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第23話 バベルの塔

 30年前の写真に今朝会ったばかりの男が写っている。それも今朝会った時とまったく同じ外見で…。

写真の男は30歳前後に見える。イタチ男と同じ位の年齢、となると考えられる可能性は2つ。

(クローンか……俺と同じ……)

 よく似た親子という可能性もゼロではない。しかし、この相似は只事ではない。

「アンカーさんも気付きましたか?」

「ああ……あの男にそっくりだな」

 わざと『そっくり』という単語で遠まわしにコメントした。にわかには信じられないという思いと(こんな考えは馬鹿げている)という戒めを含めて。

が、チャンは眉をひそめて呟く。

「というより本人じゃないですか? アンカーさんと同じで歳を取らないのでは?」

「……嫌な事を言ってくれるな」

「でもこれはもう、そうとしか考えようの無い一致ですよ。それにこの人がもし、そういう体質だったとしたらB国の件も納得できます」

「iPS細胞か? つまり俺に移植されたのは奴のiPS細胞だと?」

 それを聞いてチャンは大きく頷いた。

「そんな特殊な体質の人が何人もいるはずないですからね」

……ぞっとする。得体の知れない違和感が体中から湧き出してくる。

それをチャンに悟られないようにわざとタバコの煙を天井に押しやった。

「実は今朝、奴と会った」

「え! どこで、ですか?」

「ミスター・ティンバーの店」

「なんですかそれは?」

「教会公認のカフェだ。そこに奴が現れた。相変わらず趣味の悪いスーツケースを持っていたよ」

「はあ……それで何か話したんですか? B国の時はろくにお礼も言ってなかったでしょ」

「そうだな。お礼に一杯おごってやれば良かったかな」

「そんな一杯ぐらいじゃとても……」

「世話になったのは事実だが、どうも信用できん。第一、名前すら名乗らないのはなぜなんだ?」

「ああ、そういえばそうですね。僕も名前を聞いていないや」

「俺達は奴の素性どころか名前さえ知らない。なのに奴は俺のことを知りすぎている。必要以上にな。今朝の件もそうだ。奴はいきなり目の前に現れやがった」

「……それはアンカーさんに用があったのでは?」

「まあな。仕事を頼まれた。無論、断ったが」

「仕事ですか。何の仕事を?」

「ヘーラーと対決しろ、だとさ」

「……そんな無茶な。けど、目的は何なんでしょう?」

「さあな」 

なぜイタチ男が自分をヘーラーと対立するよう仕向けるのかは分からない。B国では自分の任務を遂行する過程でたまたまヘーラーと利害が対立したに過ぎない。サァラを追う彼等と彼女を見届けなければならない自分が無意味に『対決』する必要性は無いはずだ。

(だがもしサァラが奴らに捕まってしまったら……)

 その場合、自分が取るべき行動は必ずしも彼女を救出することではない。その点において今回の任務は難しい…。

 チャンが軽く咳払いをして注意を引こうとする。

「話がそれてしまいましたね。では本題に戻しましょう。そもそも、この写真を見せたのはここに写っている面子が只者ではないことを知って貰いたかったからです」

「面子……アル・ハシリドは分かるが他の5人は?」

「順番に行きましょう。左から順番にプロフィールを出しますね」

 チャンが発掘した写真に写るメンバーは確かに皆、大物だった。

 まず20年前にノーベル物理学賞を受賞したカール・パウリ。まあノーベル賞を貰ったぐらいだからそれなりの功績はあったのだろう。だが、受賞理由を見てもその内容はさっぱり分からない。

「おい。このニュートリノ振動が何とかで測定モデルがどうたらというのはどういう意味だ?」

「僕も調べてみましたけど挫折しました。ただ、素粒子の仲間であるニュートリノは質量が軽すぎてもともと測定が難しいんですが、特定の条件でグラビトン(重力子)と干渉させることで振動幅が変化……」

「で、それが何の役に立つんだ?」

「……さあ?」

「まあ、いいだろう。で、左から二番目が……トレース社の副社長であるエメリッヒ・コーツ」

「はい。で、真ん中がスタンフォード大学のジョナサン・ホフマン教授ですね。人工知能の父とも呼ばれる有名人です」 

 この2人には共通項がある。他人の記憶をリアルに体験できる『トレース』の技術はホフマン教授の協力なしには開発できなかっただろう。なぜならトレースの技術でキモとなるのは、被経験者の脳にいかに正確な電気的刺激を与えるかだからだ。人工知能に関する特許を200以上取得しているというホフマン教授の得意分野は、人間の脳神経が感情を示す構造を数理的に解明・モデル化してプログラムでそれを再現することだ。つまり彼は脳機能を知り尽くしているのだ。

「確か15年ぐらい前だな。トレースが世に出てきたのは。市販化されたのはここ最近だがな」

「僕は体験したこと無いですけど、やっぱり凄いんですかね?」

「まあ、そうだな」

「え!? アンカーさんは経験あるんですか?」

「ほんの少しだがな」

「そ、それで、どうでしたか? やっぱり快感とか幸福感とか凄いんでしょ!」

 妙なところでチャンが食いついてきた。

「やめとけ。子供にはまだ早い」 

トレースそのものは違法ではない。が、過剰にドーパミンを放出するような記憶、例えば覚せい剤を使用した女性の性的な快感の記憶などは麻薬と同じ理由により法律で禁止されている。現にトレースのやりすぎで廃人同然になった者も少なくない。 

 話題を変える為に最初の男、すなわちイタチ男に似た男を指差す。

「ところでこの男。プロフィールは本当なのか?」

「え? それは拾ってきた資料のままなんで本当かどうかはなんとも……」

「瀬戸源一郎。24歳。日本人。T大医学部生。特に実績は無し。現在は消息不明……か」

イタチ男の情報を見てもいまひとつピンと来ない。もしも本当にこの時に彼がこの歳であったなら現在は54歳。やはり今朝見た男がこの写真の人物とは到底、信じられない。

チャンはこの男の写真を見て『バベル』とこの調査団を結びつけて考えたようだが、それにしてもメンバー構成がてんでバラバラだ。財界人のアル・ハシドに物理学者、会社経営者、人工知能の研究者、医学生。残る一人はガイド役の青年アシムということになっている。

「しかし……こいつら何の集団だ? とても話が合うとは思えんが」

「ハハ……確かにそうですね」

チャンも苦笑する。

「確かに個性的なメンバーだが、結局こいつらは何がしたかったんだ?」

「そこなんですよ。僕が興味を持ったのは」

「だが調査結果のレポートはおろか本当にバベルの塔があったかすら記録に残っていないんだろう」

「そうなんですけど……何らかの成果はあったはずだと思います。で、彼らはそれを隠したんではないかと」

「憶測だな。所詮」

「証拠が無い状況ではそう言われても仕方がありませんね。けど思い出してください。創世記の挿話を」

 そう言ってチャンは再びモニター壁にバベルの塔の絵画を映した。作はピーター・ブリューゲルとなっている。渦巻状にそびえる塔は上の部分が作りかけで、未完成であることは一目でわかる。その「色合い」に「整然と並ぶ穴」……その形はスズメバチの巣を連想させた。

「この食べかけのソフトクリームみたいな画はやはり空想なんだろうよ」

 常識的にはそうだ。そんな大昔に天まで届く塔を作ろうという試みが本当にあったとは思えない。ピラミッドみたいにその残骸が実在するならまだしも、バベルの塔はその痕跡すら認められない。ということは所詮、空想で描かれたものに過ぎない。

 が、チャンはなおも食い下がる。

「でも、これほど巨大ではないにしろ小さなジッグラト(聖塔)は現存しますし、どんな神話や挿話にも意味があるはずなんです。バベルの塔は、人々が天まで届く塔を造ろうとしたことに神が腹をたてて人々の意思疎通ができないように異なる言語を与えたという話ですよね。僕にはこれが何かを象徴しているように思えてならないんです」 

「分かった。少年。仮にこの調査団がイランにあるバベルの塔跡地を幸運にも発見したとする。で、彼等はそこで何かを見た。彼等の価値観を根底から変えてしまうような何かを。そこで衝撃を受けた彼等は秘密結社を作りあげたということだな? 何のことはない。まるでカルト教団じゃないか」

 チャンは唇を噛んで黙って聞いていた。が、その目つきはこちらの嫌味に対して少しも怯むことは無い。チャンは本気でそれを信じているらしい。

であれば尚更言わずにはいられない。

「秘密結社だか秘密組織だか知らんが、馬鹿みたいに大掛かりな、それも長い期間それを続けていくには絶対的なベクトルが必要だ。集団内で共有するベクトル、いわば『共通の価値観』て奴だな。営利目的の法人ならともかく、大多数の人間が同じ価値観を共有するなんざ宗教的な……」

 そこまで言って、はたと気付いた。

(いや……無いことはない、か)

 共通の価値観。それで連想したのは次世代インターネットで特定のコミュニティ(nationと呼ばれている)に存在する『総意』だ。いわゆる『the general will』は、ある意味でそのコミュニティに属する人間の共通する価値観といえる。例えば新たな情報が入った時に、nationに所属する個々の住人はそれぞれ感情や感想を持つ。そしてその反応は言葉ではなく、脳神経の動きとしてダイレクトにネットワークで繋がる。ニュースの内容に一喜一憂したり一緒に考えたり、まるでネットワークで繋がった住人達の心が一体化したかのように自然と『総意』が形成されていく。それはスポーツ観戦で同じチームを応援する観客の一体感によく例えられる。その総意に自分の感情がシンクロした者は至高の満足感を得ることができる一方で総意に合わない者はそこから排除されていくからだ。

 個々人の価値観や心の動きをネットワークでまとめあげるシステムを築くこと。それこそバベルの塔を作ろうとした古人と何ら変わりはない。

「今のネットこそ『バベルの塔』なのかもしれんな」

「え?」

「いいや。独り言だ。気にしないでくれ」

 そう考えるとバベルの塔が実在するか否かなどは大した問題では無いような気がしてきた。チャンが行きたいと言うのなら彼の自主性に任せてみるのも悪くないだろう。 

「よし分かった。少年。だが、本当に中東まで行く価値があるのか?」

「あると思います」

 と、チャンは力強く頷いた。

「どうせ行くならもう少し調べてからの方が良いんじゃないか」

「ですが今行かないと……」

「いいのか? サァラ達はもうこの国に上陸しているようだが?」

 それを聞いてチャンの表情が一変した。

「良かった! 無事に上陸したんですね? で、サァラ達は今どこへ?」

「恐らくコロラド州だ。今朝『ナミ』にも会ったんだ」

「ナミってB国で会ったあの人ですね……」

そう言ってチャンは顔をしかめた。無理もない。額に二度も銃を突きつけてきた相手なのだ。あまり良い印象は持っていないのだろう。

「そうだ。今日は良く知った顔に会う日でね。それに運がいい。多分、教会に行ったからツキが回ってきたんだろう」

 ナミこと『ジェーン・ギデオン』は現在、コロラドに向かっている。その動向はさっき端末で確認した。彼女のコートに忍ばせたスパイ・インセクトがそれを教えてくれるのだ。

「俺はこれからコロラドに向かう。お前さんはどうする?」

 そう尋ねられてチャンはしばらく考え込んだ。そして顔を上げる。

「やはり僕はイランに向かいます! 今の僕に出来ることを優先させたいです」

 やれやれ。どうやら意思は固いようだ。一人で行かせるのは大いに不安だが普通の子でないことも確かだ。ある程度の装備を与えてジイサンのフォローをつければ何とかなるかもしれない。

「分かった。で、幾ら必要なんだ」

「200、せめて150あれば何とかなると思います」

「大金だな。まあ、時間がかかっても返してくれるなら文句は言わない。50年ローンでもいいぞ。お前さんは若いからな」

「幾らアンカーさんが長生きでも長すぎですよ。出来るだけ早く返しますから」

「さてと。金を工面しないとな。かき集めても足りるかどうか……」

 端末で預金残高を確認する。よく「体重計を見るのが苦痛だ」という女性が居るが自分の場合、残高を確認する行為はそれに近い。ある意味、人生とはそういった軽い絶望の連続なのだ。

「な!?」 

 残高を見て仰天した。何かの間違いだろうと疑った。あまりにも桁が違いすぎる。表示された数字は『300,240』その後に小数点以下の端数が4桁並ぶ。

(まさか! これはイタチ男が?)

 送金元の欄には見慣れぬ単語が…。

(Inpw……なんて読むんだ?)

 試しに検索をかけてみる。

「インプゥ? これは……エジプト神話だと?」

「ど、どうしたんですか? インプって聞こえましたけど」

「いや。どうやら奴は俺の懐事情も把握しているらしい」

「奴……奴って誰です?」

「瀬戸源一郎、のそっくりさん。奴が前払い金を寄越してきやがった」

「は? 分からないなあ。なぜあの人が?」

「仕事は断ったんだがな。こっちの事情はお構いなしか。やれやれ」

「……報酬ですか。ふうん」

「ま、おかげでお前さんに貸してやれる資金は出来た。とりあえず200、いや500ぐらい持っていくか? 足りなきゃ追加で」

「ちょ、ちょっといいですよ。そんなに。200で十分です」

 いずれにせよ、こちらはサァラに近付かなくてはならない。そうなればイタチ男の望むように『ヘーラー』と対峙することもあるだろう。無論、こちらから積極的に仕掛ける必要は無いが。

「さて。のんびり正月気分を味わっている場合じゃなさそうだ。早速、出かけるとするか」

「サァラを追うんですね。彼女のこと、よろしくお願いします」

「何か伝言はあるか? 彼女に会ったら伝えておいてやる」

「いや、まぁそれは……いいです特に。ありません」

 そう言って頬を赤らめるチャンを見ていると何だかむず痒いような気がする。もう何十年も前の微笑ましい記憶。それがまだ僅かながら残っているということに少しほっとする。

「少年。気をつけて行ってこいよ」

「ええ。アンカーさんこそ」

こうしてチャンは中東へ。自分はコロラドへ。しばらくは別行動になる。

 と、その時に警告音が鳴った。監視カメラが異常を知らせる。モニター壁にカメラの映像をウインドゥで開く。4つ並んだ映像が順に消えていく。

「どうやらお客さんのようだな」

「それって……クライアント、じゃないですよね?」

「ああ。招かれざる客だ」

 監視カメラの映像は断たれたがもうひとつのカメラは…。

(何だ。こっちのカメラには気付いてないのか。ド素人か?)

 切り替えたのは通りを挟んだ他所のビルからこちらを映す画像だ。黒塗りの高級車が1台にしょぼいライトバンが1台。見たところ銃を持った男が……5人。

「教会で見た顔があるな。こいつら警備員か?」

「何で警備員がここに? ひょっとして教会で何か悪さしたんじゃないでしょうね?」

「バカを言え。それにしてもなめられたもんだな」

 やはりナミも自分と同じような手を使ってきたようだ。

「少年。ここは任せる。一人で撃退しろ」

「ええっ? そんな無茶な!」

「練習だ。これをクリア出来ないようではこの先、一人で行かせるわけにはいかない」

 ここは心を鬼にしてチャンの覚悟を確かめてみることにした。


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