第22話 イタチ男
イタチ男……B国の病院に現れた謎の男。
彼は我々が八方手を尽くしても手に入れられなかったiPS細胞を無償で提供してくれた。普通なら大恩人だ。だが、どうしても無条件で彼の存在を受け入れる気が起きない。なぜなら、まずあの状況で突然現れたというのが怪しい。仕事柄、自分が知らないうちに何者かにマークされるのは珍しいことではない。しかし、イタチ男は自分の事をあまりにも知りすぎている。そのくせ何がしたいのかがまるで読めない。その為に薄気味悪さばかりが先行する。それにその風貌も怪しさ全開だ。細身の黒いスーツは3ピース。濃紺シャツに黄色のネクタイ。足元には黒のスーツケース。切れ長の目に小さな頭は、まさにイタチを連想させる…。
イタチ男はゆっくりイスに腰掛け、しげしげとこちらの顔を眺めた。
そしておもむろに口を開いた。
「アーシェンジャーの『輪廻』は、読んだか?」
開口一番がそれだ。前に会った時もそんな名前を口にしていたが、なぜそれを読むように薦めるのかが分からない。
「いいや」
「それは感心しないな。何かを理解する為には努力が必要だ」
「探すのが面倒でね。そんなに薦めるんなら貸してくれればいいじゃないか」
「……生憎、手元に無い。それに言っただろう。何かを理解するには努力が必要だと」
「勿体ぶるなよ。名前も告げずに病院から去った『慈善家』さんならそれぐらいサービスしても良いんじゃないか?」
こちらの嫌味にイタチ男は少し首を傾げる仕草をみせた。が、何事もなかったかのように会話を続けようとする。
「ところで……仕事を頼みたい。報酬は、これで」
そう言ってイタチ男は指を3本立てた。
(何を言い出すかと思えば……どういうつもりだ?)
唐突な申し出に戸惑った。何を考えているのかまるで見当がつかない。
「30……人探しか?」
試しにそう尋ねてみたのだがイタチ男は即座に否定する。
「違う。桁が」
「冗談だろう。たったの3だとすると探し物は猫か犬か……」
「違う。300,000だ」
「三十万!? 正気か?」
Eドル(※1)で三十万! 豪邸が何軒買える値段だ? 『ロトくじ』じゃあるまいし。本当にそんな報酬の仕事があるのか…。いや、あったとしても命が幾つあっても足りないような仕事なのだろう。
「絶望的な金額だな。それだけ危険ということか?」
するとイタチ男は澄ました顔で否定する。
「いいや。それは妥当な報酬。それだけの価値があるから」
「……ほう。では一応、聞いておこうか。内容は?」
「彼等、つまり『ヘーラー』と対決すること。出来るか?」
「対決? 奴らを潰せ、ではないのか?」
「君が失敗しても報酬は固定。結果は問わない」
イタチ男のリアクションは妙に淡白で、まるでマネキンを相手にしているような気分になってくる。それに言葉の区切り方が普通ではない。言語障害があるのだろうか。
「泣けてくるぐらい『うまい話』だな。誰がそんな話を信じる?」
「大事なのは決心すること。報酬はそのきっかけにすぎない」
「そもそも『対決』の意味が分からない。俺に何をしろと?」
「特別なことはしなくていい。今の任務を遂行すれば自然とそうなる」
(今の任務……サァラの件か。そんなことまで調べられているのか? こいつ、一体どこまで俺のことを知っている?)
「やれやれ。あんたが何者で何を目的にそんな依頼をするのかは分からんが、つまりB国の時と同じように普通に仕事をしてれば良いんだな?」
「そういうことになる」
「あんたは『バベル』でも『ヘーラー』でも無い。中立だと言ったな。だがその依頼内容からするとあんたはバベル側の人間じゃないのか?」
「違う。強いて言えばバベルに近い。が、バベルではない」
「……その二つは対立しているんじゃないのか?」
「そうではない。彼等の目的は同じ。ただプロセスが異なる」
「同じ目的……プロセスが違う……さっぱり見当がつかないな」
「そのうち理解できるはず。その為にもアーシェンジャーの『輪廻』を読むべきだ」
「しつこいな。読書はあまり好きじゃないんだ」
「必ず読め。自らを知ることでもあるから」
(何……?)
自らを知る? 妙なことを言う。
奇妙に思っているとイタチ男がすっと立ち上った。
「では、また」
「おいおい用件はそれだけかよ。そのスーツケースの中味は手付金じゃないのか?」
「違う。報酬は後ほど」
そう言い残してイタチ男は黒いスーツケースを拾い上げるとクルリと背を向けた。
「期待しないで待ってるよ」
まったくもって奇妙な奴だ。イタチ男の後姿を眺めながらつくづくそう思う。そこで気がついた。
(あいつ……また名乗らなかったな)
* * *
部屋に戻ると既にチャンが帰っていた。
B国から戻る時についてきたチャンは現在、事務所に居候をしている。最も何部屋借りても家賃が変わらないようなボロいビルなので空いている部屋を自由に使っている分には邪魔にはならない。
「あ、おかえりなさい」
「帰っていたのか。寝なくていいのか?」
「ええ。大丈夫です。訓練してますからね。それより、店から貰ってきたんですが食べます?」
そう言ってチャンは食堂のテーブルを指差した。
「今度は何を持って帰ってきたんだ」
「お正月用の日本料理です。確か『OSECHI』って言うんですって?」
「ああ。おせちか。何年ぶりかな」
チャンはスシ・レストランでアルバイトをしている。日本人だと言ったら即、採用してくれたらしい。
「アンカーさんは日本を出て何年になるんですか?」
「そうだな。もう二十年以上になるかな」
「時々恋しくなったりしませんか?」
「どうだか。たまに仕事で寄ることはあるが……当分戻るつもりは無い」
別に日本が嫌いになった訳ではない。知り合いもまだ大半は生きている。しかし、皆それなりに歳をとっている。それに比べて自分は未だに見かけは二十代のままだ。事情を説明して回ったところで何かとやりにくい事は分かり切っている。自分のような人間にとって日本は狭すぎるのだ…。
「すぐ食べますか?」
「そうだな。折角だから少し摘むとするか」
「分かりました。じゃあ準備しますよ」
チャンが持ち帰った料理は決して見栄えの良いものではなかったが、余り物を寄せ集めたにしては上出来だった。しかも、煮物に牛肉のゴボウ巻き、伊達巻、かまぼこ、栗きんとん、ブリの照り焼き等などおおよそ一通りの品は揃っている。
ビールをチマチマやりながら久々のおせち料理を堪能しているとチャンが突然、改まって頭を下げた。
「実はお願いがあります」
「なんだ急に?」
「旅費を貸して欲しいんです」
「おいおい。遊びに行くぐらいの金ならバイトで充分に貯まってるんじゃないのか?」
「観光に行くんじゃありませんよ。中東に行くんです」
「中東? それはまた随分と遠いな。だが、俺にそんな金があるように見えるか? この事務所に居れば分かるだろう。ここ一ヶ月間で何人客が来たことか」
「でも昔は凄腕の調査員だったんでしょ? それぐらいの貯えは……」
「そこは過去形か? まあいいだろう。それで目的は何だ?」
「例の組織です。この一ヶ月間、色々調べてみたんですが、ついに『バベル』の手掛かりを見つけたんです」
「なんだと?」「
思わず箸を止めてチャンの顔に見入ってしまった。随分と自信が有りそうな表情だ。
「バベルか。そいつは立派な目的だが……なぜ組織のことを?」
「自分で考えて行動すること。サァラの言葉通りです」
チャンは随分と逞しくなった。NYに来た頃はサァラに連れて行って貰えなかった事でウジウジと考え込んでいたようだが、いつの間にか立ち直ったらしい。
「中東まで行くのはいいが、行ってどうするつもりだ?」
「……まだ分かりません。正直言って。でも、バベルが僕たちを狙った理由を知りたいんです。もしかしたらサァラもそれを望んでるんじゃないかって思うし。今、自分にできることをやる。それだけですよ」
バベルのことは自分も一応、調べてはみた。が、結論としてジイサンの力を借りても大した情報は集められなかった。むしろ調べれば調べる程、情報の海に飲み込まれてしまうばかりで「やはり秘密組織なんてものは存在しないのではないか」とさえ思っていた。それに引き換えチャンはその存在を信じて根気強く調査を続けていたのだ。
「頭が下がるよ。諦めずにずっと調べていたんだな。じゃ、折角だからその手掛かりとやらを聞かせてもらおうか」
「はい。分かりました。まず、最初はバベルという秘密組織の実体を『See・Show』(※2)で探ろうとしてたんですが途中で諦めました。『See・Show』のリアクションがあんなに微妙なのは初めて見ましたよ。それだけ実体がベールに包まれてるんでしょうね。そこで、ちょっと視点を変えて彼らのルーツを探ってみようと思いついたんです」
「ルーツ? 昔の情報を漁ったということか」
「はい。偶然に発見した古い記録が突破口になりました。とても幸運だったと思います」
「で、その記録とは?」
「ええ。それ自体は些細な事件なんですが、順番に説明すると始まりは古代史マニアのマーク・クラウンという英国人男性が2048年3月にぱったり消息を絶ってしまったという記事でした。この人は民間人なんですが超古代文明の研究ではちょっとした有名人で、彼のサイトはそれなりに注目されていました」
「超古代文明? メソポタミアとかシュメールとかその類か」
メソポタミア文明といえば人類最古の文明ということで有名だが、バベルのルーツとしては流石に古過ぎるだろう。
「まあそれに近いといえば近いんですが、彼の専門は『オーパーツ』だったんです」
「オーパーツ?」
「はい。例えば『バグダッド電池』って知ってます?」
「いや。特に……」
「アンカーさんは紀元前より前に電気が利用されてたって信じられます?」
「なんだそりゃ。そんな昔に電気が? 馬鹿馬鹿しい」
「ところがですね。超古代文明の存在を信じている人は少なくないんですよ。紀元前数千年前に現代文明を遥かに凌ぐテクノロジーが存在していたってね」
確かにその時代に作られたにしてはその背景が説明できない物が世の中には存在する。それらを総称して『オーパーツ』と呼ぶというのは聞いたことはあるが、個人的にはオカルトの類だと思っている。
チャンは自分の端末からリビングのモニター壁に映像を転送して説明を続けた。
「バグダッド電池は1937年にバグダッドで発見された壷で、世界最古の電池ではないかと言われています。ところが発見されてからもう150年経ちますが未だにこれが電池かどうか諸説が入り乱れている状態です」
「まあこの際、そんな骨董品の真贋はどうでもいいだろう。で、その古代史マニアの失踪が『バベル』とどう繋がってくるんだ?」
するとチャンはその質問には答えずに飲み物に手を伸ばした。そしてゆっくりと喉を潤す。
「勿体ぶるなよ。続きはどうした?」
「すみません。ここからが核心なので。それで、ですね。実はこのマークという人は『バベルの塔』について並々ならぬ関心を持っていたんです」
「なんだ。それだけか……」
『バベルの塔』という単語が出た時点で正直、拍子抜けした。
(組織の名前が『バベル』だから『バベルの塔』だと? そんな短絡的な…)
が、チャンは構わず説明を続ける。
「知ってのとおり『創世記』のバベルの塔に関する挿話はバビロニアのジッグラト(聖塔)をモデルにした伝説というのが一般的です。つまり実在した物ではないってことですね」
「創世記……旧約聖書だな」
「ええ。だけどマーク氏はバベルの塔が実在した証拠を掴んだとブログに書いていたんです。そして、あるルートのコネクションで現地に向かうという記述を最後に音信不通になってしまったんです」
「……それは大口を叩いて何も出なかったから恥ずかしくなったんじゃないのか?」
「いえ。彼が失踪したのは事実です。実際に彼の支援者が調査したところイラン入りしたまでの記録はしっかり残っていますから。最後に彼が電子マネーを使った場所も特定されています」
「イランか。その頃のイランだとまだ外国人は目立つだろう。事件か事故に巻き込まれたとしたらすぐ分かりそうなものだがな」
「ところが彼の消息はパッタリそこで途絶えてしまった。そして何の調査もされなかった。彼はどこに行ったのでしょう?」
「そんな30年前の話なんか知るか。記録は無いのか」
「ほとんどありませんでした。情報化システムが幾ら発達したといっても当時の人間が誰も記録をしてなければ手も足も出ません。幾ら遡っても始めから無いものはどうしようもないですから」
「話が脱線しているぞ」
「すみません。前置きが長すぎましたね。で、ここからは大分、僕の憶測が入るのですが、多分、マーク氏は消されてしまったのではないかと。彼は確かに調査団の一員としてイランの奥地に入ったんですが、そこで……」
「ちょっと待て。調査団だと? 何の調査団だ」
「勿論『バベルの塔』の残骸を調査する団体ですよ。これは実在しています。記録にも」
(30年前とはいえ本気でそんな調査が行われていたというのか?)
確かに中東の一部は長らく政治的に鎖国に近い状態だったから未開の地は残されていたのだろうが…。胡散臭い話ではあるがチャンは確信があるらしい。
彼は一段と目を輝かせて話を続ける。
「そして驚くべきことにそのメンバーの中にある人物の名前が! 誰だと思います?」
「さあな」
「それが『アル・ハシリド』、イスラム経済連合の元会長です」
「アル・ハシリド!? 大物じゃないか」
「ええ。アル・ハシリドは30年前にバベルの塔探索チームに名を連ねていたんですよ」
それが事実だとすると……まんざらオカルトではないのかもしれない。なぜ元経団連の会長がそんな怪しげなプロジェクトに参加していたのかは分からないが。
そこで念押しする。
「なるほど。それは本人に間違いないんだな?」
「はい。証拠は揃っています」
「で、調査報告書は入手出来たのか?」
「いえ。残念ながらそれは……」
「ジイサンに頼めばどこかから出てくるかもしれんぞ」
「あ、そうか。そうして貰えれば助かります」
「最も、お前さんが言うように最初から無いものまでは手に入らないが」
「そうですね。で、ここからが本題なんですが、僕の推理ではこの時の調査団に加わった人物が『バベル』の創設者ではないかと」
「アル・ハシリドがバベルに関係しているというのか?」
「いえ。彼は表舞台の人ですから。でも無関係では無いと思います」
「つまりバベルはイスラム系だと?」
「そうではありません。恐らくはもっと広い繋がりがあると思います」
「その根拠は?」
「はい。そう思って調査団のメンバーを出来る限り調べてみました。そして怪しい人間を発見したんです。まずはこの写真を見てください」
そう言ってチャンがモニター壁に映した映像、すなわち鮮明なデジタル写真の背景は、どこかの遺跡のようだ。そこに6人の姿が映っている。そしてその端っこにいる人物……それを見た瞬間、思わず手元のビールを落としてしまった。
「こ、これは……まさか……」
間違いない。そこに映っていた人物。それは今朝会ったばかりの『イタチ男』そのものだった…。
【用語】
※1「Eドル」… この時代の1ドルは現在の円に換算すると約7500円。赤字国債の乱発と国内経済の停滞により米国債の相対的価値が暴落した結果、米政府は2035年にハイパーインフレ政策を余儀なくされ、その結果、2回のデノミを実施せざるを得なかった。
※2「See・Show」… 書き込まれた質問に対して誰かが回答するというスタイルを極めた世界最大のサイト。G社の「集合知プロジェクト」により、各サイトでそれぞれ運営されていたものが完全統合されて誕生した。2023年に日本の情報処理会社が開発した文脈判定、傾向分析、取捨選択等の革新技術を採用したことから「師匠」とも呼ばれている。