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第21話 黒神父

 2079年の幕開けは雪だった。

 まるで上空で待機していたかのように雪たちは暦が変わると同時に一斉に降り始めた。しかし灰色の町に降る雪はどこか投げやりで一斉に身投げしているように見える。そうかと思えば誇らしげに色を変えながらネオン街を徘徊するものもいる。

 新年を迎える人々の反応も両極端だ。ある者は「地球がまた1年歳を取った」と祝杯をあげ、また別な者は「地球の寿命がまた縮んだ」と手酌をする。前向きに捉えるか悲観的に構えるか…。それはここ十数年の傾向だ。何しろ『地球はもうすぐ終わると思うか?』という質問に実に40%以上の人間が『YES』と回答するような時代なのだ。また、すぐには終わらないとしても『危機的状況にある』という回答はもはや人類共通の認識になっている。そして誰もがその事実をどう受け止めるべきなのか迷いながら日々を送っている。

 そんな風に世界は複雑な思いを抱いて2079年という時代に足を踏み入れた。


 雪の密度は先程より濃くなったものの相変わらず勢いは無い。

(この様子じゃまず積もらないだろうな……)

 それなら今帰っても朝まで居ても大差は無い。どのみちチャンはアルバイトで徹夜だ。独りで過ごすよりも朝まで飲んでいた方が『光熱費』も安上がりだ。

 店内は似たような境遇の人間がそれぞれのテーブルで寛いでいる。このバーの良いところはどんな時でも満席にならないところだ。なにしろヤンキースがワールドシリーズで4連覇した時ですら客席は半分しか埋まらなかったぐらいだ。だが自分は気に入っている。恐らくこの時代に置いていかれたような雰囲気が自分にはしっくりくるのだろう。


  *  *  *


 予想通り明け方に雪は止んでしまった。

 NYに大雪が降らなくなってもう何年ぐらいたつだろう。だが海面上昇や水害に比べれば雪が積もらないことなんて大した問題ではない。何しろ世界には住処を失った人々が数千万単位で存在するのだ。そういう気の毒な人々の実感に比べたら我々の危機意識など潜在的なものに過ぎない。それが『終末的感覚』という得体の知れない不安となって少しずつ将来への意欲を削ろうとしているにも関わらず、我々はそれをずっとやり過ごしてきた。もう何十年も…。

 そんな事を考えながら家路につく。

 酔いと寝起き特有の浮いた感覚で通りを歩いていた時だった。ふいに舞い降りた『概視感』に感覚が呼び起こされた。

(あの女は……『ナミ』!)

 車道の向こう側を行く女の姿。それをきっかけに記憶が甦る。

「何でこんな所で……」

 戸惑いながらも、つい反射的に彼女を追ってしまった。これも一種の職業病か。

 

 彼女を尾行しながらB国での事件を思い出した。

 あれから2ヵ月近く経った。結局、C国旅客機の件は墜落事故として記録され、人々に忘れ去られていった。世間とは冷たいもので、どんな大事件であっても他人にとってのそれは掌に掬い取った砂に過ぎない。例えそれが残された関係者達に一生の傷を残したとしても世間はそれを簡単に過去形にしてしまう。多様化した情報は高度に括られ瞬時にあまねく行き渡る。その分それは一過性に過ぎず、まるで過保護に栽培されたレタスのように鮮度が長持ちしないのだ。

(彼女がNYに居るということは……サァラ達はもうこの国に入ったのか?)

 C国航空機の件では『ヘーラー』という組織がサァラ捕獲の為にB国でやりたい放題だった。その中心にいた彼女がここに現れたということはサァラ達が無事この国に辿り着いた事を意味するのではないだろうか。

 ナミとの遭遇が酔いを一気に冷めさせてくれた。


 彼女が向かったのはダウンタウンの教会だった。

 NYの教会は周りの風景から浮いているものが少なくない。古い町並みにぽつんと新しいのが建てられたかと思うと逆に再開発から取り残されたように古臭いものがいつまでも残っていたりする。彼女が入っていったのは後者だ。

(まるで人の気配が無いな……)

 不審に思いながらタイミングを遅らせて教会の門をくぐる。

 そのまま入口に向かおうとすると急に肩を引っ張られた。

「おい。今日はやってねぇぜ」

 振り返ると警備員が2人。いかにも身体が大きい事だけが取り柄のような大男ふたりが警棒片手にニヤついている。

「待ち合わせだ。知り合いが中に居るんでね」

 と、用件を告げてみたのだが警備員は納得しない。

「ダメだ。帰んな!」

 気安く触られるのは不愉快なので肩に乗せられた手を払いのける。

「放せ。あんたらに許可を貰う筋合いは無い」

「おめぇ……言っても分からねぇなら」

 太った警備員がそう言いながらこちらの手首を掴みにきたのでクルリと1回転して相手の背後に回る。そして警備員の腕を後ろ手に捻じり、警棒を奪って首に引っ掛けてやった。

「はぁん?」と、警備員が犬の欠伸みたいな声を出す。

 遅い。何が起こったのか理解するのに数秒も要している。こんな反応の鈍さでよく警備員が務まるものだ。

「クソッ! 相棒を放せ!」

 先にもう一方の警備員が状況判断して銃を構えた。こちらはアメフトの選手のような体格ながら帽子からはみ出した天然パーマが妙に素人くさい。

「い、痛てぇ! 畜生!」

と、太った警備員は暴れようとする。

 無駄に足掻くと余計に腕が締められるというのに太った警備員は無駄な抵抗を続ける。

(暴れると逆効果なんだが……)

 半ば呆れていると天然パーマが声を上ずらせながら叫んだ。

「撃つぞ! いいのか? 本当に撃つからな!」

 やれやれ。完全に舞い上がっているようだ。それでは『死亡フラグ』が立ってしまった雑魚キャラクターではないか。

 そこで太った警備員が「ちょ、ちょい待てってば!」と、慌てる。

 そりゃそうだ。自分が盾にされてしまうのだから相棒をなだめなくては自分の命が危ない。 

(面倒くさい奴らだな……)

 どうしたものかと思った矢先だった。

「止めなさい!」

 背後で女の声。しかもこの声は…。

「その人は知り合いよ。中に入れて構わないわ」

 その言葉を聞いて天然パーマが戸惑いながら銃口を下げる。そして銃のやり場に困ったようなリアクションを見せる。

 そこで太った方を解放してやる。すると太った警備員は相棒の所まで撤退してこちらを睨んだ。そして喉をさすりながら舌打ちする。

「チッ! 命拾いしやがったな」

 その台詞に吹いてしまった。どこまで定型なリアクションなんだ。

 太った警備員の負け惜しみを聞いて彼女が呆れたように首を振る。

「逆よ。あなた達の方が助かったの。彼に銃を向けるなんて自分のこめかみに銃口を押し付けるようなものだわ」

 彼女の言葉に巨漢ふたり組は揃って首を捻る。その様子ではまったく理解出来ていないようだ。

 そんなマヌケ・コンビは放っておこうといった感じで彼女がチラリとこちらを見る。

「さあどうぞ中へ」

 彼女に促されて遠慮なく縦長の扉の向こうへ入る。

 


 古びた教会内は思った以上に薄暗かった。

(……随分と閉鎖的な空間だな)

 それが素直な感想だ。朝日はおろか朝の空気すら入り込む余地が無い。その原因は壁や天井をびっしり覆う歴史的な装飾の数々にあるような気がした。それらはひとつひとつに意味があるのかもしれないが、先鋭的なデザインの首飾りとの違いを判別する自信がない。それにいちいち光源を装飾品で囲って明かりをぼやけさせるのは何故なのだろう? 権威付けとか演出とかにはそれが必要なのかもしれないが、この異空間はまるで時の流れを受け入れることを拒否しているようにさえ思える。

 やけに天井の高い礼拝堂を眺めながら進んでいると、祭壇の右手から何者かが現れた。恐らくそれは神父なのだろうが何しろ薄暗くて良く分からない。こんな調子では礼拝の時に単に説教好きな酔っ払いが紛れ込んでも分からないのではないかと余計な心配をしてしまう。

「よく来てくれたね。朝早くからご苦労さま」

 張りのある声が無人の礼拝堂に響く。ゆっくりと歩み寄るその姿は紛れも無く神父だ。

 彼女は立ち止まって静かに頭を下げる。

「おや。そちらのお方は?」

 神父の問いに彼女は答えない。ただチラリとこちらを見て意味深な笑みを浮かべるだけだ。が、神父はその様子を見てウンウンと頷く。

「なるほど。貴方がそうでしたか。B国ではこの子がお世話になったようで」

 その言葉に嫌味っぽいニュアンスは感じられない。にこやかに話す神父の表情はまさに聖職者のそれだ。おでこが突き出ているのか眉から下の部分が窪んでいるのかは分からないが特徴のある顔の骨格。目尻のシワはそれなりの年齢を感じさせる。ややアゴが発達しているが醜いという程ではない。とても秘密組織の幹部には見えない。

(こう見えても裏では……さしずめ『黒い神父』というところか) 

 やはり先入観があると自然とそういう目で見てしまうものだ。

 しかし神父は少しもそんな素振りを見せることなく逆に次々と質問をしてきた。最も天気だとか今日の予定だとかどうでもいいような質問ばかりだったので返事は適当にするしかなかった。それでも神父はいちいち目を細めて「そうですか」を繰り返し、嫌な顔ひとつ見せない。そんな調子で一通り社交辞令的な会話を終えたところで神父が彼女に向かって尋ねた。

「ところで今日は直ぐに出発するのですか」

「……いえ。午後一番の便で向かう予定です」

 と、彼女は神妙に答える。

「そうですか。それではまだ時間がありますね」

「はい」

「それではこの方と十分にお話しすることができますね」

「え? でも……よろしいのですか?」

「ティンバーさんのお店なんかどうです。いつも通り営業しているはずですよ」

「はい……」

 神父の言葉ひとつひとつに彼女が身構えるのが分かった。明らかに彼女は緊張している。だとすればこの神父は相当、上の位に位置する人間なのだろうか。

(しかし組織のトップがそう簡単に姿を現すものなのか?)

 そんな疑問がわいた。

「それでは御二人で行ってらっしゃい。何を話すかはお任せしますよ」

 最後の台詞の部分の時だけ神父は真顔をみせた。その目つき……それは聖職者のものではない。どちらかといえば軍人やマフィアに近い。

(どういうつもりだこの神父……)

 神父の目つきはこちらの情報を探れという彼女への命令なのだろう。そう解釈した。

「楽しい時間が過ごせると良いですね。あなた方に神のご加護があらんことを」

(それが満面の笑みで言う台詞か……)

 随分と狡猾な祝福だ。しかし、彼女と話せるのはこちらにとってもチャンスではある。ここは黒い神父の作戦に乗ってやることにしよう…。


  *  *  *


 黒神父おすすめのカフェは元旦の朝から普通に営業していた。

『ティンバーさんの店』というだけあって個人商店らしい雰囲気の店だ。広さの割に客は少なく、落ち着いて話をするには都合が良さそうだ。ただ、これから話す内容が内容なだけにオープン・テラスを選択することにした。

「少々寒いが……あまり大っぴらには出来ない話がしたいんだろ?」

 まずは軽くジャブを打つ。

「そうね。でも大して期待はしてないわ」

 と、彼女も軽く返す。

 お互いに腹の探り合いとなるか、適当にお茶を濁して終わるのかは分からない。聞きたいことは沢山あるが、彼女が素直に真実を話してくれるとは思っていない。

 ウェイトレスが注文を取りに来る。朝食を摂る習慣は無いのだが彼女がセットを注文したので「同じで」ということにした。

「意外ね。朝食、食べるのね」

「いいや。注文が面倒だから君の真似をしただけだ」

「そう。私も普段は食べないんだけど」

「ダイエットの必要があるようには見えないが?」

「そうでもないのよ。必要以上にエネルギー摂取できないから」

「エネルギー摂取? それじゃ飯を食う楽しみが無いんじゃないか」

「そうね。そういう意味では損をしているかも」 

 そこにウェイトレスが注文の品を運んできた。テーブルに置かれたプレートには山盛りのスクランブルエッグにベーコンが3枚、野菜は申し訳程度で大き目のベーグルが鎮座している。その量を見て食べる気が失せた。やはり慣れないことはするもんじゃないと思った。

「ところであの神父は君の上司かい?」

「上司……そうね。もっとも階級が全然違うけど」

「君等の組織。確か『ヘーラー』と聞いたが」

 B国の病院でイタチ男から聞いた名称を口にすると彼女は一瞬、手を止めて顔を上げた。

「……知ってたのね」

「そもそも正式な名称なのか? 『ヘーラー』というのはギリシャ神話の女神だろう」

「特にその名前が正式ってことではないわ。内部では『組織』で通用するし。だから好きなように呼べばいいわ」

「そうか。いや。君がサァラのことを『miracle crop』と言ったことを思い出して組織の名前と関係があるのかと」

「クロップだから? 豊穣の神なら『デメテル』なんじゃない?」

「神話に興味は無いからそのへんは知らないが……クロップの意味は? まさか野菜とか穀物とかではないだろう」

 cropは直訳すると農作物だ。つまりサァラは『奇跡の作物』ということになる…。

「クロップの意味? そうね。農作物とはニュアンスが違うわ」

「君等が言うクロップとは何なんだ?」

 すると彼女はカップから立ち上る湯気を眺めながらまるで独り言のように呟いた。

「私たちは『ラスト・クロップ』なのよ……」

 ラスト・クロップ? 聞いたことがあるような気もするが……待てよ! 

「それは競走馬の話じゃないのか?」

 優れた競走馬は種馬となって毎年多くの子供を残す。その種馬が最初に種付けして誕生した世代の馬達を『ファースト・クロップ』、最後に種付けした世代を『ラスト・クロップ』というのだが…。競走馬の話を人間に当てはめるというのも妙な話だ。

 そう思って疑いの眼差しを向けると彼女は仕方ないといった風に軽く首を振った。

「うまく説明できないんだけど……意味としては近いわ」

 その諦めの表情にも似た顔つきを見る限り嘘を言っているようには見えない。

(額面どおり受け取るなら我々は最後の世代という意味なのか?)

 妙にしんみりとした雰囲気になってしまった。人類が共有する『終末的感覚』は時々こうやって人を無口にさせる。

 しばらくして彼女が話題を変えた。

「ところで貴方はまだ追ってるの? サァラ・タゴールのこと」

「いや。追ってはいない。待っている」

「へえ……待っていればあの子の方からやって来るとでも?」

「いいや。そうじゃない。だが、元々追いかけることが目的ではない。どちらかというと保護者の代理だな」

「保護者? だから私達の邪魔をしたのね」

「邪魔はしていないだろう。俺は職務上、彼女を見守る義務がある」

「そう。でも……これ以上、関わらない方が良いわ」

「……それは忠告か?」

 すると彼女は静かに首を振った。そして何か訴えるような眼差しで呟いた。

「お願いよ。私からの……」

 とび色の瞳が微かに潤んでいるように見えたのは気のせいか…。


 ふいに雪がひとひら、どこからか紛れ込み、テーブルの上に着地した。雪の粒は地に足をつけると一息つく間もなく溶けてしまった。

 はぐれものの末路を見届けながら彼女が言う。

「それにしてもあの子は大したものね。未だに捕まらないなんて。うちの組織があれだけ躍起になってるっていうのに」

「君等はB国を出てからも追っていたんだろう? 相当な経費がかかっているんじゃないか」

「まあね。でも、未だに捕まえることが出来ないわ。端末情報に頼り過ぎたのかもしれない。断片的に端末を使ってる形跡はあるんだけど」

「これから飛ぶのもサァラの件か?」

「さあ。それはノーコメントよ。だからと言って尾行しないでね。今度はお断りするわよ」

「その心配は無い。懐に余裕が無いんでな」

 恐らく彼女達はサァラがクロウリーに興味を持っていることを知らないはずだ。このチャンからの情報があるおかげで無駄にサァラを追い回す必要がない分、こちらが有利だ。最も、今後はヘーラーがこちらの動きをマークしてくることは覚悟しておかなければならない。

「どうせならうちの組織も貴方のことを研究すればいいのにね」

 突然、彼女が妙なことを言い出したので驚いた。やはり彼女は自分の秘密を知っていてそんな事を言うのだろう。

「それは遠慮しておくよ」

「そう。貴方にその気が無いなら無理ね。貴方を拉致監禁するなんて危険すぎるわ」

「人を熊か虎みたいに言うなよ」

「けど、やっぱり組織が必要としているのはあの子なの。あの子は特別よ。貴方以上に」

(……ということはサァラも? まさか!)

「その顔。『まさか自分と同じなのか?』って感じね」

 やれやれ。図星だ。顔に出てしまったか…。

「たいした観察眼だ。いい探偵になれるよ」

すると彼女は含み笑いを浮かべて答える。

「それは遠慮しておくわ。でもそのくらい簡単よ。大人の顔色ばかり見て育った子供なら誰でも出来るわ」

 その言葉が何を意味するのかは分からない。別に深い意味は無いのかもしれない。とはいえ、やはり『ヘーラー』はサァラを捕らえて研究の対象にしようとしていることは間違いないようだ。ただ、その理由が理由だけに……それは依頼人から聞かされていなかった。何か理由があるのは薄々勘付いていたが、こうもはっきり聞かされると逆に戸惑ってしまう。

(サァラが俺と同じ身体を持っているなんて……)

 こちらの思いに関係なく彼女は時計を見てすっと立ち上がった。

「そろそろ行くわ。続きはまた今度……」

「最後にひとつだけ教えてくれ。君の本当の名前は?」

「ジェーン・ギデオン」

 彼女はそう言い残すといったん店内に戻り支払いを済ませて店を出て行った。

 結局、朝食にはほとんど手をつけていない。すっかり冷めてしまった二つのプレートを眺めながらぼんやり考えた。

『性悪な女は時々嘘をつく。だが、いい女は時々本当のことを言う』

 目を閉じると彼女の顔が浮かんでくる。このモヤモヤとした違和感。それは歓迎すべきものではない。

 しばらくして人の気配を感じた。

「ここ。座って、宜しいかな?」

 わずらわしく思って顔を上げた。

「悪いが他の……?!」

 見覚えのある顔にはっとした。

(……イタチ男!)

 やれやれ。今日は知った顔によく遭う日だ…。


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