第20話 先の見えない世界
静寂に包まれた森に緊張感が漂う。
月光が木々の隙間を縫って差し込んできた。雲の位置が変わったのだろう。地表に落ちた月明かりは目の前に立つシルエットを青白く照らし出す。おかげで顔が判別できた。
(……サァラ・タゴール)
インド人の父とC国人の血を引く少女。映像で見るのと随分、印象が違う。黙ってこちらを眺めるその顔……その大きな瞳は哀しさを宿しているように見える。まるであらゆるものを諦めざるを得なかった人のような哀しい目だ。全体的な目鼻立ちはインド人特有のものに近い。だが肌の色や目元には東洋人の血が反映している。パーツのバランスは申し分なく美少女といっても誰も異論はあるまい。
髪は後ろで縛っているのだろう。白っぽい『つなぎ』を着ているが、首から肩にかけてのしなやかなラインに女の部分が感じられた。むしろ彼女の体つきはネコ科の動物を連想させた。
どのぐらい無言で対峙していただろうか。沈黙を破ったのは追いかけてきたチャンの声だった。
「サァラ! 良かった! 無事だったんだね」
前へ出ようとするチャンを制する。
「待て。まだ味方と決まったわけでは……」
すると直ぐに反応があった。
「チャン? その声はチャン・バステン?」
低く抑え気味ではあるものの、それは女の子特有の声だった。
「うん。君のことが心配で心配で。ここまで……」
が、彼女の言葉がチャンの訴えを遮った。
「なぜここに来たの?」
彼女のテンションは低そうだ。その反応にチャンが戸惑う。
「え? な、なぜって、僕は……」
「仲間はどうしたの?」
サァラの問いにチャンは黙って首を振った。
「……そう。残念ね。でもあなたがここにいる理由が分からない」
サァラの冷たい言い方に少しチャンが気の毒になってきた。助け舟を出す義理は無いが…。
「話の途中で申し訳ないが、ちょっと自己紹介をさせて貰えないか? そこに転がってる連中みたいにされたくないんでね」
「あなたは?」
「通りすがりのジャンク屋さ。依頼を受けて君に会いにきた」
一寸、妙な間があいた。やはり『ジャンク屋』という商売は自己紹介の時にウケが良くないようだ。次からはもっとポピュラーな職業を選択することにしよう。
サァラは美しい形の眉を少しだけ動かして言う。
「どうやら敵ではないようね」
無難な答えが返ってきた。最も彼女が『依頼』という言葉をどう受け止めたのかが重要なのだが彼女の表情からその心中は伺い知れなかった。
ちょうどその時『ダァシンシン』と呼ばれた少年も追いついてきた。
「サァラ。こっちは6人片付けたぞ。けどこの調子じゃキリが無いぜ」
サァラは足元に転がる死体を眺めて「そうだね」と呟いた。
先ほどの手際を見る限り彼女もかなりの戦闘能力を持ち合わせているらしい。まるで不要になった枝を切り落とすみたいに彼女は敵をあっさり排除した。まさか慣れているわけではあるまい。だが今の様子からは自らの犯した結果に対する感情の変化は微塵も感じられなかった。
「迷いが無いな」
彼女に向かって試しにそう言ってみた。
すると興味無さそうに死体を見下ろしていた彼女がはっとしたように顔をあげた。この明るさでは細かい表情までは読み取れない。が、彼女は何か言おうとして言葉を飲み込んだようにも見えた。
チャンが少し苛立った口調で彼女に尋ねる。
「ねえサァラ。ここからどうやって脱出する気なんだい? 幾ら戦ったところで武装ヘリ相手に……」
「もうすぐ霧が出る」
サァラは即座にそう答えた。
なるほど霧か……確かにこの辺りは山岳地帯だ。山、森、川と条件は整っている。
「霧に乗じて敵のヘリを乗っ取る気か?」
こちらの質問にサァラは軽く頷いた。
「そうね。でもヘリが無理なら最初の予定通りバイクで山越えをするわ」
それも無茶な話だ。霧の中で山を下りるなど正気の沙汰ではない。しかし、彼女達の場合はもしかしたら不可能を可能にする能力を持ち合わせているのかもしれない。
「サァラ! 準備が出来たよ!」
ふいに別な誰かが声を掛けてきたので驚いた。
(もうひとり居たのか……)
声がした方を見るとメガネの少年が立っている。
それで気がついた。マルチ・スコープのさっきの反応だ。最後に見た時の表示では緑の三角形は3つと1つのグループに分かれていた。
「残る1人のほうが囮だったんだな。そいつが3人分の端末を持って走り回っている訳か」
これはわざと自分達の位置を敵に知らしめることでミス・リードを誘う作戦。つまり、取り残されたように見えた1台は敵の足止めを狙ったものではなく実はこちらが主力だったのだ。その間、敵は3台の端末を持った囮を本体だと思って深追いしてしまうという寸法なのだ。
良く見るとメガネの少年は敵の戦闘服に身を包んでいる。
「あっちに降下ポイントがある。負傷者の救出を要請しておいたからもうすぐヘリが降りてくるはずだよ。さあ急いで!」
「わかった。私たちも着替える」
そう言うやいなやサァラは服を脱ぎだした。月明かりの下とはいえ、女の子が男達の目の前でいきなり服を脱ぐとは随分と唐突だ。しかし彼女はまったく躊躇することなくつなぎのチャックを下ろし、まるで脱皮するかの如く肌を露にした。丸みを帯びた身体の線や青白く輝く小ぶりなバストは夜の砂丘を連想させた。我々はただ茫然と見守るしかなかった。それは一瞬だったとはいえ目を奪われてしまったのは事実だ。言い訳するわけではないが視線を外す間が無かったのだ。
(ここで敵の戦闘服に着替えるということは……)
彼女達が何をしようとしているのかは大体想像できる。敵の服を着て兵士に成りすますということなのだろう。負傷者が出たと報告をしてヘリを着地させればしめたものだ。相手が地上にさえ下りてくればそれを奪うことなど彼女達にとっては容易いことだろう。
サァラ達の狙いを察して援護に回ることにした。
「チャン。俺達は邪魔が入らないようにフォローするぞ」
が、チャンは何か考え事をしている。
「え、いや、僕は……」
「どうした? 何をモタモタしている?」
するとチャンは意を決したような素振りを見せてからサァラに向き直った。
「僕も一緒に行っていいかな?」
しかしサァラは返事をせず淡々とベルトを締めている。
「サァラ! お願いだ。僕も一緒に連れて行ってくれないか!」
もう一度チャンが懇願した時、サァラは静かに口を開いた。
「駄目よ」
「な、なんでだよ? 僕は、僕は君を……」
「昨日の夜に私がみんなに言った言葉を覚えてる?」
「覚えてるよ……だから僕は」
「そう。だったら自分で考えて行動して欲しい」
サァラはきっぱりとそう言った。そしてじっとチャンを見つめた。まるで反論を許さないような強い瞳だ。
その視線に耐えかねたようにチャンがうな垂れる。
「……分かったよ」
そんなチャンの落ち込む姿を見てサァラは微笑んだ。
「大丈夫。また会える」
柔和な顔をしている。まるで子供への愛情を再認識した母親のような顔つきだ。
(そんな表情も見せるのか……)
クールな立ち振る舞いから一変して、少女とは思えないような母性を垣間見せる。これが14歳の女の子なのか? そのギャップがチャン達を惹きつけて止まないのかもしれない。
「そろそろ降下ポイントに向かわないと」
メガネの少年に急かされてサァラが力強く歩き出す。
その背中に向かって尋ねた。
「バイクで逃げ回っている囮役はどうするんだ? 連れて行かないのか?」
「彼なら大丈夫よ。次の合流地点は決めてあるから」
それにメガネの少年が付け加える。
「もともとヘリには乗りたがらない奴だから。まぁ、奴の腕前ならこの霧があれば逃げ切れるはずですよ」
そして3人は颯爽と去っていった。
サァラ達3人が降下ポイントに向かうのを見送って我々も移動することにした。先ほど倒した敵兵から銃と通信機を拝借して来た道を戻る。
「銃は撃てるか?」
「はい。何度か訓練しましたから」
「なるべく時間稼ぎをするぞ。適当にぶっ放せ」
「分かりました」
チャンと二人で少し移動しては発砲を何度か繰り返した。
はじめは自分の真似をして遠慮がちに撃っていたチャンも段々慣れていくうちに豪快に発砲することを覚えたようだ。
「慣れると気持ちいいですね!」
「あまり離れるな。相討ちは勘弁してくれよ」
我々が徐々にサァラ達から離れていくことで敵を混乱させる。その間、敵の交信にも注意を払う。しばらくして聞き覚えのある声が入った。
『こちら3号機。どうぞ!』
この声は先ほどのメガネの少年だ。
『どうした?』
『かなり危険な状態だ! 急いで病院に搬送する』
『勝手に持ち場を離れるな! 隊長の指示を待て!』
『そういう訳には……いかないんですよ』
そこで少し間が空き、続いて狼狽する様子が入る。
『な、何をする!? や、やめろ!』
その直後、大きな雑音で音声が乱される。それとほぼ同時に上空で爆発音が響いた。
(派手にやりやがったな……)
恐らくメガネ少年がミサイルをぶっ放したのだろう。
「あっちは上手くいったようだな。今のは完全にヘリを奪ったという合図なんだろう」
チャンは上空を見上げながらほっと息をつく。
「……このまま国境を越えられればいいんですが」
マルチ・スコープで見る限り他の4機との距離は開いている。敵の通信も混乱しているようだ。今すぐ全速で国境に向かえば追いつかれることは無いだろう。
(やれやれ。これで一安心か)
後は奴らが引き上げるのを待って我々もこの森を脱出することにしよう。
かなり霧が濃くなってきた。
歩きながらふと、ある疑問を思い出した。
「ところでひとつ分からないことがある」
「……何ですか?」
「『ダァシンシン』というのは本名じゃないだろう。どういう意味だ?」
「……ゴリラ」
「ああ。なるほど」
あの少年の風貌と人並外れた動きを思い出して笑いがこみあげてきた。笑っては可哀想なのだが妙にマッチしているではないか。
独りで笑いをかみ殺しているとチャンが呆れたように言った。
「ちょっと……ひとりでウケないでくださいよ。こっちはそんな気分じゃ……」
突然、マルチ・スコープから警告音が発せられた。
反射的にチャンを突き飛ばす。
「危ない!」
するとチャンの立っていた辺りの雑草が轟音と共に激しく千切られた。
銃声のする方向を見ながら暗視・赤外線モードに切り替える。
(敵は一体だけか!)
次の銃撃に備えて木の影から敵の出方を伺う。1人だけならさほど骨ではない。
しばしの沈黙。
こちらの位置はバレているはず。仲間を呼ぶのか?
「見事にハメられたわね」
(!? その声は……)
「正直、想定外だったわ。あなたがここに居るなんてね。まさかピクニックに来たなんて言わないでよ」
その声は『ナミ』か? 半信半疑ながら答えてみることにした。
「なに。単なるゲストさ。最も我々が参加するまでもなかったがな」
「我々? ああ。あの男の子も一緒なのね」
「なんだ。上司からは聞いていなかったのか」
「上司? もしかして大佐のことかしら」
「ああ。あの妙なチョビ髭を生やしたおっさんだ。奴には貸しがある」
「そう。あまり興味無いわ。それよりあの子たちがどこに向かったかヒントを貰えないかしら」
「無理だな。我々も聞いていない」
「あら。困るわね。拷問は好きじゃないんだけど」
チャンに袖を引っ張られる。
「どうします? 僕もやりますけど」
「いや。お前さんには無理だ」
それが向こうにも聞こえたらしい。
「なにか言った?」
「いや。こっちの話さ」
敵の位置及びそこに至るまでの細かい地形は把握した。接近パターンは二種類。どちらでも3倍速なら4秒でカタが付く。
(右か、左か)
「貴方たちが知らないって言うならまだ逃げ回ってる子を捕獲してもいいんだけど。どうも無理そうだし」
半ばやけっぱちな調子で女は続ける。
「誰が呼んだか知らないけどB国空軍がこっちに向かって来てるし。踏んだり蹴ったりだわ」
(B国空軍? ジイサンが通報してくれたのか?)
「だったら早く引き上げた方がいいんじゃないか?」
「そうね。だけど手ぶらじゃあね……一度、貴方とお手合わせしてみたかったし」
「本気か?」
「ええ」
「そうか。なら仕方ないな」
「いつでもいいわよ」
大きく息を吸って目を閉じる。イメージは出来ている。
(よし!)
1……右へ3歩、斜め前に4歩進む。
2……銃弾にさらされる空間を回避して右横に4歩、さらに木の陰へ向かう。
3……スピードを殺さないよう木の幹に左手を引っ掛けて方向転換、前に3歩。
4……重心を下げながら5歩で距離を詰め、銃を左脇に抱え込むと同時に右手のナイフを首に突きつける!
標的を見失った銃口がしばらく虚しい咆哮を続けたがすぐに沈黙した。
ナイフの先端を2ミリ食い込ませる。が、敵は声ひとつ上げない。やはりこの女、相当場数を踏んでいる。前の時もそうだった。
「観念しろ」
そう言いながらナイフの刃先で脅迫する。
すると彼女は表情を変えずに両手を銃から離した。
銃が足元に落ちる音を聞き届けて質問する。
「聞かせてもらおう。『miracle crop』とはどういう意味だ?」
それを聞いて彼女は目だけ動かした。そして微かに口元が…。
(なっ!?)
ヒュッと風を切る音と同時に彼女が両腕を交差させた。
反射的に仰け反る!
次の瞬間、両腕がこちらに向かってくる。
無意識に最大速度で後退、尻餅をついてしまった。
(何だ? 今のは!)
こちらが距離を取ったところで彼女が動きを止めた。その表情は歪んでいる。
(その手は!? 刀か?)
素早く立ち上がりながら身構える。これは殺らなければやられる!
が、彼女は攻撃を完全に止めてしまった。そして両腕をぶらんと下げて諦めたような表情を見せた。
「参ったわ。これでも貴方を殺せないなんて」
彼女の手を見て息を飲んだ。刃物を持っているのではない。刃渡り30センチほどの刃物は彼女の手の甲から生えているように見える。
(仕込み? 両腕にあんな物を? しかしどう見ても……)
彼女の手の甲と刃は一体化しているのだ。
(ということは両腕とも義手?)
そこで思い出した。そういえばキッチンで銃を向けられた時に彼女の手首を掴んだ。あの時の違和感はこれだったのだ。
「とっておきを交わされたんじゃ、もう私には貴方を殺す手段は無いわ」
「いや。油断した。まさかそんなトリックを仕込んでいたとはな」
「我ながら情けないわ。尻餅をつかせるので精一杯だなんて」
「いや。左腕と右脇腹に少し喰らってる。今回は運が良かっただけさ」
「なぐさめはよしてよ」
そう言って彼女は下げていた腕を少し持ち上げ、手の甲で自分の腰の辺りをノックした。すると刃先が綺麗に引っ込んだ。
「さあ……殺してよ」
彼女は無愛想にそう言い放った。
「そうか。なら遠慮なく……」
その言葉を聞いて彼女も覚悟したのだろう。目を閉じて軽く息をついた。
そこでクロック・アップ。
高速で彼女に近付き、その唇を奪った。
1、2、3秒……
彼女が抵抗したので顔を引く。唇に残る柔らかな余韻を楽しみながら。
「な、な……」
彼女の狼狽した表情を見ていると続きが欲しくなってしまった。が、それは許されそうにない。
「な、なんてことするの?」
「今日のところはこの辺でやめておこう……教育上、よろしくないからな」
そう言ってチラリとチャンの方を見た。チャンはすぐ側まで来ていたのだ。
気まずい雰囲気のところに上空で轟音が尾を引いて響いた。どうやらB国空軍のお出ましだ。
ナミはキッとこちらを睨みつけると唇を噛んだ。そしてくるりと背を向けると足早に去っていった。
チャンがその様子とこちらの顔つきを見て訳が分からないという表情をみせた。
チャンに尋ねてみる。
「さて。どうする? ヘリに乗れなかった仲間を追いかけるか?」
マルチ・スコープで緑の三角形はまだ捕捉出来ている。ここからの距離は絶望的に開いているが。
しばらく考え込んでチャンは首を横に振った。
「いいえ……帰りましょう」
彼の表情は疲れきっているように見えた。あるいはサァラに同行を断られたショックをまだ引きずっているのだろうか。ここまで追ってきたというのにあんなにあっさりと拒否されてしまうとは気の毒としか言いようが無い。しかしサァラの判断は正しいと思う。チャンを連れて行ったところで彼には人を殺めることは出来ない。それだけ危険な旅路なのだ。
気がつくと一段と霧が濃くなっていた。まるで月明かりをすべて飲み込んでしまうように神秘のベールが漆黒の森を侵食している。方向も時間も見失ってしまいそうな空間がどこまでも続く。
先の見えない世界。それは何かを象徴しているような気がしてならなかった。