第18話 真相
初めのうちは慣れないバイクの運転に戸惑った。が、高速で走行するうちに安定するようになった。
町を出てからは周りの景色が急速に寂しくなり、ほぼ真っ暗な荒野の一本道を延々と辿る旅路となった。単調なエンジン音を耳にしながらライトに照らされる路面を目で追っていると単純作業をやらされているような気分になってくる。時折、車とすれ違う以外は何の変化も無い。
「少年。そろそろ事件のことを話してくれないか」
よくよく考えてみればチャンと知り合ってからまだ丸一日しか経っていない。しかもそのうち半分は自分が眠っていた勘定になる。なので、例の件をゆっくり聞いていなかったのだ。
「え? よく聞こえないんですけど」
「親機に繋げばいいだろう」
「あ、はい」
チャンに装着させている携帯翻訳機は耳たぶに装着する型で音声受けは骨伝導、出力は『声帯信号感知タイプ』になっている。いずれも親機の端末を通して翻訳を行うのでチャンネルを切り替えれば直接会話ができる。これなら周りの雑音は関係ない。
「飛行機ごと拉致された時のことを聞かせてくれ」
「分かりました……」
その後に続いた『間』が、記憶を辿っている時特有のものなのか躊躇いなのかは分からない。もしかしたら思い出すのが辛いことがあったのだろうか。
「……あの時、僕らは疲れていました。結構きつい日程でしたから。半分ぐらいの人が寝てたんじゃないかな」
「乗る前にパイロットが変更になったことは知らされたのか?」
「え? そうなんですか? それは聞いてないな」
「乗務員はついていなかったのか?」
「2人……かな。チャーター便でしたから」
機内サービスがあるわけではないので必要最小限の乗務員しか乗っていなかったのだろう。
「乗っていたのは君ら修学旅行の生徒108人と引率の教師5名か」
「はい」
「で、何か異変に気付いたのか?」
「実は僕も少し、ウトウトしてて良く覚えていないんですが、前方の席が騒がしくなったんです。それで何だろうと思って目が覚めました」
「それで?」
「何人かが窓の外を見て「戦闘機だ」って言うんですよ。僕も窓際だったんで外を見ようとしたんですが僕の位置からは確認出来ませんでした」
戦闘機というのは恐らくミラージュのことだろう。彼らの座席から見えたということはかなり接近して飛んでいたと思われる。
「不思議に思いましたよ。何で戦闘機がこんな所にって。その時は冗談半分で自分達の飛行機に何か問題があるんじゃないかって話してたんですよね。まさかあの後あんなことになるとは誰も思ってませんでしたから」
「……ミサイルのことだな」
「え? ミサイル……あれはミサイルだったんですか。でもなぜアンカーさんがそれを?」
「調べれば分かることさ。で、揺れたのか?」
「ああ、そうですね。確かに揺れました。というよりカミナリかと思いましたよ。ピカピカって時間差で光ってそのあとグラグラってきましたから」
「機長は? 機内放送はしなかったのか?」
「特に何も。代わりに乗務員の人と先生たちが「落ち着け」「座ってろ」と」
「窓の外は見たか? 何か変わった物……例えば粉末状の物が浮遊していたとか黒っぽい霧が出てたとか」
「夜ですからねえ。それは気がつきませんでしたけど窓が濡れていたのは覚えています。雨でも降ったのかなあって」
それは電磁波吸収素材が付着したものだろう。航空機の前方で爆発したチャフ・ミサイルから出た吸収素材が霧状になって機体を濡らせたのだと考えられる。
「君らにはその時何が起こっていたかは分からなかったろうが、B国軍は旅客機をレーダーから隠すために特殊なミサイルを撃ったんだ」
「隠す? なんの為に……」
「単なるハイジャックならそこまでする必要はなかろう。だが、その工作の結果、君らはレーダーから突如消えた。つまり行方不明になったってわけだ。ニュースでは墜落したことにされているがね」
「そんな……」
そう言って絶句したチャンは少なからずショックを受けているようだ。或いはこの信じられない事実を聞かされて戸惑っているのかもしれない。なぜ自分達がそんな目に遭うのか、誰が何の目的でそんなことをするのか、どう解釈して良いのか分からないに違いない。
「ところでその時機内は? パニックにならなかったのか?」
「その時、初めて機長から緊急着陸することになったと放送がありました。で、ベルトと酸素マスクを装着するよう指示が……でもその酸素マスクに催眠ガスが仕込まれていたんですね」
「それで皆眠らされてしまったと」
「いえ。サァラが……あ、彼女は僕の斜め前に座っていたんですが、サァラが突然マスクを外すのが見えたんで僕も何となく真似してみたんです。周りの何人かも同じように」
「ほお。匂いで気付いたか」
「みたいですね。甘い香りがしてましたから。それで結果的にサァラの周りの何人かは眠らされずに済んだんです。でもそのおかげでそこからの数分間は地獄でした」
「で、海上に着水したんだな」
「外は真っ暗でどこに降りるのか分かりませんでしたし、何が何だか分からなかったです。本当、生きた心地がしなかったです」
代打に指名された機長の名は『パウロ・イルニショス』。さすが元空軍のエース・パイロットだ。夜の海面に着水させるとは実に大した腕前だ。
「それから10分ぐらいでしたか。すぐにライトが幾つか近付いてきたんです。はじめは救助船だと思ったんですが……違っていました」
「B国海軍だな。予めポイントに待機してたってわけか」
「海軍かどうかは知りませんが機内になだれ込んできたのが兵士だと分かって驚きましたよ。とても助けに来たぞって風には見えませんでしたから。銃を構えてるわ、眠ってる生徒を叩き起こすわ、とまぁ、凄く乱暴でした」
「それで外に出されて船に乗り移ったんだな」
「ええ。けど、その前にあまりに兵士が乱暴なんで眠ってなかった生徒の一部が怒って立ち上がろうとしたんですけど、先生たちが「抵抗するな!」って叫んだんです」
「なんだと?」
教師達は眠らされていなかった……だとすると彼等は始めから計画のことを知っていたとでもいうのか?
「サァラも制止したのでその場は収まりましたけど本当に一種即発って雰囲気でした」
「賢明な選択だな。幾らクロック・アップ出来るといっても狭い機内で戦ったらどうなることか」
「ですよね。さすがサァラだなと思いましたよ。それに彼女はその時に不審に思ったようですし」
「……事故じゃないことに気付いたんだろうな」
「監禁されている時にサァラは、先生たちが冷静だったのは変だと言ってました」
やはり頭のキレる子だ。その状況下で冷静に、しかも限られた情報から正確な判断をしている。もし、教師達がこの計画に加担しているとなるとただのテロではなく、もっと根が深い問題に違いない。であれば下手に抵抗するより大人しく従う振りをした方が賢明だ。
「サァラは他に何か言っていなかったか? 君等なりに推理はしてみたんだろう?」
「……それは」
「今さら隠す必要はあるまい。君等の存在自体がC国の国家機密だということはもう分かっている。それにある程度自覚していたんじゃないか?」
その質問にチャンは即答しなかった。チャンは仲間に配慮しているのだろう。ということはまだ自分のことを完全には信用していないのかもしれない。そもそも昨夜聞いた特殊訓練の話を聞く限り、彼等は幼い頃から宿舎暮らしで世間をまるで知らない。ある意味、仲間こそが家族であり外の世界の住人は未知なる存在に過ぎないのだろう。
少し質問を変えることにした。
「恐らくサァラも迷っていたんじゃないか?」
「え? サァラが……迷う? どういうことですか!」
「ふん。サァラ絡みになると途端に反応が変わるな」
「な! そ、そんなこと……」
「いいだろう。これはあくまでも俺の推測なんだが、もしも第三者がC国の国家機密を狙って君らを拉致したのだとすれば、なぜ教師達がそれに加担する必要があるのか? 彼等はC国の息がかかった人間のはず。仮に第三者に懐柔されて裏切ったのだとしても5人同時に、それもC国諜報部がその前兆をまったく把握していないのは不自然だ。そこで考えられる可能性はひとつ。君等の学校はC国の中でも特殊な存在で、ある程度独立していたのではないか。それが何らかの理由で本国に反旗を翻した、というのが真相じゃないか」
チャンはまだ黙って聞いている。
「君等の学校が軍の系列かどうかまでは分からないがC国上層部は焦っただろうな。大使が右往左往するのも分かる」
チャンがぽつりと口を開いた。
「目的は……何だったんでしょう」
「さあな。一芝居うってまで君等を隠すということはその先に何か目的があるんだろう」
「やはり僕らは戦争の道具にされるんでしょうか」
チャンの口ぶりは半ば自暴自棄になっているようにも聞こえた。彼等が学校で受けていた訓練の大半はどう考えても健やかな『社会貢献』に備えたものとは言い難い。そのことは彼等も十分承知していてそれなりに胸を痛めているのだろう。
「慰めになるかどうかは分からないが……君等はまだ若い。それに道はひとつだけではないと思う。現に自分達の力だけでB国軍基地を脱出してみせたじゃないか。絶望するのはまだ早い」
長い間があいた。後ろに座るチャンの様子は分からない。が、心なしか自分の腰に回した彼の腕に微かな力が加わったように感じられた。
「ありがとうございます。サァラと同じですね」
サァラと同じと聞いて少し驚いた。
「彼女も同じようなことを君等に話したのか?」
「……ええ。それでバラバラに逃げようってことにしたんです」
「なるほどな」
「彼女の言うことに反対する奴は一人もいませんでしたよ。それに「これからは一人ひとりが強く生きていかなくてはならない」とも言ってました。これまでの自分達は一心同体で育てられてきた。でも、いずれは外の世界に出なくてはならない。今こそその時だと。僕もその通りだと思います」
やはりサァラという女の子は大した人間だ。とても14歳とは思えないリーダーぶりだ。チャンが彼女に心酔するのも頷ける。
「ところでB国基地で監禁されている間に8人が連れ去られたと言ったな? そいつらはどうした?」
「残念ながら彼らを助け出そうということにはなりませんでした。作戦を成功させるには仕方がありませんでした。彼らの居場所を特定して救出するとなると余分に時間と労力を使ってしまいますから……」
「それもサァラが判断したのか?」
「ええ」
「なるほど。情に流されない、か」
「でも! それは決して彼女が冷たいとかじゃなくって!」
「分かってるさ。時にはそういう決断も必要だ。むしろその歳でそれが出来るなんて尊敬に値するよ」
それは本心だった。とにかく間接的な情報ながらサァラ・タゴールという少女の人物像が少しずつ判明してきた。その面からいうとチャンを連れて来たのは正解だったといえる。勿論、ここまでの情報だけで『決断』をすることは出来ないが…。
『おい! アンカー、起きてるか?』
突然、ジイサンのだみ声が通信に紛れ込んできた。
「起きてるよ。今、ツーリング中だ」
『早速だが良い知らせと悪い知らせがある。どっちから聞きたい?』
「勿論、良い方からだ」
『やはりそう来ると思ったわい。良い知らせというのはだな、お前さんに頼まれた娘っ子のことなんだがな……』
「サァラが見つかったんですか!」
『なんぞいな? お前さんは確か』
「チャンです。アンカーさんに同行させてもらっています。で、サァラは?」
『直接、話をするのは始めてかいの。ワシは……』
そこで堪らず口を挟む。
「ジイサン。悪いが自己紹介は後にしてくれ」
『スマン、スマン。で、その娘なんだが、確かにカメラに写っておったぞ』
「え! ほ、本当ですか! 良かった。無事で……」
「で、時間と場所は?」
『お前さんらが仕掛けたより前だったな。今から10時間ほど前じゃ』
「何? 俺が病院に居る間にもう到着していたのか」
「そんなぁ。じゃあもっと早く町を探索してれば彼女に会えてたかもしれないのか……」
『写っていた場所は銀行、量販店、それからバイク屋じゃの』
銀行や量販店はともかくバイク屋とは……意外な所に現れたものだ。
「アシを確保するつもりだったのか。となるとやはり山越えを考えているようだな」
それを聞いてチャンが不安そうに呟く。
「大丈夫かな……」
『決済情報も調べておいたから送っておくぞい。それとついでにそこで買ったバイクが走っている映像も見つけておいたぞ』
流石はジイサンだ。それは助かる。
「で、彼女達はどっちに向かった?」
『今、おまえさん達が向かっている方向で合ってると思うぞ』
途端にチャンがはしゃぎ出す。
「本当ですか! やった! サァラに会えるかも!」
「やれやれ。で、ジイサンよ。一応、悪い方の知らせも聞いておこうか」
『ああ、そうじゃったの。悪い方というのはだな。ワシがあの娘の電子決済情報を照会してた時に気付いたんだが、先約があったみたいだ』
「先約?」
それでピンときた。元はといえば彼等の端末情報はナミから入手したものだ。
『直前に何者かがシステムに侵入した形跡があったわい』
「分かった。敵もサァラの居場所を特定したということだな」
喜びも束の間、チャンが慌てる。
「て、敵ってどういうことですか? サァラは大丈夫なんですか! どうなんですか!」
「そう喚くな。逃走資金を得る為に端末を使うのは仕方ない。それを使った時のリスクぐらい彼女も想定してたはずだ。だからそう簡単には捕まりはしないだろう」
『水を差すようで申し訳ないんだが……悪い知らせというのには続きがあっての』
「なんだよジイサン。まだあるのか?」
『お前さん達が向かってる方向じゃがの。得体の知れん武装ヘリが6台向かっておる』
「なんだと!?」
そんな事なら先に悪い方を聞いていれば良かった。これは急がないとまずい。
「チャン! しっかり捕まっていろ!」
それと同時に車体が浮き上がるぐらいにアクセルを全開にした。