第24話 来るべき世界
顔面蒼白なチャンを叱咤する。
「しっかりしろ! これぐらい一人で切り抜けられなくてどうする!」
少なくともB国の空軍基地を制圧した時に実戦は経験しているはずだ。
「で、でも……僕にはとても」
「空軍基地での立ち回りはどうした?」
「あれは暗かったから……それに無我夢中だから出来たんです。それに相手は油断してましたから」
そう言って口を尖らせるチャンを見て頭が痛くなってきた。
(どうやらこの弱さは精神的なものだな)
クロックアップという武器がありながら、この調子では戦う前から結果は見えている。
「いいか少年。何も皆殺しにしろと言っている訳じゃない。気絶させるだけでいい」
「そんな器用なこと出来ませんよ。催涙スプレーを使っちゃダメですかね?」
「馬鹿を言え。そんな悠長なことを言っている場合じゃないぞ」
向かいのビルに設置したカメラ映像はまだ続いている。ビルの入口で待機しているのは3人。残りの2人は裏口に回ったとみられる。さすがに上からの迎撃はなさそうだ。
「心配するな。見る限りチンピラに毛が生えた程度の連中だ」
ここで奴等の装備がお揃いだったなら多少の訓練は受けているとも思えるが、服装はバラバラなうえに手にしている銃にも統一感は無い。その点は恐れるに足らずだが、逆に素人すぎるとむやみに発砲してくる可能性が高い。
「ガス銃を持っている奴がいるな。注意しろ。殺傷能力は劣るが跳弾が厄介だからな。なるべく撃たせるな」
「はい」
「それから分かっているとは思うが、正面からは掌底でアゴを狙え。それ以外は頚動脈に手刀が基本だ」
手刀のところでチョップの要領で手の平を水平に動かしてみせる。クロックアップで打ち込んだ打撃なら確実に相手を気絶させることができるはずだ。
それを見てチャンはゴクリと唾を飲み込む。
チャンの緊張を解いてやろうと思って背中を乱暴に叩く。
「なに、相手はカボチャだと思えばいい。緊張した時のセオリーだ」
「ですね……」
そう言ってチャンは自らの手のひらをじっと見つめた。そして唇を噛むと自分を奮い立たせるように大きく頷いた。
自信を持ってやれば十分にやれるはずだ。その為にはもう一工夫あった方が良い。
「待っている間にトラップを作っておけ。突入する連中は極度の緊張状態にあるからな。それを逆手に取るんだ。視覚か聴覚。そのどちらかに強い刺激を与えてやれ」
「……分かりました」
チャンは室内を見回してから一寸、考えるような仕草をみせる。そしてすぐさま動き出した。
(何か思いついたらしいな。まあ、じっとしているよりは良いだろう)
チャンはグラスを使ったトラップを仕掛けるつもりのようだ。テーブルの端にわざと不安定になるようにグラスをセットしている。恐らく、ちょっとした振動でグラスが落下するようにしたいのだろう。
その間にも敵は入口付近で中を覗いたりビルを見上げたり所在無さそうにお預けをくっているようだ。しばらくして黒塗りの車から一人の男が降りてきた。そして待機している連中に何やら指示を出す。その様子をカメラ映像で確認した。
(そろそろか……)
敵はタイミングを見計らうように一呼吸置いてビル内になだれ込んできた。
「少年! 来るぞ!」
「はい!」
正面の入口を入ってすぐの所は階段になっている。階段を駆け上がる足音から上ってくるのは2人と判断した。指を2本立ててチャンに合図する。
その数秒後に事務所の入口を乱暴に開け放つ音が響く。
が、敵もさすがに直ぐには飛び込んではこない。素人ながら一応は警戒しているらしい。
半身で室内の様子を伺いながら一人目が姿を現した。
こちらの位置からはチャンの姿が半分だけ見える。
(焦るなよ……)
一人目に続いて二人目が恐る恐る室内に足を踏み入れる。二手に分かれて室内を物色にかかるつもりのようだ。
そこでチャンが屈みこんだ。
(皿?)
白っぽい物体が床を滑り、テーブルの脚にぶつかった。その拍子に卓上のグラスがバランスを崩す。
静寂に包まれた室内に突如、グラスの砕け散る音が響く。
「な、何だ!?」
ふいを突かれた敵に隙が生じる。
(今だ!)
と、思ったベストのタイミングでチャンが飛び出した。
1……ダッシュで4歩前へ。やや、つんのめり気味に一人目に接近。
2……さらに3歩進むと同時に手刀を敵の首筋に打ちつける。
3……そこで立ち止まってしまう。
(バカ! 止まるな!)
手刀を喰らった一人目が膝から崩れ落ちる。その音を聞いてもう一人の注意がチャンに注がれる。
(まずい!)と、こっちが焦った。
が、幸い、チャンは立ち直った。彼は残る敵に突進、顔を背けながら身体ごと相手にぶつかった。決してスマートではないが、掌底が敵の顔面に辛うじて当たっているのが救いか。
掌底を喰らった二人目はスローモーションのように斜めに倒れた。
チャンは打撃の手応えに戸惑っているように見える。
そこで足音が廊下から聞こえてくる。
「増援だ! 気を抜くな!」
その一声で我に返ったチャンが慌てて身構える。
次の瞬間、今度は入口から同時に2人が何やら叫びながら室内に飛び込んできた。が2人とも銃を構えながら一杯一杯の様子だ。完全に目が泳いでいる。
(今朝の警備員か)
天然パーマと太った警備員。体格だけが取り柄のような2人組だ。
「や、野郎! で、出て来い!」
「ど、ど、どこだ? 畜生!」
2人は背中合わせで入口付近を動こうとしない。これでは個別に倒すことが出来ない。モタモタしていると他の連中も上がってきてしまう。
(参ったな。2人同時の場合は教えていなかったぞ……)
すると突然、明かりが消えた。分厚いカーテンはいつも閉めたままなので昼間でも室内は薄暗くなる。
「な、何だ?」
と、2人が同時に天井を見上げる。すると今度は反対にフラッシュのようなまばゆい光が一面に広がった。
目を刺すような光だ。不覚にもつられてしまった!
が、それがチャンの仕業だということは分かっている。片目を薄っすらと開けて2人組の様子を伺う。と同時に鈍い音がしてうめき声が発せられた。
そして目を開けた時には既に勝負は付いていた。床に転がる2人組とそれを見下ろすチャンの姿が目に入った。
「やれば出来るじゃないか。一発も撃たせなかったな」
そう声を掛けてやったのだがチャンは浮かない顔をする。
「……でも、何だか後味が悪いです」
「フン。慣れだよ。慣れ」
「まさか、死んでないですよね……」
「気にするな。それより下に行くぞ。こいつらの雇い主にクレームをつけてやる」
「え? 逃げた方が良くないですか?」
「バカ言え。損害賠償を請求しないと。グラスと皿を弁償させてやる」
「そんな……」
渋るチャンを従えてゆっくり階下に向かう。あと2人ほどビル内に侵入しているはずだが問題は無い。出てきたら張り倒してやればいいだけの話だ。
階段を下りて屋外へ出た。そして黒い車に向かおうとした時だった。
(後ろか!)
今出てきたビルの入口から敵の残党が飛び出してきた。
敵は我々の姿を見るなりいきなり発砲してきた。
1……左斜めに7歩。直角に方向を変えて前へ。
2……歩幅を伸ばしつつ一気に残りの間を詰める。
3……側面から接近、右腕を敵の首に巻きつけながら背後に回る。
4……捕まえた敵を盾にして、もう一人の敵を牽制。
5……ぐいっと盾を押し出し、突き飛ばすと同時に手刀で首を払う。
6……残った敵に向かって加速、左で銃を持つ手を払いのけ右の掌底をアゴに叩き込む。
他に敵が無いか周りを確認して一丁上がり。
銃弾を避けていたチャンが苦笑いを浮かべる。
「さすがですね……」
「慣れだよ。慣れ」
「そんな。僕には真似できないですよ」
「さて、と。残るは……」
そう言いかけて気付いた。いつの間にか車の後部座席の窓が開いている。
「そんなところで高みの見物とは良いご身分だな」
わざと聞こえるようにそう言ってやった。すると、足踏みするようなリズムで手を打つ音が返事の代わりに聞こえてきた。
(随分と余裕な拍手だな……)
少しイラついた。それは気分を害するような類の拍手だった。明らかにこちらを見下している。
拍手が止み、後部座席の扉が開いた。一応、警戒はするが車から降りてくる人物の動きを見る限り、攻撃を仕掛けてくる感じではない。
車から降りてきた人物を見てすぐに悟った。
「あんたは……」
大げさな拍手の主は今朝、教会で会った黒神父だった。
黒神父はゆっくりと歩み寄ってくると満面の笑みで話しかけてきた。
「いやあ、素晴らしい。実に見事だ。なるほど。あの子が言った通りだな」
「忘れ物でも届けにきてくれたのか? こんな大勢で」
嫌味っぽくそう言ってやると黒神父はニヤリと笑う。
「単刀直入に言おう。どうかね。我々の手伝いをしてくれんか? 勿論、それなりの対価は保証しよう」
「断る。ちょっと先約があってね」
「我々は君を歓迎するつもりなのだが。なんせ君には資格がある。ラスト・クロップとしての資格が」
「悪いがそれも辞退させてもらう」
「なぜだ? 君ほど相応しい人間は居ないのに! もしかして金か? くだらん。金などまるで意味を持たない」
吐き捨てるようにそう言ってから黒神父はやれやれといった風に首を振った。
そして意味深な笑みを浮かべる。
「いいかね? 例え今どんなに金を持っていようと、そんなものはもうすぐ無意味になるのだよ。『来るべき世界』では」
「フン。そういう説教は自分の縄張りでやってくれ。こっちは間に合っているよ」
「なぜ背を向ける?『Heaven's entrance(天国への入口)』は今まさに開かれつつあるというのに」
「ヘヴンズ・エントランス……か」
呆れたものだ。益々、カルトの匂いがする。
チャンが隣で顔をしかめる。
「誰がそんなものを信じるかって!」
黒神父は大げさに首を竦める。
「だが、残念ながら狭き門をくぐることが出来るのはほんの一握りの人間だけなのだよ」
つまり天国に行きたければ仲間になれということなのだ。別に『天国』という概念を積極的に肯定すること自体は問題ではない。しかし、それを商売にするのはいただけない。
「要約すれば『信じるものだけ救われる』ということか」
が、こちらの反応などお構いなしに黒神父は続ける。
「すぐに分かる。現世と来るべき世界では価値観がまるで違うのだ。善悪の概念すら異なるといって良い」
珍しくチャンが噛み付く。
「そんなのは理由にならないよ! サァラを誘拐しようとしたクセに! 自分達の理想の為になら何をしたっていいんですか!」
「おやおや。何もそんなに興奮しなくても。君は勘違いしているのではないかな? 我々は来るべき世界の為に『サァラ・タゴール』を犠牲にしようなどとはこれっぽっちも考えていないのだよ。むしろ逆だ。彼女は『miracle crop』だからね」
やはりこいつもサァラのことをミラクル・クロップと言った。先ほどのラスト・クロップは『選ばれし者』に近い意味だと解釈したが、彼等のいうクロップとは『人類』とか『人間』の意なのか?
チャンが黒神父を睨みつけながら断言する。
「サァラは絶対にそんな考えには同調しない!」
「ほお。別に我々は彼女の同意は必要としていないのだが?」
「な!? そ、そんなの許されるもんか!」
「彼女は『来るべき世界』の中心に居なければならない。だから我々は彼女を迎え入れるのだよ。全力でね」
「と、とにかくサァラに手を出すな!」
そんなチャンと黒神父のやりとりを見守りながら或る事を思い出した。最初に会った時にチャンが言っていたことだ。サァラは皆に『カウントダウンはもう始まっている』『狭い世界になる』と謎のメッセージを残したという。それを聞いた時は(何やら予言めいた言葉だな)とは思っていたが、今の黒神父の話を聞いているとまんざら無関係では無いような気がしてきた。
(狭い世界……狭き門)
こじつけではあるが、サァラの言葉と黒神父が口にした例えは同じ意味合いのように思える。それに考えようによってはサァラの『カウントダウン』というのも黒神父が仄めかしている世界の終わりとリンクする。
チャンと黒神父は無言で対峙している。チャンが興奮を抑えきれない様子なのに対して黒神父は笑みを絶やさない。が、その笑みは最初のものと比べると幾分か冷徹さを孕んだものに変化しているように見えた。
このままでは埒が明かないので念押しする。
「とにかく、あんたらの仲間になるのはお断りだ」
黒神父は残念そうな表情で首を振る。
「残念だよ。実に残念だ。君にその意思が無いのなら仕方がない。素直に諦めよう。だが……くれぐれも邪魔はしないでくれたまえ」
最後に釘を刺す部分だけは黒神父の笑みが完全に消えた。それは聖職者とは程遠い凄みのある表情だった。
(やはりその顔が本性か……)
表向きはひなびた教会の神父。そしてその裏の顔は秘密組織『ヘーラー』の幹部。この神父がヘーラーという組織の中でどの位の地位にいるのかは分からない。少なくともナミの態度からして、それなりの地位にはあるのだろうが…。
「それでは失敬」
黒神父はそう言い残すとさっさと車に乗り込もうとした。
「おいおい。待てよ。こいつらを置いていくつもりか? うちは宿屋じゃないぞ」
歩道に転がる男達をアゴで指す。
「フフ。好きにしたまえ」
黒神父は気に留めるでもなく後部座席に乗り込むと悠々と車で去っていった。
走り去る車を眺めながらチャンが憤慨する。
「カルト教団のくせにサァラを捕まえようとするだなんて、とんでもない奴らだ! あんな奴、ボコボコにされちゃえ!」
「カルト教団……『ヘヴンズ・エントランス』か」
卑しくも神父という立場にありながらその名を口にするとは…。
「有名なんですか? その天国の入口っていうのは」
「ああ。随分、昔に世間を騒がせたカルト教団の名だ」
『ヘヴンズ・エントランス』というのは21世紀のはじめに集団自殺をして消滅した宗教団体の名前そのものだ。彼等は10世紀ごろに忽然と消滅したマヤ文明の遺跡で発見された石に刻まれた暦が2012年12月で終わっていることから、その時に世界の終わりが来ると信じていた。当時は「アセンション(※1)」とか「フォトンベルト(※2)」とかのオカルト的な言葉を妄信した人々が大騒ぎをしたものだが、その極めつけがヘヴンズ・エントランスの集団自殺だったという。
(あの神父……わざとその名を言ったのか?)
それともその教団が『ヘーラー』のルーツだとでもいうのだろうか。チャンが『バベル』のルーツが創世記の挿話にあるのではと言い出した時は馬鹿馬鹿しいと思ったのだが、あのような狂信的な気がある集団の実体を知るには案外、有効な手段なのかもしれない。
「さて、後でもう少し調べてみるか」
「あれ? じゃあ『ヘーラー』の件はアンカーさんにお任せして良いんですか?」
「仕方がない。手分けするしかないだろう」
チャンは『バベル』のルーツを解明する為にイランへ。そして自分は『ヘーラー』の後を追ってコロラド州デンバーへ向かう。
(やれやれ。忙しくなりそうだ……)
それは楽な旅路ではない。『ヘーラー』の実体を探りつつ、付かず離れずの距離でサァラを見守らなくてはならないからだ。せめてもの救いはイタチ男のおかげで飛行機代の心配をしなくて済むことぐらいか。
【用語】
※1「アセンション」…何らかの外的要因で人類がより高次元のものに進化するという一部の新興宗教などで用いられる概念。
※2「フォトンベルト」…銀河系に存在するフォトン(光子)の濃度が高い空間。その実在性については長く議論がかわされてきたが、素粒子の研究が進むにつれて21世紀中頃に存在が確認された。しかし「高エネルギーであるが故に地球に様々な悪影響を与える」というオカルト的な諸説は否定されている。