第42話 トリガー
銃を握る手のひらに冷たい汗がまとわりついた。
まるで迷いが汗となって染み出すようだ。しかしサァラは顔色ひとつ変えない。こんな近距離で銃口を向けられているというのに…。
彼女は軽く首を竦める。
「それは父の意向?」
「……そうだ」
「そう。タゴール家の名を汚したくないってところかしら」
「そうじゃない。見極めることが俺の役目だ」
その言葉にサァラの目つきが鋭くなった。そして何か言い返そうとして……結局、口をつぐむ。
いったん銃を下ろして説明する。
「クライアント、いや君の父上は『あの子はルドラの生まれ変わりかもしれない』と言っていた」
「ルドラ……破壊神『シヴァ』ね。なるほど。私がテロリストになるとでも思っていたんでしょうね」
「いいや。シヴァは単なる破壊神ではない。世界の終わりにすべてを破壊して次の創造に備える神でもあるんだ。俺もヒンドゥー教に詳しい訳ではないんだがな」
それを聞いてサァラが驚いたように顔を上げる。が、すぐに顔を背ける。
「……興味ないわ」
「君の能力は群を抜いている。クライアントがその将来を危惧するぐらいにな。もし君が過った方向に進むようならそれは親としての責任を果たせなかった自分の罪だとクライアントは考えていたようだ」
「それであなたに裁きを?」
「そういうことだ」
「それで? どういう判決をくだすのかしら」
「正直、自分でも決めかねている。だが、ここで引き金を引いた場合、俺はもう一度同じことを繰り返さなくてはならない」
「……どういうこと?」
「この後、インドに行って君の父を撃つ。そういう条件だ」
サァラはしばし考え込むような素振りをみせた。そして吐き捨てるように首を振った。
「……バカなことを」
サァラと対峙しながらクライアントの話を思い出していた。この奇妙な依頼の背景となるサァラの生い立ちを…。
サァラが生まれる2年前、不妊に悩んでいたタゴール夫妻のもとにある提案がもたらされた。それはC国の秘密プロジェクトである『特別な人工授精』を試してみてはどうかというものだった。本来、このプロジェクトはC国でも限られたカップルしか参加が許されない。しかし、サァラの母『スイリン・タゴール』はC国有数の名門一家の出で、彼女にはプロジェクトに参加する資格があったのだ。
タゴール夫妻は悩んだ。結婚して5年。子宝に恵まれなかった夫妻にとってその誘いには抗い難い魅力があった。なぜなら『特別な人工授精』は、受精卵に遺伝子操作を施すことで生まれてくる子供の能力を超人的に高めることが出来るという触れ込みだったからだ。タゴール夫妻は考えた。人工授精だけならインドでも出来る。しかし、益々混沌とするこの世界で生き残ることは大変だ。であれば、せめてわが子には特別な力があった方が良い。そう考えて夫妻はC国のプロジェクトに参加することを決意したのである。
そして2年後にサァラが生まれた。待望の赤ちゃんを前にタゴール夫妻は幸せの絶頂にあった。だが、それは長く続かなかった。サァラが3歳になる頃にC国から召集がかかったのである。当然、タゴール夫妻も警戒はしたものの『重大な病が発症する可能性がある』と言われてしまうと検査を受けない訳にはいかなかった。そこでタゴール夫妻は絶望させられる。サァラには明らかな異常が認められるので長期入院を要すると判定されてしまったのだ。しかしそれはC国の罠だった。入院期間の半年が1年、1年が2年と伸び、サァラはタゴール夫妻の手から無残にも奪われてしまった。その間にタゴール夫妻はあらゆるルートを通じてわが子を取り返そうと試みた。だが、子供を人質に取られてしまうと親は何も出来ない。結局、年に数回しかサァラに会うことが許されなくなってしまってからタゴール夫妻は自分たちが取り返しの突かない過ちを犯してしまったことに気付いたのである。
それから数年後、失意の夫妻に追い討ちをかけるような事実が知らされた。その内容は極めて残酷なものであった。特異な遺伝子を持つサァラには一生、子供を生むことは出来ないという事実…。それは特にサァラの母であるスイリン・タゴールを心底、苦しめた。彼女は不妊に悩んだ自らの経験を思い出し、わが子の不幸を呪った。そして3年前に病気で亡くなるまで己の罪にもがき苦しみ、娘のことを心配しながら息を引き取った。そんな彼女のたった一つの願い。それは『サァラが普通の女の子として幸せになること』だった。
そして最愛の妻の死を看取ったクライアントは決意した。
『もし、妻の願いが叶わないのならば、自分は娘を道連れにして妻のもとに逝く』
その台詞を口にした時のクライアントは相当思い詰めていたように見えた。が、それが本心かどうかは分からない。他にも理由があるのかもしれない。もっと決定的な理由が…。
長い沈黙の後にサァラがため息をついた。その様張はまるで自らの運命そのものに呆れ果てているようにも見えた。彼女が今何を思い、この後どういう反応をするのかは読めない。
「サァラ。最後に聞かせてくれ。君はこれからこの世界をどうしていくつもりなんだ?」
「どうするって……そんなつもりはないし、私にそんな力はないわ」
「いいや。君がその気になればバベルを変えることは十分に可能だろうよ。それだけでも世の中に大きな影響を与えることができる。それに君ならヘーラーとも互角に渡りあえる。奴等は君の遺伝子を心底欲しがっているからな」
「……知ってるわ。ちっとも嬉しくないけれど」
「分かってくれ。君をヘーラーに渡す訳にはいかないんだ。おそらく奴等は君の遺伝子を手に入れたらもっと露骨にこの世界を終わらせようとするだろう」
「だから私を消すと?」
「……それもある。だが、自分でもどうすべきか分からない。正直に言って判断材料を欲している。だから答えてくれないか? 君はこの終わり行く世界で何をしたいんだ?」
そう言いながら、きっかけを求めている自分に気付いた。きっかけというよりは言い訳に近い。本当はもう結論は出ているのだ。この馬鹿馬鹿しい依頼にうんざりしていること事態、結論はおのずから…。
サァラがぽつりと呟く。
「強いて言うなら……可能な限り生きたいと思う。それだけよ」
それは意外な答えだった。彼女にはもっと野心があると思っていた。
「バカな。だったら今までの行動は何だったんだ? すべて組織の命令だったとでも? 何か思惑があって動いていたんじゃないのか」
「かいかぶりすぎよ。私は私という存在を肯定していないけど人並みに『生きたい』という意志はあるわ」
「悲しいことを言うなよ。自分の存在を否定するなんて」
「だって作られたモノでしかないから。偽りのレーゾン・デートゥル(存在意義)よ」
「……随分と自虐的だな。考え方によっては只ならぬ能力を与えられているというのはそんなに悪いもんじゃないと思うがな」
「そうかしら。例えば私たちは脳幹の太さが常人の1.8倍あるわ。平均して。でも何の為にそんな遺伝子操作をされたか知ってる?」
脳幹といえばC国の病院でみたアレを連想する…。
「脳幹結合……連結に耐えうるようにする為、か」
「……知っていたのね」
「ああ。君の上司にも会ってきた。それで君がここに派遣されていることを知った。てっきりテロを止める為だと思っていたんだがな」
「そんなことをしても何も変わらないわ。例え今回は阻止できたとしても彼等はまた別な場所で同じようなことをするに違いないから。だったら見守るしかないでしょ」
「なるようになる、か。その点は同意する。だが、少なくともヘーラーのテロを見逃すのは頂けないな。どういう影響があるかは未知数だが、この地下で核爆発を起こすのは世界の終わりを早めることになりかねないぞ」
「そうね。この実験にあまり意味があるようには思えないけど、近い将来大きな被害が出る可能性はゼロではないわ。でも干渉はしないの。仮に自分がそれに巻き込まれたとしても。それはそれで甘んじて受け入れるつもりよ。」
やれやれ。チャンが聞いたら卒倒しそうな話だ。チャンはサァラに心酔している。だがそれは過剰な期待に過ぎなかったのかもしれない。
「サァラ。君は世界の終わりを本当に信じているのか?」
「そうね。確かにこの世界はもうすぐ終わるかもしれない。それは多分、誰にも止められないと思う。でも、例え滅び行く世界だとしても『私たち』はその中で可能な限り生き残ることだけを考えるわ」
今、彼女は確かに『私たち』と言った。少なくとも『私』ではない。それにこんな世の中であっても自分達は精一杯『生きたい』という強い意志。それは中々、口に出して言えることではない。むしろ潔い。若さゆえということも出来る。だが、少なくともバベルやヘーラーのような後ろ向きな利己主義とは正反対のものだ。
(この子がどういう風に成長するか……やはり可能性は無限、か……)
そこで銃を捨てた。
「分かった。はじめから撃つ気はなかったよ。ただ、君は誰にも心を開かないと聞いていたからな。最後に本心が聞けて良かった」
サァラは捨てられた銃を眺めながら含み笑いを浮かべる。
「演技かもしれないわよ」
「フン。目を見れば分かるさ。これでも色んな人間を見てきたからな。何十年と」
「そう。じゃあ好きにさせてもらうわ」
「いいだろう。クライアントには報告しておく。もう会うことは二度とないだろうが、自分のやりたいようにやればいい。君は自由だ」
これで肩の荷が下りた。恐らくこの結論にクライアントも異は唱えないだろう。
と、その時だ。
「そうはいかない」という第三者の声が背後から聞こえた。
誰だと思って振り返る。いつの間にか入口の所に大男が立っている。
(その趣味の悪い軍服は……チョビ髭か!)
果たしてその男はヘーラーの手先、チョビ髭大佐だった。
大佐は髭先を撫でながらご機嫌な様子だ。
「フフン。我ながら良い判断だ」
そこで兵士が十人ほど足音を響かせて中になだれ込んできた。そしてチョビ髭大佐の前に人の壁を作って自動小銃を構えた。
チョビ髭大佐は得意げに言う。
「我々が撤退した後にここに近付くヘリがあったんでな。もしやと思って引き返してきたんだが、まさか『ミラクル・クロップ』が居るとはな! 思わぬ成果だ」
この男にはB国と米国でそれぞれ大きな借りがある。
「B国といい米国といい見掛けによらず『売れっ子』なんだな」
嫌味でそう言うと大佐は自信たっぷりに言い放った。
「組織に期待されておるのでな! 優秀な者ほど忙しくしているものだよ」
「……あいにくだがサァラは渡さんぜ」
「ほう。死に損ないの君に何が出来ると? 言うまでもないが抵抗するなら……殺す!」
敵はチョビ髭大佐を入れて12人。倒せない人数ではない。だが、この場所では狭すぎる。発砲を許してしまうと流れ弾や兆弾に触れてしまう。
(短期勝負だな……)
ポケットに忍ばせていた収納型刃物を右拳に移す。左手にはアイスピックを握る。そして右から順番に片付ける為の手順を組み立てる。
と、その時、乾いた破裂音が響いた。
そしてチョビ髭大佐がぶっ倒れるのが目に入った。しかも横倒しになる直前に頭がブレたように見えた。
(……何だ?)
周りを見回して入口方面に目が留まった。そこには銃を構えるナミの姿があった。大佐を撃ったのはどうやら彼女らしい。
指揮官を失った兵士達はどうしたものかといった風に互いの顔を見合わせるばかりで撃った彼女を拘束する素振りもない。そんな兵士達を押しのけて彼女がツカツカとこちらに歩み寄ってくる。
「おいおい。ヘリで待機していろと言ったはずだが?」
一応、そうは言ってみたものの彼女は悪びれもせずに言う。
「大人しく言い付けを守るタイプだと思う?」
「いいや」と、軽く首を竦めて彼女を迎える。
「あんまり連絡が無いから穴に落っこちたのかと思ったわ」
ナミはそう言うが実際のところはチョビ髭大佐達が穴に入っていくのを見て追いかけてきたのだろう。最も彼女の性格だと「心配だから来た」とは決して口にしないだろうが。
彼女と会話をしながらも兵士達が妙な動きをしないように睨みを利かせる。指揮官を突如失った兵士達はオロオロするだけで、とても反撃しようという意気込みは感じられなかった。
彼女が立ち止まってサァラを一瞥する。
「その子がサァラ・タゴールね? 噂の」
その言葉に悪意は無いのだろうが、どことなく冷たいような言い方だ。
「そうか。会うのは初めてか?」
「ええ。実物は意外と華奢なのね。普通の女の子じゃない」
ナミの登場にもサァラは特に関心を示さなかった。一寸、妙な間が空いた。ヘーラーを離れたナミにとって、今さらサァラに用は無いはずだ。
ナミが装置を眺めながら尋ねる。
「結局、これはどうなったのかしら?」
その質問に対して、一瞬、サァラの目が見開かれた。
「どうした?」と、いう言葉が銃声にかき消された。
振り返るが兵士達は誰も銃を構えていない。
(じゃあ今のは誰が……)
そう思った瞬間、右手に銃を持つチョビ髭大佐の姿が目に入った。
「なんだと!?」
大佐は顔の右半分を血に染めている。頭を撃たれたのではないのか?
(まさかナミが仕留めそこなったとでも……)
チラリとナミの方を見た時だった。彼女の視点がおかしいことに気付く。
「ナミ!」
倒れそうになる彼女を抱きかかえる。その時、左の手のひらに粘性のある温もりを感じた。
(血……)
背中を撃たれたようだ。
ナミが苦しそうに声を漏らす。
「忘れてたわ……不死身の大佐……」
その言葉の意味は良く分からない。しかし、確かにチョビ髭大佐は生きている。
ナミの身体を支えながら大佐を睨む。
「貴様……」
それに対してチョビ髭大佐はアゴをしゃくってみせる。
「お返しだ。不意打ちの。だが残念だったな。私に銃撃は効かん」
ナミが声を振り絞る。
「噂は本当だったみたい……たぶん、頭の骨にもグラフェンか何か防弾素材を埋め込んでるのよ」
「無理に喋るな。分かったから」
そう言い聞かせてそっとナミを床に寝かせる。そしてチョビ髭大佐を挑発する。
「防弾素材で全身をコーティングだと? お前はアーモンド・チョコレートか?」
大佐は口元を引きつらせる。
「以前、戦場で全身に大やけどを負ってな。治療ついでに改造したまでだ」
「手品の種にしては単純だな。聞いて呆れる。ただの『ヘタレ』じゃないか。何が不死身だ」
「フン。なんとでも言え。とにかくこれで裏切り者の始末も出来た。我ながら感心する。実に効率的だ」
そんな大佐の言葉を耳に受けながらナミの髪を撫でた。まだ息はある。彼女は胸ポケットから何やら取り出して目で訴える。
(それは……)
彼女が差し出したのはB国で追っ手をまく為に使ったペンシル型の閃光弾だった。
(これを使えという事か……)
閃光弾を受け取り、ゆっくりと立ち上がる。
怒りというには冷たい、冷え切った感情が身体の芯で沸々と湧き上がる。それは自分でも抑えきれない邪悪な衝動だ…。
目を閉じて息を吸い込む。そして宣言した。
「ひとつだけ忠告しておく。目を閉じるな。死ぬぞ」
その言葉に兵士達が半笑いを浮かべる。
その面々を一瞥してもう一度目を閉じる。そして閃光弾を宙に放った。
耳を澄ませて待つ。
1、2、3秒……「うわっ!」という短い叫びが複数。それを合図に目を開く。
(全速で殲滅する!)
1……右端の兵士に向かって加速、その首筋に刃物の先端をぶつける。刺す必要は無い。
2……反転して2番目3番目の間に割って入る。すれ違いザマに双方の首を掻き切る。と同時に踏ん張って4,5番目の兵士へ突進。
3……首と首を最短で結ぶように右を振り抜く。そのまま6番目との距離を詰める。
4……6番目を越えてその先の7番目へ。6番目の後頭部には左のスピックを突きたてて引っ掻く。
5……回転しながら7、8、9番目の首を右で刈る。10番目の位置を確認して狙いを定める。
6……10番目を左のひと突き、11番目は右の手首を返しての切断で片付ける。
7……離脱して大佐の位置を把握。
いったんここでストップ。自らが取ったルートを見る。まるでスローモーションのように11人の兵士から血が噴出した。次々と倒れていく兵士達を眺める。5倍速で当てた切っ先は兵士達の首筋に深い切り口となって致命傷を与えているはずだ。
こめかみに激痛を感じたがこれで終わりではない。
「むう……」と、大佐が呻いた。が、こちらの位置には気付いていない。当たり前だ。只でさえ目で追えるスピードではない。そこに閃光弾のダメージだ。恐らく、敵は何が起こったのか理解する間も無かったろう。
ぐらつく足元を抑え、大佐に向かって声を掛ける。
「貴様は特別だ」
大佐がこちらに気付く。そこに急加速で接近する。
「な、ななっ!」と、目を白黒させる大佐。
その腹に左のスピックを突きたてる。が、刺さらない。
(ここもコーティングか? ならば……)
武器を捨て、両方の拳を強く握る。全速・全力の拳を叩き込んでやる!
1秒……2秒……3秒……
その腹にひたすら拳を打ち込んだ。
8秒……9秒……10秒……
大佐の身体が下がって拳への抵抗が弱まったところで連打を止める。
1秒間に十数発、それを10秒以上続けた。短時間に5倍速パンチを集中させれば表面は破れなくとも衝撃は内臓に伝わる。恐らく粉々になったアバラ骨が内臓を引っ掻き回しているはずだ。
うめき声をあげながら大佐が後ずさりする。腹を抱え、苦悶の表情を浮かべた大佐の口から大量の赤い泡が吐き出された。自慢のチョビ髭が赤く染まるのを見届けてから急いでナミの所に戻ろうとした。5倍速を使った反動で頭は割れるように痛む。いっそのこと本当に割れてしまった方がマシなのではないかというような痛みだ。目眩のせいで視界が極端に狭まる。ナミを寝かせた場所まではたった数メートルの距離だというのに、そこに辿り着くまでに余計な時間を要した。ふらつく足取りをなだめながらナミの側に寄ると、サァラが無言で止血を試みているのが分かった。だが、サァラは顔を上げると悲しげな顔つきで微かに首を振った。
(……ナミ)
それが致命傷であることは分かっている。だが、今は彼女を連れ帰らなくてはならない。
その時だった。一瞬、室内が真っ白になった。続けて地鳴りのような音が辺りを支配する。
「これは……まさか!」
そう思ってサァラの顔を見る。
「時間だわ……」
大きな揺れが地の底から突き上げてくる。合わせて激しい横揺れが始まった。
サァラが眉を顰める。
「彼等は60時間前にここから気球を飛ばしたの。ちょうどそれが最深部に達する頃よ」
「気球だと?」
「この装置は気球を遠隔操作する為のものよ」
「その気球というのは……レーザー核融合の装置付きか」
「ええ。驚くぐらい小型化されてるわ。それを遠隔操作で穴の最深部に送り込んで爆破する。その為に彼等はここで何ヶ月もかけてこの穴を相当調べ上げてた」
「奴等、それを本当に爆発させやがったのか!」
「私が来た時にはもう爆発は止められない状態だった。気球の軌道を変えて爆破ポイントをずらすのが精一杯だったわ」
「それで君はここに残っていたのか……」
少し誤解していたようだ。何もサァラは指をくわえて見ていた訳ではないのだ。
「いずれにしてもここは危険ね。早く出た方がいいわ」
「そのようだな。が、その前に……」
このままの状態でナミを抱えて脱出するのは難しい。少しでもスピードを上げる為に、彼女の手足を置いていくことにした。まず、脇の下のスイッチを手探りで探す。そして、両腕を外すことに成功した。
「なっ……」と、さすがのサァラも驚いたようだ。
続いて両足を外す。これで大分、軽くなるはずだ。両手両足を取り去られたナミの身体は随分と小さく見える。
それを見てサァラが表情を曇らせる。
「驚いたわ……まったく気がつかなかった」
「複雑な事情があるんだ。だが説明している暇はない。行くぞ」
ナミの身体を抱えてここを脱出する。
揺れは断続的に襲ってくる。小さな揺れはまるで子供の食べこぼしのようにポロポロと壁面から細かい岩を落とした。大きなものはまるで暴れ牛がカウボーイを振り落とそうとするように全身を振るわせ、容赦なく足元を揺らす。
ゴンドラまでの道のりは平坦ではなかった。暗い中を2倍速での移動は大変だったが何とかここまで来られた。ゴンドラ乗り場があるキノコ岩は既に三分の一ぐらいが失われている。足場が崩れてしまう前にゴンドラに飛び乗る。
(肝心の機械が動いてくれればいいんだが……)
幸いなことに装置はまだ生きていた。
「急げ! のんびり巻き上げている場合じゃないぞ!」
機械に向かって叱咤激励する。
ゴンドラが上昇する間にチャンに連絡する。
「少年! 直ぐに飛び立てるようにスタンバイを頼む!」
『ちょ、ちょっと! いきなり何ですか。今まで音信普通だったくせに』
「いいから言うとおりにしろ! 操縦は任せる!」
『え? ナミさんは?』
「負傷している。かなり危険な状態だ」
『そんな……って、うわっ!』
そこでまた大きな揺れが生じる。それにつられてゴンドラも激しく左右に揺さぶられる。
「クソッ! 出来ればヘリで迎えに来て貰いたいんだがな」
『そ、そんな無茶な! それに大体、この揺れは何なんですか? やっぱりこれは核融合なんですか?』
「そういうことだ。この調子じゃ無事に上まで辿りつけるか怪しくなってきたな……」
最大速度でゴンドラは地表に向かっているのだが、まっ直ぐに上昇しているとは言い難い。割れ目から見える外の光は目に見えて大きくなっていく。やがてゴンドラを吊り下げる支柱の形が判別できるまでの距離になってきた。
(あとどれぐらいだ?)
あの支柱が抜けてしまったら一巻の終わりだ。
「この揺れ方は……」
サァラが下を覗き込みながら呟いた。
「どうした?」
「マグマを刺激してしまったような揺れだわ。爆破ポイントはずらしたはずだけど……」
「まさか本物の地震を誘発しただと?」
「爆縮にしては長すぎるわ。行き場を無くしたエネルギーが地中に溜まってる可能性もあるけど」
「クソッ! まだか……」
ナミの体温がどんどん下がっている。顔色も真っ青だ。微かに息はあるようだがとても人間を抱いているようには思えなかった。
(もう少しだ。あともう少しで出口だ……)
そう思った瞬間、またしても大きな揺れに襲われた。と同時に上の方で何かが外れるような厭な音…。そしてゴンドラが止まってしまった。
「何だ! あと数メートルじゃないか!」
動かない。ここまで来て立ち往生か!
サァラがワイヤー付フックの発射装置を取り出した。それはロッキー山脈で自分が使ったやつと同じものだ。だが、自分は今回それを持っていない。
「私はこれがあるから先に上がるけど……」
「遠慮するな。そいつは一人用だからな。君は先に脱出しろ」
「何とか引き上げられれば良いんだけど」
「頼むよ。あまり期待はしていないがな……」
サァラは発射装置からフックを打ち出して穴の縁にうまく引っ掛ける。そしてワイヤーを巻き上げながら自らは壁をキックして器用に上へ上へと登っていく。
(上手いもんだな)
感心しながら上を見上げているとガクンと足元のバランスが持っていかれた。ゴンドラが大きく傾いてしまったのだ。良く見ると二本ある支柱のうち片方が大きく傾いている。そのせいでゴンドラを吊り下げるワイヤーの長さに差異が生じてしまったのだ。
(サァラは間に合うか……いや、これは持たない)
ゴンドラの傾きは止まらない。傾いた支柱が動き出したのだ。もし、あれが抜け落ちてしまったら……ゴンドラごと落下に巻き込まれてしまうことは必至だ。
目に入ったのは岩の出っ張りが数箇所……足場になるかどうかギリギリだ。曲芸じみた方法だがあれを踏み台にして上を目指すしかない。当然、ひとつでも踏み外すと真っ逆さまだ。
(無茶だが……やるしかないか)
迷っている時間は無い。
全速のクロックアップでどこまでやれるかだ。どちらの足でどの出っ張りを踏むのかをイメージする。
(南無三……)
運を天に任せて最初のジャンプに集中する。
1……右斜め上の出っ張りに右足を乗せる。体重移動してジャンプ。左横の岩へ飛ぶ。左足の位置を調整して今度は大きめに右へジャンプ。
2……右斜め上の出っ張りに右足を乗せる。壁から離れすぎないよう空いている左手で岩を手繰り寄せる。そしてまたジャンプ。
3……左、右、左、体勢を整えてまた右。左……
(しまった!)
足裏で岩が崩れるのを感じた。すぐさま右で壁を蹴って左手でゴンドラのワイヤーを掴む。
(!……滑る)
あと2メートルだというのに…。右手でナミを抱いている状態での宙吊りは辛い。左腕一本で体重を支えながら足場を探す。何とか足を掛けられそうな箇所はあるがワイヤーから手を離せる余裕はない。このままではにっちもさっちもいかない。やはり思い切って脚力だけで蹴り上がるしかない。
そうこうしているうちに傾いていた支柱が大きな音をたてて一気に傾いた。その勢いでこっちが握っているワイヤーにも激しい振動が伝わった。
(クソッ! 握力が……)
その時、上からサァラの怒鳴り声がした。
「早くそっちを握って!」
見るとワイヤーの先に付いたフックが目の前でブラブラしている。おそらくこれはさっきサァラがここを登る際に使ったやつだ。それに全体重を預けるのは少し躊躇われたがそんなことを言っている場合ではない。ここはサァラを信じるしかない。
「頼むぞ……」
意を決し、ワイヤーを離してフックに捕まる。
飛びついた勢いで一瞬、身体が下に沈む。が、スルスルと上に引く力が生じたのでほっとした。
(助かった……)
サァラが引き上げてくれたおかげでようやく穴の外に出ることが出来た。とはいえ、ゴンドラ乗り場の足場も随分危うい状態だ。礼を言うのもそこそこに直ぐ小屋に入り、反対側の入口へと向かう。
小屋を出ると正面でヘリが待機していた。
「よし! いいぞ。このまま脱出だ!」
ここまで夢中でやってきたせいでナミの重みを感じることは少なかった。が、ヘリに乗り込む段になってようやくその重みが感じられた。
「もう少しだ。もう少しで……」
抱きかかえたナミに向かって呼びかけた。
「大丈夫。もう少しだから……」
そう何度も繰り返した。
冷たくなってしまった彼女の為に、そして自分に言い聞かせるように…。