第38話 歓迎光臨
長い沈黙を経て、チャンが口を開いた。
『……何で……何でこんなこと……』
その自問は嗚咽のように聞こえた。おそらく初めて人を殺めたことでかなりのショックを受けているのだろう。やはりこの少年はこういう修羅場には向いていない。だが、ここは敢えて突き放す。
「確かに先に攻撃してきたのはあっちだが……殺す必要は無かったな」
消え入りそうな声でチャンは答える。
『……はい』
「こういうのは初めてか?」
『……ええ』
「そうか。今更とやかく言っても仕方ない。だが、結果に対する責任は取れよ」
『……責任?』
「そうだ。直にその男の仲間がやってくるだろう。で、死体を発見したらどうなると思う? 恐らく必死でお前さんたちを追ってくる」
その指摘にチャンが息を飲むのが分かった。
「自分でまいた種だ。後は自力でなんとかしろ」
『そんな……今はまだ……とてもそんな』
「甘ったれるな! 自分を責めるのは自由だ。クヨクヨしたって構わん。だが、そんなのは後でやれ。今はそこからどうやって脱出するかを考えろ。それとも大人しく自首するか?」
『そ、それは……』
「捕まれば銃殺。良くて死刑だな。で、そこの少年も巻き添えにする気か?」
そこでチャンが首を振る。それにつられて映像が左右に揺さぶられる。
「だったらグズグズするな。立てるか?」
『なんとか……』
チャンがそう言った後に映像が揺れて視点の位置が高くなった。そして顔を潰された男を見下ろすような形で画像が固定される。
なぜチャンが急にこんな暴力的な行動に出たのかは分からない。しかし、今は彼等を国外へ脱出させることが先決だ。
マイクを通してもう一人の少年に呼びかける。
「ハマドとかいったな。聞こえるか?」
『え? あ、聞こえます』
「すまないが国境まで面倒をみてやってくれないか」
『は、はい。分かりました』
「そこの連中が乗ってきた車を使え。それで北へ向かうんだ。迎えを手配しておくから」
引き受けてくれるかどうかは分からないが、以前、その辺りで仕事をした時に組んだ男が居るのだ。それなりに腕は立つ奴なので金さえ払えばチャン達を無事に国外へ連れ出してくれるだろう。
少年達にはくれぐれも早まった真似をしないように言い聞かせてから通信を切った。
(やれやれ……)
結局、あの塔は何だったのか?
あの遺跡が本当に五千年前のものなのかどうか…。その信憑性はともかくとして当初の目的である『バベル』との繋がりは判然としない。確かに30年前にあの場所を訪れた人間がそこに印されていた情報を真似て成功を収めた可能性は高い。だが、そのメンバーが必ずしもバベルの中心人物とはいえない。それはもっと調べてみないと断定は出来ない。
「終わったの?」
その声にはっとして顔をあげる。
「何だ。起きていたのか」
ナミが首を竦める。
「起きてたも何も……目も覚めるわよ。大きな声を出してたからスポーツ中継でも見ているのかと思ったわ」
「すまん。ちょっと激を飛ばしていたんでな。通信の相手に」
「相手はあの男の子?」
「ああ。彼のガイドでちょっとした冒険気分を味わったところだ。その後遺症で目眩がするがね」
ナミが不思議そうな顔をするのでチャンとのやりとりについて簡単に説明してやった。
はじめは『バベルの塔』と聞いて半信半疑だった彼女だが、話を聞くうちにその表情は強張り、とうとう最後には黙り込んでしまった。
「信じられるか? 五千年前の遺跡だぞ?」
「……あなたがそう言うのなら信じるわ。現実にその痕跡があったわけでしょ。だったら信じるしかないじゃない」
「まあ、まともな考古学者は相手にしないだろうがな」
「ナンセンスね。よくいるでしょ。『科学的に説明できないから』って信じようともしない学者が。幾ら科学が発達したからって今の科学は万能じゃないわ」
「そうだな。そういう連中にはなぜ恐竜があんなにでかくなったのかを是非とも『科学的』に説明して貰いたいものだ」
妙なところで意見が合う。その思いは彼女も同じようで2人で笑いあった。
「それであなたはどうするの? C国に行くんでしょ?」
「ああ。放っておくと危険だからな」
「そう。じゃあ私もついて行くことにするわ」
「なに? 腕はどうするんだ。置いていくつもりか?」
「送り先を変えて貰うから心配要らないわよ。ホテルはどこにする?」
「本気か? そんなものを送ったらホテルマンに通報されるぞ。当局に」
「大丈夫よ。イザという時はデパートに行ってマネキン人形の腕でも借りるわ」
「やれやれ」
観光に行くわけではないのだが……仕方が無い。彼女の好きにさせよう。ごねられるのも面倒だ…。
* * *
飛行機の出発を待つ間、ナミはやけに上機嫌だった。
彼女は鼻歌など口ずさみながら待合室を埋めるC国系の旅客者達を物珍しそうに眺めている。こっちはこれからナイーブな少年のお守かと思うと気が滅入っているというのに。
「やけにご機嫌だな」
「そう見える?」
「十分、浮かれているように見える。それにさっきから何の歌だ?」
「『Fly me to the moon』よ。特集をやってたの。今年で月面基地開設30周年なんだって」
「ほお。百年前の曲か」
「あら。知ってるの?」
「聞いたことはある。だが、曲のタイトルを聞くまでは分からなかったな。別に君の歌唱力を責めるわけじゃないんだが」
「まあ。酷いわね」
そう言って彼女が睨む真似をする。
せっかくなので検索してその曲を聴いてみることにした。
(こんなに沢山の人間が歌っているのか)
カバーしている歌手だけでも相当な数だ。それだけ名曲ということなのだろう。そこで『HIKARU・U』という歌手を選んでしばらく聞き入った。他の歌手も幾つか試していると、ふいに待合室がざわついた。
「……速報みたいね」
と、隣でナミが呟く。
人々の視線が中央の大型モニターに注がれる。
ニュースキャスターが淡々と原稿を読み上げる。
〔地震の影響でインド洋沿岸地域では深刻な津波被害が出ています。インド洋では75年前の2004年12月にも大規模な津波があり……〕
スマトラ沖地震というのがあったことは知っている。確か数百年に一度の大地震でインド洋沿岸ではかなりの犠牲者が出たということも。それが100年も経たないうちに同じような場所でまた起こったとはとても信じられない。そこで思い出したのがイタチ男との会話だ。イタチ男はヘーラーが核爆発を使って海底火山を噴火させる計画を持っていると言った。
(まさか、な。人為的に地震を起こせるはずが無い)
それにイタチ男が指摘したのはカナダのバンクーバー沖だった。全然、場所も違う。
「どうかしたの?」
「……いや。何でもない」
イタチ男と話した内容についてナミには詳しく言っていない。ウラをとる為に確かめたところで彼女がヘーラーの全貌を知っている可能性は低いと考えたからだ。
再びキャスターの声に耳を傾ける。
〔後々の調査で多少の修正はあるかもしれませんが、今回のマグニチュード9.5はチリ大地震を上回る可能性があり、観測史上、最大の規模になるのではないかと専門家は指摘しています〕
それを聞いてナミが表情を曇らせる。
「どこまで津波が広がるのかしら。これでまた住むところを失う人が何十万人も出てしまうわね」
「そうだな……」
恐らく津波の被害を受けた地域の一部はこのまま水没してしまうに違いない。ということは世界地図にまた青く塗り潰されてしまう箇所が増えることを意味する。
〔震源地に近いスリランカ沿岸では巨大な水柱が多数目撃されています。また驚くべきことに水柱の高さは1.5マイル(約2.4キロメートル)に達していたとの情報もあり、この津波が隕石の落下によるものではないかとの見方も浮上しています。しかし公式発表を控えているNASAはその可能性について否定的な見解を示しており……〕
「水柱だと? そんなにデカい水柱なら衛星で把握できるだろうに。何の為の『クロウリー』だ」
「緊急メンテナンス中なんだから仕方がないんでしょ。知ってるくせに」
「そりゃ流石に14歳の女の子に乗っ取られたとは公表出来ないだろう。『重大なシステムエラー』とはよく言ったものだな」
今頃サァラ達はどこで何をしているのだろう?
(バベルに軟禁されているのか? それとも……)
せっかくC国まで行くのであればインドにも寄りたいと思っていた。クライアントに断りを入れる為に。もはやこの状況ではサァラを追う意味はないように思われる。もともとあの依頼内容には無理があったのだ…。
「さ、行きましょ。搭乗手続きを済ませるわよ」
ナミに促されて待合室を出る。
空港内の長い通路を歩いていると正面から来た中年の男とぶつかりそうになった。
何のことは無い。ただの『スリ』だ。
男とすれ違ってからナミが立ち止まる。
「今のはスリね。大丈夫だった?」
「ああ。特に問題はない」
「でも、クロックアッパーから財布をすり取ろうなんて大胆ね」
「考えようによっちゃ『スリ』の指さばきだってクロックアップのようなもんだ」
「それもそうね。確かに100マイルの速球を棒切れで打ち返す人間もいるぐらいだし」
「ああ。それにスポーツじゃなくても『神業』を持った人間なら幾らでもいる。そう考えればこの能力は別に特別なもんじゃないのかもしれんな」
「で、お返しにあなたは何を盗ったの?」
「いや。何も」
「うそ。相手の懐に手を差し込んでなかった?」
「ああ。あれか。財布を取り返したついでに鼻をかんだ紙を押し込んでやっただけさ。ゴミ箱が見当たらなかったんでな」
それを聞いてナミはクスクスと笑い出した。
「楽しい旅になりそうだわ」
「だといいがね」
やれやれ。この調子では先が思いやられる…。
* * *
超速ジェットは眼下に壮大な雲の大地を臨みながら航路を進んだ。
呆れるくらい無防備に太陽光を浴びる雲はくっきりと白い。混じりけが無いその白はまるで自らが発光しているようで、こうして眺めているとアクリルで出来ているのではないかとさえ思えてくる。空は空で日差しを独占してその青さをどこまでも誇示し続けている。この青と白のコントラストは何億年も前から飽きることなく地表を見下ろしてきたのだろう。ずっとそこに存在し続ける。そしてただ見守るのみ…。もし神というものが存在するというのなら、案外、それは時間に無頓着な傍観者なのかもしれない。
(あと5時間ぐらいか。随分と早くなったものだ)
ここ数十年で航空機のスピード化は一段と進んだ。やはり宇宙用の水素エンジンが民間に転用されるようになったことが大きい。何しろこの飛行機だって仕様をちょっと変更すれば軌道エレベーターの基地まで到達することができるのだ。しかし、昔から「交通手段の発展は世界を狭くする」という表現が使われるが、移動時間が短縮されたからといって物理的に世界が小さくなるわけではない。それは一部の人間にとってだけの事情であって、むしろ一般の人間にとって世界はより広がっているような気がする。それは情報がグローバルに包括されても遠くの現実には実感がわかないのと同じだ。どれだけ文明が発達しようとも人間のテリトリーは有限で所詮、身近に無い世界は他人事でしかないのだ。
ふと気付くと肩にもたれかかっていたナミが眠っているのに気付いた。
眠っている彼女の横顔を眺める。はりのある肌。柔らかそうな頬から顎にかけてのラインはすっきりとしている。だがその若さもいずれは失われてしまう。何億年も変らないものもあれば人の一生のなんと儚いことか。
「ん……」
どうやら寝言のようだ。こうやって眠っている分にはごく普通の女の子だ。改めて見ると随分とまつげが長い。その長いまつげはなぜか雨に濡れた針葉を連想させた。
* * *
空港を出てタクシーを拾った。
C国第2の都市S。ここを訪れるのは十数年振りだ。しかし、たったそれだけの間に空港の周りはさらに整備されたように見える。真新しい建物が立ち並び、まるで『竹の子』が成長を競い合っているみたいだ。それらのデザインはここ数年の流行なのか、やたらと尖っていたり、ビル全体が身をよじっていたり、積み木を適当に重ねたような形をしていたり、中には体操選手が背を反らしたような形の物まである。片側二車線の道路には自転車専用の道と歩道も併設されているのだが、平均しても30階以上はあろうかと思われる高層ビル群に両脇を固められては妙に窮屈そうだ。とはいえメイン・ストリートを一歩外れて裏側に回ってみると古くからの市街地がまだ残っている。
はじめは近道なのだろうと思っていた。だが車外の光景を見る限りちょっと様子がおかしい。
(妙だな……)
どうやら見当違いの道を走っているようだ。多分、運転手がわざと遠回りをして料金を稼ごうとしているのだろう。
そう思って釘を刺した。
「随分と遠回りだな。言っておくが余計な金は支払わないぞ」
その一言で運転手がぎょっとしたように見えた。その途端、車が急加速して、さらに寂れた通りを直進し、やがて人気の無い空き地へ突っ込んだ。
(どういうつもりだ。仲間でも呼ぶのか?)
そう思った矢先にナミが呟く。
「どうやら私たちに用があるのは後続の連中のようね」
振り返ると確かに黒い車が3台、ワンテンポ置いて空き地になだれ込んでくる。
こちらのタクシーはといえば急停止の後、運転手が転がるように車外に逃げ出した。
「やれやれ。入国早々に目をつけられてしまったようだな。さて、日頃の行いが悪いのはどっちだ?」
「よく言うわ。あなたでしょ。前にこの国で派手にやらかしたんじゃないの?」
「さあ。覚えていないな。まったく身に覚えが無いとは言わないが」
仕方なく我々も車外に出る。程なくして黒い車から降りてきたこれまた黒っぽい服装を身にまとった男達に取り囲まれる。
ナミと背中合わせで会話する。
「悪いがそっち側の3人は任せていいか? 残りの7人はこっちで引き受ける」
「あら。5人5人でもいいわよ」
「無理するな。まだ腕が届いていないだろう?」
「問題ないわ。腕を使わなければいいだけの話よ」
彼女がそう言うやいなや背中の圧力がふっと消えた。
振り返ると既に彼女は体勢を低く半回転しながら『くの字』型に身体を曲げ、左足を高く跳ね上げるところだった。そして回し蹴りの要領で左の踵が手前にいた男のアゴを払う。だが彼女の回転はそれで終わらない。勢いを維持したまま軸足を変えて今度は右足で次の標的の側頭部を打つ。さらにもう一回転。3番目の男はその回転運動に頭を巻き込まれて敢え無く沈没した。
(ほお。器用に回るもんだな……と、感心している場合ではないな)
呆気にとられていた男達が銃を彼女に向ける。
そこでこちらもクロックアップする。
1……三歩前進、正面の敵に左肘を当て、右の手刀で2人目の首を打つ。ここで反転。
2……3人目の裏に回って掌底を後頭部に。さらに切れ込んで4人目にカウンターの肘。
3……五歩分の間を詰めて5人目のみぞおちに左の膝を食い込ませる。
(ん? 被ったか?)
5人目への膝蹴りと彼女のハイキックが被った。
2人分の攻撃を一時に喰らった不幸な男は悲壮な表情を浮かべたまま膝から崩れ落ちた。
「やれやれ。運の無い男だな」
「6対4よ。これでひとつ貸しが出来たわね」
「おいおい。最後のこれもカウントするのか?」
「当然でしょ」
一通り片がついたところで一番偉そうな男を選んで尋問することにした。彼等の場合はバッジを見ればある程度の階級が判別できるので楽なものだ。
スイカをぶら下げる要領で男の髪の毛を掴んで頭を持ち上げる。そして耳元で囁いた。
「先に言っておくが正直に吐かないと大変なことになる。ああ見えて彼女、かなりのサディストなんだ。それで十人は殺している」
それが聞こえたのかナミはこちらを睨んでいる。
それには気づかないフリをして男に答えを求める。
「誰の命令だ?」
男はすっかり観念したのか大してためらいもせず答えようとする。
「コウ……コウ大校、です」
(コウ大校だと? 雪山で会ったあいつか? しかし変だな……)
クロウリーの中継基地で会った男は『コウ中将』と名乗っていた。大校は准将のことだから中将、少将の下の階級だ。
(クロウリー乗っ取りの件で昇進するなら分かるが……別人か?)
しかし、C国に到着して早々にこのような『歓迎』を受けるということは、バベルの差し金と考える方が順当だ。つまり、デンバーでヘリから放り出しておきながら実は自分のことをマークしていたということなのだろう。
「なるほど。君の言った通りだな」
それを聞いて彼女がきょとんとする。
「何が?」
「実に楽しい旅になりそうだ」
呆れるやら感心するやら……今は苦笑いを浮かべるしかなかった。