第25話 クロウリー
西はロッキー山脈、東にはグレートプレーンズ(大平原)が広がるコロラド州は全米で最も平均標高が高い。その州都デンバーはロッキー山脈の東側に位置し、その標高が丁度1マイルであることから『1マイル・ハイシティ』と呼ばれている。このように州全体が山岳地帯なのでこの時期の寒さは厳しく、『山篭り』が目的でもない限り観光で訪れたいと思うような所ではない。だが、意外なことに覚悟していたほど寒くはなかった。空港の外に出た時、肌に触れた冬の日差しに熱がこもっていたのだ。
(冬のコロラドといえば雪原のイメージしかなかったが……)
確かに空から見下ろしたコロラドの大地は、まるで銀世界の足元から黒が染み出しているように見えた。それに分厚い白の衣をまとった山々の存在感は、否が応でもこの地が空に近いことを実感させた。地理的にはアメリカの中央にありながら他の都市とは一線を画する空間、うまくは言えないがどことなく浮いたような感覚が漂う町。それがデンバーの第一印象だった。
タクシーを拾ってホテルに向かうことにする。その間に端末をチェックしてみた。
(やはり表示は出ないか……)
恐らく、ナミは仲間と合流して真っ直ぐ目的地に向かったに違いない。反応が無いところをみると彼女に張り付かせていたスパイ・インセクトは排除されてしまったらしい。だが焦る必要は無い。最終的にサァラが姿を見せる場所は見当がついている。
「旦那。デンバーには観光ですかい?」
ふいにタクシーの運転手に話しかけられて返答に窮した。年明け早々にこんな真冬の高地に、しかも大した荷物も持たずに旅行というのも不自然すぎる。
「ああ……まあ一種のビジネスさ」
ビジネスの中味はともかく、それは嘘ではない。取り敢えずそう言っておけば間違いは無い。
「旦那はどこから来なすったんで? こっちは寒いでしょう」
「NYも似たようなもんだ。日差しが強い分だけこちらの方が暖かいかもな」
「そりゃ旦那、まだ昼間しか体験してないからですぜ。ここいらの夜は半端じゃなく冷えますから」
「だろうな。それは覚悟してるよ」
「仕事するなら日が出ているうちですぜ。夜は出歩かないことですよ」
「出来ればそう願いたいものだね」
そうは言ってみたものの、こればかりはサァラ達の行動次第なので自分ではどうしようもない。
「旦那、アレでさ。お泊りになるホテルは」
運転手に言われて前方を見ると黒っぽい建物が目に入った。
(さて、どれぐらいここに世話になることやら……)
見た感じではまあ悪くないレベルだった。大金が入ったのでもう少し奮発しても良かったのだが、つい安いホテルを選んでしまった。これはもう条件反射と言って良い。年季の入った貧乏性は、まるでネクタイに染み付いたソイ・ソース(醤油)のように中々落ちないものなのだ。
* * *
一息ついたところで早目の夕食を取ることにした。ホテル内にはレストランが一軒しか無く、選択の余地は無い。座席数はやや少なく感じられたが、程好い寂れ具合が田舎のドライブ・インを連想させる。薄っぺらなメニューもちょっと気の利いた五歳児なら簡単に丸暗記できるぐらいシンプルだった。
ステーキにスープを注文して黙々とそれを食することにした。が、直ぐにこの席を選んだことを後悔した。なぜなら隣席のテーブル・マナーが気に触ったからだ。食事は素早く済ませる主義の人間にとって隣のテーブルでお喋りに夢中になっている輩は酷く邪魔な存在のように思える。せめて噛みながら口を開くことだけは遠慮して貰いたい。だがその願いも虚しく、隣席の2人組はずっと喋り続けている。
「そろそろ限界なんじゃないかな」
そう言って首を振るダンゴ鼻の男はさっきから皿の上でつけ合わせ野菜を弄んでいる。
「いいや! まだまだイケるぞ。心配ないって!」
甲高い声の主は太った男。こちらは常に食べ物を口に含んでいる。多分、こいつはリスの生まれ変わりなのだろう。
「だけど先月の指数を見たかい? 0.21ポイントの下落だぜ」
「そんなのは一時的なもんだ。また直ぐに値上がりするさ」
「そうかな。営業部がぼやいてたよ。もう一巡したんじゃないかって」
「それは売り方が悪い。ターゲットを間違えているんだ」
「だったらどうしろと?」
「大型案件をでっちあげるのさ。国の事業が始まるって」
「国の事業? 『space elevator(軌道エレベーター)』とか『Space plane(宇宙往還機)の空港』とか、かい?」
ダンゴ鼻の相棒がそう尋ねると太った男は肉を頬張りながら首を振る。
「いいや。そんな他所にあるものじゃダメだ」
「だったら何を?」
すると太った男は勿体ぶって小声で囁いた。
「……shelter(避難所)さ」
「シェルター?」
「しっ! 声が大きい」
「いや。しかし幾らこの辺りが高地だからって……」
「知ってるとは思うがコロラド州の土地の三分の一は国有地だ。そこに政府が本気でシェルターを建設するとなれば……分かるだろ?」
「けど、ある程度は情報操作できるとしても、みんな信じるかな?」
「いいんだよ。シェルターが出来るか出来ないかなんて。いいかい。大事なのは地価が上がり続けると信じさせることなんだ。金持ちの数には限りがある。だが、人間の欲には際限が無いからね」
太った方はそう言って得意げにフォークをかざしてみせた。口の横にソースを着けながら…。
(やれやれ。どうにも下品な奴だ)
会話の内容から察するに隣席の2人組は不動産関係の仕事をしているのだろう。一応、機内で下調べはしておいたのだが、確かにここ30年の間にコロラドには随分と資本が投下されたらしい。2037年の『ティファナ』以降6年間続いた大型ハリケーンの大量発生で、地球温暖化がいよいよのっぴきならない状況だということに気付いたアメリカ人が「海面上昇から逃れるには高地だ!」という発想で土地をこぞって買い漁ったのだ。彼等は『ノアの箱舟を仕立て上げる浅ましき者たち』と揶揄されながらも投資を止めなかった。このような投資家を食わせるが為だけに作られるバブル経済はこれまでに幾つも作られ、そして弾けていった。JM・ハラディの著書『資本主義の終着駅』でも指摘されたように、もはや近代資本主義は無理やり成長させる為の市場無しには存続し得ない、つまり『焼き畑農業』みたいなものだ。
太った男はダンゴ鼻の反応などおかまいなしに自説をぶった。しかし、幾らコロラド州が全米で標高3000mを超える高地の75%を占めるといっても、政府が大陸の水没を想定してこの地にシェルターを作るなどというのは空想に過ぎない。だが一方で、そんな『ヨタ話』が、妙なリアリティを捨てきれないところが今の世相を反映している。
少しずつ蝕まれているという実感……それが人々の潜在意識に蔓延している。そして誰もが半信半疑な未来にうんざりしながら日々をやり過ごしているような気がした。
* * *
部屋に戻ってジイサンに連絡を取る。
「ジイサン。正月早々申し訳ないが、また一仕事頼む」
『何だ。もう直ぐ晩飯なんだがの……まあ良かろうて』
「まずは『モーション・ジャッジメント』でサァラ・タゴールを捜してくれ」
日が暮れる前に街中の監視カメラ数台にスパイ・インセクトを仕込んでおいた。あとはジイサンがカメラ映像を拾って、道行く人々の歩き方からサァラを割り出してくれれば良い。
『あいよ。お安い御用だ。で、他には?』
「そうだな。じゃあ、ついでに『クロウリー』の基地でも探ってもらおうか」
『な! やっぱりそう来たか。お前さんがそんな所に居るから嫌な予感はしておったが……難儀だな』
流石のジイサンでも尻込みするぐらいだから、やはりセキュリティは並大抵のものではないのだろう。無理も無い。スパイ衛星群『クロウリー』は軍の最高機密なのだ。
「とりあえず基地のありそうな場所を調べてくれ」
『んむぅ……だが危険すぎる。軍に目をつけられると後々厄介じゃぞ』
「それは覚悟の上さ。それに第一、うら若き乙女が勇敢にもアレに挑もうとしているというのに、大の大人が外野で見物というのも情けない話だと思わないか?」
『確かにそうじゃが……あの『娘っこ』は本気でクロウリーを乗っ取るつもりなのかい?』
「チャンの情報が確かならな。何でも確かめたいことがあるらしい」
『……盗み見するだけなら何とかなるかもしれんが、それでも危険なことには変わりないぞ』
「ああ。ターゲットがお転婆だとお守り役は苦労する」
『クロウリー』とは6つのスパイ衛星で構成される地表監視システムの名称だ。米政府は長らくその存在を認めなかったが12年前にはじめてその存在を公表した。公式発表では開発計画の着手が2018年。2035年に初号機打ち上げ。2048年に6機体制が完成し、50年代半ばから実用化されたことになっている。ただし「国際的対応を要する事案の情報収集に用途を限定」という米国の説明に納得するものは無く、あからさまに不快感を示す国も少なくなかった。何より各国が恐れたのはその優れた解析能力だ。このシステムでは6つの衛星のうちいずれか3つが連携して地表の対象物を追跡し高性能カメラで捕らえ続ける。そしてその時に3台のカメラで同一物を撮影することによって精密な3D映像を再現することが出来るのだ。さらにそれぞれの衛星には赤外線をはじめ多様な機能を併せ持つカメラを搭載しているので対象物を捕らえる精度の高さは他の追随を許さない。つまり、その気になれば対象物をずっと見張ることが可能なのである。そのため、クロウリーを巡る各国の諜報活動や破壊工作の可能性などが度々噂されてきた。だがこれまでにクロウリーの全貌はおろか、それをコントロールする基地がどこにあるのかさえ漏れ伝わってくることはなかった。
(サァラはどういう手を考えているんだ……)
クロウリーの基地は米本土の数箇所に分散しているというのは前々から言われてきたことだが、コロラドもその候補のひとつに数えられている。そこにサァラが現れたということはある程度の目処がついているのだろう。しかしこれまで各国のスパイやテロリストが軒並み失敗してきたこの米国のトップ・シークレット暴きにサァラ達がどう挑むのかは非常に興味深い。
そこで想像してみる。もし自分が同じ目的を持ったとしたら、やはりオーソドックスな手を使うだろう。
「クロウリーに関わった人間のリストが欲しいところだな。できれば今どこで何をしているかを含めて」
『それもまた厄介な注文だのう。ガードは固いだろうからな』
「流石に現役の連中に接触するのは難しいだろうからOBを中心に過去に関わった人間だけでいい。恐らく、サァラ達もそれを狙ってくるはずだ」
『みんな考えることは一緒じゃ。だがこれまで何人の人間が消されたことか……』
「分かっている。クロウリーのこととなるとやたらと張り切る輩がくさるほどいるからな。一説によるとこれのおかげでCIAが復権したっていうじゃないか」
クロウリーは国家機密の保守という雇用創出にも貢献しているのだ。
『少し時間をくれんか。明日の午前中までには何とかする』
「今生きている人間を優先的に」
『わかっておる。この2、3年だけでも結構な犠牲者が出ておるからな。あぶりだすのは骨じゃぞ』
ジイサンの言うとおり過去にクロウリーに関わった人間は皆そのことを隠してひっそり暮らしている。各国のスパイに狙われる者が後を絶たないからだ。しかも国は彼等を積極的には守ってくれない。『秘密さえ漏れなければ良い』という絶対的な価値観の前では人命よりも確実性の方が尊重される。つまり、無かったことにされてしまうのだ。
「色々と注文してしまったが頼むよ。ジイサン」
『せいぜい努力するわい。ところで弟分はまだ出発しないのか?』
「弟分? ああ、少年のことか」
『そうだ。やたらと歳の離れた弟じゃ』
「冷やかすのはよせ。説明が面倒だからそう言っているだけだ」
『はは。まあ、忙しいお前さんに代わって弟分のお守りはワシに任せとけ!」
「……いつから愛想も売るようになったんだ?」
『そりゃあ、あんだけ前金を貰ったら張り切らんわけにはいくまいて』
「そう思って、その分こき使ってやれとチャンには言ってある」
『おいおい。年寄りをいじめるな』
「俺より5歳上なだけじゃないか」
『フン。一緒にするな』
「それだけあんたを信頼してるのさ。だからチャンに、ああ見えても『良い仕事』をするから信頼しろとも言ってある」
『ほう。良い仕事とな。辛口のお前さんに言われると何だか気持ち悪いな。急に持ち上げおって』
「別におだてるつもりはない。事実を言ったまでだ。まあ、自慢の冷製パスタだけは頂けないがな」
『な! 失礼な! アレはお前さんの味覚がおかしい』
「見解の相違だな。あれ以来、冷たいトマトがトラウマになっちまった」
『ふざけるな。お前は元々トマト嫌いだったろうが! だいたい学食でお前さんが……』
ジイサンとは長い付き合いになる。その学食の話にしても30年以上前のエピソードだ。
ひとしきり昔の話を一方的にした後でジイサンは急にしんみりした口調になった。
『……今度ばかりは相手が悪すぎる』
「ああ。分かっている」
この国で『クロウリー』はタブーだ。ましてやそれに触れることは軍とCIAと警察をいっぺんに敵に回すことを意味する。
『くれぐれも用心しろ。只でさえ国に喧嘩を売るようなものなのに、おまけに妙な組織まで絡んできた日には、幾ら命があっても足りんぞ』
「心配するな。人よりは長生きだから」
『そういう問題じゃあるまいに。確かにお前さんは『不老』かもしれないが……』
「『不死』ではない。多分な」
『……』
ジイサンはそれ以上、何も言わなかった。だが言いたいことは良く分かる。付き合いが長いからこそ無駄な言葉よりも伝わることがあるのだ。
* * *