
「そうだ。先人が創った神は108の脳が結合した集合体だったという」
突然、教会の鐘が鳴り出した。腹の底から尻の穴に抜けるような響き。その低く荘厳な音色は、まるでバベルの愚行を戒めようとしているようだ。
鐘が鳴り終わるのを待ってチャンがイタチ男を問い詰める。
「狂ってる! 脳を結合するだって? なんでそんな無意味なことをするんだよ!」
チャンはいまにも掴みかからんという勢いでイタチ男を睨み付ける。が、イタチ男は冷静に答える。
「確かに。彼等の方向性は間違っている。だから我々は組織と距離を置いた」
(我々? 単独ではないのか?)
ふとそんな疑問を持った。だが、イタチ男は一方的に話を打ち切ると我々に背中を向けた。その背中にチャンが罵声を浴びせる。
「待てよ! この変態野郎! お前らみんな頭がおかしいよ!」
そこでイタチ男が振り向く。
「月に行け。答えはそこにある」
彼は強い口調でそう言った。
「お断りだ」
唐突な命令にそう反発してみたのだが、イタチ男は意外そうな顔をする。
「なぜ?」
「ビールが飲めない所には行かない主義なんでね。月面基地は炭酸飲料が禁止なんだろう?」
二酸化炭素量を厳密にコントロールする月面基地では炭酸飲料などもってのほかなのだ。
「もう一度言う。月へ行け。そしてケリをつけて来い」
イタチ男はそう言うが月に降り立つには資格が要る。少なくとも3ヵ月、国際宇宙開発センターで適正検査と訓練を受けなくてはならないのだ。
「そんなに暇じゃないんでね。遠慮しておくよ」
「いや。既に審査は済んでいる。登録もしておいた。後はガラパゴス・フロートに行けば直ぐ通してくれる」
「そんなことを頼んだ覚えはないんだがな……」
ガラパゴス・フロートといえば軌道エレベーターの発着場だ。イタチ男は自分を月に送り込むつもりで準備をしておいたということか。
イタチ男は自分の車に乗り込む前に付け足した。
「カウントダウンはもう始まっている」
(やれやれ。どこかで聞いたような台詞だな……)
思わず苦笑した。が、彼の言うカウントダウンはもしかすると本当にのっぴきならない状況を指しているのかもしれない。それはヘーラーの計画が最終段階に入ったということなのだろうか…。
* * *
2049年に月面基地が完成して今年で三十周年になるという。そこに至るまでの過程を一言で表現すれば、それは大国の思惑による『妥協の産物』だ。その始まりは20世紀の米国・ソ連による宇宙開発競争に遡る。その後、両国の政治経済の変化を背景に月へ向かうモチベーションは大きく低下してしまった。この時点では投資額に見合うだけの魅力が月に見出せなかったのである。一方、2010年に完成した国際宇宙ステーション(ISS)は最終的に2025年まで現役を続けたが、結果的にこのプロジェクトに参加することが出来なかったC国とインドの闘志に火をつけることとなってしまった。彼等は独自に宇宙空間への進出に執念を燃やし、月面への到達を競い合ったのである。
だが、ここでスペース・デブリ問題が一気に深刻化してしまう。スペース・デブリとは宇宙空間に放置された廃棄衛星や切り離されたロケットブースターの残骸などのことであるが、2031年にEUが保有する軌道衛星がこれに衝突して機能不全に陥るという事態が発生したのだ。翌年には米国の通信衛星が破損、また退役したISSの不要なパーツが不法投棄されていたことが発覚した。それを受けてスペース・デブリの実態調査が本格的に実施され、その危険性が想像以上であることに各国は衝撃を受けた。そして『スペース・デブリに関する国際条約』によってロケットの打ち上げ等が制限されることになったのである。この条約によってC国とインドの宇宙開発熱もいったんは沈静化したようにみえた。しかし2037年に実用化された軌道エレベーターが新たな局面を開くこととなる。
ロケットの打ち上げよりも圧倒的にコストパフォーマンスに優れる軌道エレベーターは条約の後ろ盾もあり、短期間に世界中の打ち上げを独占的に請け負うことに成功した。その開発・運営は米国の民間会社『スペース・ブリッジ』社が行っていたのだが、それに目を付けたC国は国家予算を投じてブリッジ社の株式を買占めた。それに対抗するために米国がSブリッジ社に必要以上の第三者割増増資をさせた結果、世界中の資本が流入して、軌道エレベーターの開発・改良をさらに促すこととなった。そして2043年には軌道エレベーターの宇宙側発着場が拡張を重ねて『軌道ステーション』が完成したのである。
軌道ステーションの存在は各国の月への進出を強力に後押しすることになった。なぜなら従来は地球上から月へ行くまでに多大なエネルギーを消費していたのだが、これが完全に解消したからである。これは非常に大きい。時速28000キロメートルで軌道を周回する軌道ステーションから遠心力を利して宇宙船を打ち出すことで月への道のりはぐっと短縮される。これらのコンテナ・プレーンのおかげで人類は月への資材運搬という手段を手に入れることが出来たのである。
このような下地があって月面基地が現実のものとなったわけである。
* * *
ガラパゴス・フロートにはチャンが見送りに来てくれた。
スペース・ブリッジ社が運営する軌道エレベーターの発着場はガラパゴス諸島に作られた巨大な人工浮遊島にある。進化論や世界遺産で有名なこの地に軌道エレベーターを建設することには多くの抵抗があったものの、エクアドル政府の強い意志によってこの巨大プロジェクトは実行されたのである。
この発着場には軌道ステーションまでの観光客と各国の技術者が世界中から集まる。そのおかげで出発ロビーはまさに人種のるつぼだ。
チャンが物珍しそうに辺りを見回して感心する。
「思ったより凄い人の数ですね。これじゃあ警備する方も大変だろうなあ」
確かに警備ロボットの数が半端ではない。過剰とも非難されるテロ対策の体制ではあるが場所柄それも止むを得ないところだ。
チャンがクスリと笑いを漏らす。
「けど、こんな厳戒態勢でもアンカーさんみたいな危険人物はスルーなんですね」
「言ってくれるな、少年」
「お願いしますよ。人類の命運がかかってるんですから」
「よせよ。そんな大げさな」
するとチャンは真顔で首を振る。
「いいえ。ヘーラーを止められるのはアンカーさんしかいません」
いまだに半信半疑ではあるものの、イタチ男が指摘したヘーラーの手による『カウントダウン』は確実に進行しているようだ。現にここに移動するまでの一週間、米国とC国で立て続けに大地震が発生した。表向きは『地震』だが、もはやそれが自然的に発生したものでないことは明白だ。
(ヘーラーによる攻撃……)
果たしてそれがイタチ男の示唆するように宇宙空間からの攻撃によるものなのか、それを確かめなくてはならない。
出発の時間が近付いてきた。
「そろそろだな。それじゃ行ってくる。ひょっとしたら片道キップかもしれんがな」
半分は冗談、残りは本音だ。
それを聞いて心配するチャンに尋ねた。
「少年。これからどうするつもりだ?」
NYの住処は、ほとぼりが冷めるまでは使えない。また、サァラとはカナダで別れたきりだ。それにチャンが望んだとしてもバベルに所属するサァラと行動を共にするのも難しいだろう。
が、チャンは意外にもサバサバした表情で答える。
「大丈夫です。もう決めました。僕は精一杯あがいてやろうと思います。例えこの世界がどんなに酷いものになったとしても。せいぜい最後の瞬間まで生き残ることに執着してやりますよ」
それを聞いてサァラの言葉を思い出した。彼女も同じようなことを言っていた。
「なるほど……いい返事だ。自分の意思で生きる、か」
「はい」
「少年。成長したな。誰かの命令で動いているうちはまだまだヒヨッコだ。だが自分自身で考えて行動する。そして結果がどうであれそれを甘んじて受け入れることが出来るようになったなら……お前さんはもう立派な男だ」
「……はい」
チャンの目に涙が浮かんだ。
「いつまでも『少年』は、無いな。もう会うことはないかもしれんが、せいぜい頑張って生きろよ。少年」
チャンは唇を噛んで笑顔を作った。
「何言ってるんですか。ほら。また『少年』って言ったし」
「ああ。すっかりクセになってしまったようだ」
恐らくこの別れが最後になることは互いに予感していた。今度ばかりは生きて帰ってくる自信が無い。それに大津波、山崩れ、二度の大地震で『世界の終わり』に対する世間の不安は急速に拡大している。どちらの境遇も予断を許さない。
「じゃあな。チャン・バステン」
そう最後に声を掛けて出発ゲートに向かう。
背中にチャンの視線を感じながら…。