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第30話 miracle crop

 彼女はサァラのDNAは奇跡の遺伝子だという。そしてそれと同じものを持つ唯一の人物がよりによって『イエス・キリスト』だと…。

 その名を聞いてすぐさま疑問が生じた。

「冗談はよせ。誰がキリストのDNAを保管していたんだ?」

「バチカンよ。封印された倉庫に眠っていたらしいわ」

「幾らバチカンでもそれは無いだろう。二千年以上も前の品を完璧な状態で保存していたとでも?」

「どういう風に保存されていたかは知らないわ。でも彼等がそれを使って一時期、本気でイエス・キリストのクローンを作ろうとしていたのは事実よ」

「信じられん……何という馬鹿げたことを……」

「結局、計画は中止されたみたいだけど。それが技術的なものだったのか倫理的なものだったのかは今となっては分からないわ」

「仮にキリストのクローン人間が出来たところで必ずしも救世主になるとは限らないだろう。本人はパン屋になりたがるかもしれんし」

「その辺りはバチカンも色々と準備してたらしいわよ。なんでもイエス・キリストと同じ経験を積ませるとか……」

「ほお。じゃあ台本は聖書か。だったら当然『羊飼い』のオーディションも開催したんだろうな?」

「そこまでやったかは知らないけど、とにかくイエス・キリストのDNAを解析することには成功したのよ。でも残念ながら細胞の培養には成功したけど、そこから先がうまくいかなかったようね」

「幾らiPS細胞が万能といえども臓器を丸ごとは作れないからな」

 DNAを解析して作ったiPS細胞は再生治療として実用化はされているものの、それはあくまでも既存のパーツを修復するレベルでしかない。指や歯は何とかなるが、大きなパーツとなるとやはり成形が難しくまた神経ネットワークの構築に難がある為、例えば手首から先をまるごと再生というわけにはいかない。つまり臓器のスペアを作ったり手足を生やしたりするまでには至らないのだ。

「でもね。その過程でイエスのDNAに欠陥が見つかったの。要はテロメアに異常があったわけ。で、それを調べている時に偶然、発見された特性がそれよ。誰のDNAにでも適応して、しかも不死化させる能力。世界中のどんなDNAとも違う特別なもの……」

「まさにキリストの奇跡だな」

「ええ。ただし限界はあるわ。人工的に再現したDNAのテロメアでは少ししかiPS細胞が作れないの。所詮、無理やり復活させたものでは、やはり現役には敵わないってことね」

「……そこでサァラか?」

「そうよ。あの子からなら新鮮なのがたくさん採れるでしょうから」

「DNAが採取できれば良いんだろう? だったらサァラの唾液でもフケでも集めれば良いんじゃないか? 最もそれじゃ組織ぐるみの変態だが」

「そうはいかないわよ。1人の人間を不老不死にするには大量のiSP細胞が必要なのよ。身体中に何度も移植しないとならないでしょうから。だから組織はあの子を確保しようとしてるの」

(やれやれ。とんでもない話だ。それでヘーラーはサァラのことを『miracle crop』すなわち奇跡の作物と呼んでいたのか……)

 遺伝情報の解析においては『ノンコーディング領域』と呼ばれる部分が、いかに身体的特徴を決定付けるのかを解読することが重要だ。所詮、実用化されている再生医療のほとんどはDNAをまるごとコピーしただけに過ぎず、DNAのどの部分を変化させると記憶力が良くなるとか手先が器用になるとかというところはまだ完全には解明されていないのだ。最も某国のように秘密裏に人体実験を重ねることでその一部分を把握している連中も居ないわけではないが。

「おかげで『ヘーラー』がなぜサァラを狙うのかは分かった。だが、奴等の目的はそれだけではないだろう?」

「……それは否定しないわ。ただ、私にはその全貌は分からないの」

「そうか。信じよう」

 あれだけの組織が単に不老不死を得ることを目的としているはずがない。恐らく連中はそれ以外にも何か企んでいる…。

「ところで君は組織には戻らないのか?」

「……ゆっくり考えてみるわ」

「それがいいだろう。さ、もうこんな時間だ。そろそろ眠った方がいい」

 すると彼女は何か言いたそうに少し口を尖らせた。まだ話し足りないとでも言うのだろうか。或いは…。

 彼女が何を求めているのか、それはその潤んだ瞳を見れば何となく分からないではない。しかし自分はここでひと時の感情に身を任せるほど若くは無い。「身体が」ではなく、精神が…。我ながら不毛だと思わざるを得ない。が、どうしてもそれに気付かない振りをしてしまうのだ。

「どうした。目が冴えてしまったのか?」

 冷たいように思われるかもしれないが自分にはそういう言い方しか出来ない。

「そうじゃないけど……」

 彼女はそういって視線を落とした。

「何なら子守唄でも歌ってやろうか? M・ジャクソン三世の『月を抱いて眠れ』なら少々、自信がある」

 すると彼女は苦笑いを浮かべた。

「……遠慮しておくわ」

「そうか。じゃあ、明かりを消すぞ」

 そう宣言してから彼女の姿勢を眠り易い体勢にしてやった。その間、彼女は目を閉じてされるがままだった。その無防備な美しさについ触れてしまいたくなる。敢えて事務的に、感情を表に出さぬような素振りで布団をかけてやる。

 そして明かりを消してベッドに背を向けた時だった。背後から、か細い声で彼女が尋ねてきた。

「あなたはどこで寝るの?」

「いや。一杯、引っ掛けてくる」

「そう……じゃあ寝る前に1つだけ聞いていい?」

「答えられる範囲でいいなら」

「不老不死ってどんな気分?」

(やれやれ。そう来たか……)

 少し考えて正直に答える。

「気味が悪い」

「え?」

「もしかしたら歳をとらないのは外見だけで臓器だとか脳はそれなりに老化しているのかもしれない。自分の身体がどうなっているのか、これからどうなっていくのか、まるで分からないっていうのはあまり気分が良いものじゃない。そもそも前例が無いからな」

 それを『不安』と言ってしまえば多分そうなのだろう。だが、そんな生易しいものではない。かといって死が怖いのとは違う。まるで夢の中で得体の知れない敵から逃れられないような感覚。この身体の特異性を知ってからの数年間、それがずっと頭を離れることは無かった。そして未だにそれを受け入れることが出来ない。

「もう寝ろ……」

 それだけ言い残して部屋を出る。

 彼女がどんな反応をしたのかは分からなかった。そして彼女が何を思うのかも…。


  *  *  *


 端末の呼び出し音で目が覚めた。

 いつの間にかホテルのロビーで寝ていたらしい。どうやら昨夜は飲みすぎたようだ。

『アンカーさん。おはようございます』

 呼び出しはチャンからだった。

「何だ少年? まだ早いぞ」

『すみません。早く報告したくてそっちが朝になるのを待っていました』

「今どこだ?」

『昨日、サウジ経由でイランに入国しました。で、早速、今回の情報提供者と会ったんですよ』

「情報提供者?」

『ええ。前に写真を見せましたよね? イランでバベルの塔を調査する一団の。あれに写っていたガイド役のアシム青年。その息子さんでハマド君というんですが』

「それで?」

『やはり匂いますね。あの調査団には秘密があるんだと思います。現にハマド君が言うには彼のお父さんは以前から何者かに怯えていたと。やはり彼のお父さんは口止めの為に殺されたんですよ!』

 どうやらチャンは30年以上前に結成された調査団が『バベル』の前身だという説を立証したいらしい。

「……殺された? それは初耳だがどういう状況で? 証拠は?」

『水死です。証拠はありませんが……でも、アシム氏の部屋は荒らされていたんですよ。きっとアシム氏が密かに持っていた情報を回収する為でしょうね』

「あのなあ。証拠隠滅を謀る人間が今時、家捜しするか? 普通そういう情報はWeb上に保存されているだろう」

『そ、それは……でもあまりにもショッキングな内容だからアシム氏が手元に持っていたとも考えられますよ!』

「まあいい。それで?」

 それを受けてチャンは、アシム氏に異変が生じたのは31年前の体験談を公開しようとしていた矢先だった事、その内容が考古学の歴史をひっくり返すものだと予告されていた事などを力説した。

『なので僕らの手でバベルの塔があったと思われる場所を特定するつもりです』

「おいおい。仮にその情報が命を狙われるような代物なら、その息子にも危害が加えられる可能性が高いんじゃないのか?」

『ええ。二時間ほど前に襲われましたよ。それが何よりの証拠でしょ?』

「何!?」

『襲ってきた人間は「命が惜しければ首を突っ込むな」と脅してきましたけどね。おかげさまで簡単に撃退できましたよ』

 チャンはしれっとそんなことを言うが危険極まりない。

「少年。甘く見るなよ。お前はまだ『ひよっこ』だ。とにかくヤバいと思ったらすぐに引き返すんだぞ」

『でも、僕には……』

「だったら言わせて貰うが、襲ってきた相手をなぜ捕まえなかった? 誰に頼まれたのかを聞き出す必要があったんじゃないのか? でなければ敵は何度でも襲ってくるぞ」

『ごめんなさい。ちょっといい気になっていました。用心します』

「無理はするなよ」

『はい……』

 浮かれているところをたしなめられてしょんぼりしていたチャンだが、すぐに「あ!」と、何か思い出したようだ。

『ところでサァラは? サァラには会えましたか?』

「いや。まだだ。これから山登りをしなければならない」

『山登り? 何でまたこんな真冬に?』

 そこでチャンに経緯を説明してやった。それを聞いてチャンが納得する。

『さすがというか、もうそんなところまで……凄いなあ』

「しかし相手はクロウリーだぞ。まったく無茶をする。だが、あのジイサンですら舌を巻くぐらいだからな。あの子達なら本当にクロウリーを乗っ取りかねないな」

『いえ。きっと成功しますよ。何しろワンのハッキングは只者じゃないですからね』

「ワンというのはメガネの少年か。B国軍基地のシステムを乗っ取ったのも彼の仕業か」

『ええ。あれぐらい彼にとっては楽勝ですよ。なんせ『』大統領の尻を火傷させた男ですからね』

「何だそれは?」

『C国を侮辱したF国の大統領の家にハッキングしてウオシュレットを熱湯に変えちゃったんですよ』

「……絶対に敵に回したくない奴だな」

『そっかあ。サァラ達は本当にクロウリーを乗っ取ろうとしてるんだ。うん。でもアクセスさえ出来ればそれも可能だと思いますよ』

「このクソ寒い中、冬山に登る身にもなって欲しいもんだ」

 それは嘘偽りの無い感想だ。幾らなんでも素人である自分がたった一人で冬山に挑むなど随分と費用のかかる自殺行為だ。しかし『ヘーラー』がサァラを狙う目的を知ってしまったからには行かないわけにはいかない。

 チャンはチャンで危なっかしいながらイランで『バベル』に繋がる情報を集めようとしている。それが成果となるかどうかは不明だが、二つの巨大組織が何を指向しているのか、我々は否が応でも見極めなくてはならないのかもしれない…。


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