第15話 監視カメラ
この町を選んだのには理由がある。
もし、チャンの情報通りにサァラ達が米国に向かうのだとしたら国境に近く、また大きな日本人街があるという点でこの町に立ち寄る可能性が高いと思われるからだ。
「日系人が多ければ我々東洋人が目立つこともあるまい」
それを聞いてチャンが膝を打つ。
「なるほど! 葉っぱを隠すなら森へ、ですね」
「ああ。それに逃走資金を調達する為にはいつかは端末を使わなくてはならないだろう」
「そうですね。確かにサァラも端末は安全な所に避難するまで使うなと言ってました」
「万が一、アシがついた場合でもここなら大きな町からは離れているし国境も近い」
「でも……寄るとしたら本当にこの町なんでしょうか?」
「それは賭けだな。ただ、ある程度ルートは予想できる。例えば飛行機は乗る時のチェックが厳しい」
「ええ。それに大の『飛行機嫌い』が彼女に同行してますしね」
「貨物船はいったん乗ってしまうと海上では逃げ場が無い。となるとやはり陸路を最短で行くのがベストだ。俺ならそうする」
「だとしたら……サァラ達が次に目指すのはベネズエラですかね?」
「恐らくは。ただしその後、メキシコ・ルートを行くかドミニカ方面から島を伝って行くかはフィフティ・フィフティだな」
「心配だなあ。治安が悪い国もあるから……」
それは杞憂だと思う。恐らく彼らの特殊な能力をもってすれば銃弾が飛び交う戦場ですら突破してしまうに違いない。
(そんな無駄な心配よりも彼女達と接触する方法を考えなくては)
こうしている間にもサァラ達がこの町を通り過ぎてしまうかもしれない。そこで端末を開けて子機を3つばかり取り出す。
「これを監視カメラの近くにセットしてくれ。場所は……そうだな。貸金業者が集まっている区画がいい」
「これはスパイ・インセクトじゃないですか。『てんとう虫』型ですね」
「これを街中の監視カメラに忍ばせて映像を覗かせてもらう」
この国では普及度はまだ低いものの街中なら数台は設置されているはずだ。なぜなら昔と違って今では「モーション・ジャッジメント(※1)」が主流なので人間が映像と『にらめっこ』する必要は無く、貧しい自治体でも低コストで監視システムを導入できるからだ。
チャンが疑問を口にする。
「カメラの映像が見れるようになったとしても、どうやってサァラの姿を拾うんですか?」
「一応、彼女の3DD(※2)は幾つか持っている」
「な、何でアンカーさんがそんな物を?」
「身内からオファーを受けているからな。前にも言ったはずだが?」
「でも、身長とか体型とかは照合できても、もし彼女が変装してたら監視カメラの画像で判別するのは難しいでしょう?」
「分かっている。だから『歩き方』でも照合する」
「歩き方ですって?」
「ああ。人間が無意識に歩く時のクセは人それぞれだ。こんなこともあろうかとサァラの歩き方は既にインプットしてある」
手のひら静脈や指紋など身体の特定部位で個人を判別する方法は昔からあった。その後、歩き方にも個人差があることに注目して歩行パターンから個人を特定するシステムが開発された。今から半世紀ほど前のことだ。しかし一時はテロリスト達を監視カメラで自動的に捕捉できる技術として導入が図られたものの、数秒間全身が映らないと照合できないという欠陥から次第に廃れてしまった。それでも当時設計されたクロウリー(6つのスパイ衛星が一団となって地表を監視するシステム)にはこの技術が使われているとの噂だ。
と、そこまでかいつまんで説明したのだがそのことをチャンは知らなかったようだ。
「すごい技術ですね! それなら指名手配犯を片端から登録しておけばきっと…」
「この世界に何台カメラがあると思っているんだ?」
「ああ、そっか」
それに犯罪者の数を考慮すれば莫大なコストを要することは容易に想像できる。とはいえターゲットの行動範囲をある程度を絞って網を張る分にはやってみる価値がある。
「サァラの場合、僅かながら左足の方が歩幅が長くて踵の浮くタイミングが遅い」
「ちょ、ちょっと! 彼女の事どんだけ詳しいんですか!」
「なんだ。嫉妬しているのか?」
「べ、別にそういうワケでは……」
そう言って顔を背けるところなどほとんど自白しているようなものだ。実に分かりやすい。そのあたりはまだまだ子供なのだろう。
* * *
病院のベッドで出来ることといえばたかがしれている。せいぜい眠ることか眠る努力をすることぐらいだ。
それなのでチャンが帰ってくるまでの間、『ヘーラー』や『バベル』について少し調べてみることにした。とはいえ実在するかさえ怪しまれる類いのものをネットで普通に検索したところで真に有用な情報は集められない。こういう場合はサーチ・エンジンのカスタマイズ(※3)が肝になる。そこで経験上、情報源の相対評価やエコー・レベルは控えめに、文脈判定とダブト&シュミラークルは高めに、そして時系列補正は緩めに設定すると自分好みの情報が効率的に表示され易い。
検索結果を順番に眺めながら考える。やはり、取り止めの無い話が多すぎる。ということは、恐らく『ヘーラー』や『バベル』といった呼び名はごく限られた人間の間で使用される俗称に過ぎず本当の名称は別に存在するのではないか? 或いはそもそも名前が無いという可能性もある。いずれにせよ次に会った時は『名を名乗れ!』と文句を言ってやることにしよう。
ふいにベッド脇で短いメロディが発せられ〔まもなく回診です〕のアナウンスが入った。
(今ごろ回診? 夕飯の時間じゃないのか?)
医者は五分ほどでやって来た。
パーティカル・CTとディテール・エコーの装置を引っ張ってきたところを見ると患部の定着具合を調べるのだろう。
医者がにこやかに尋ねる。
「痛みはありますか?」
有るに決まっているだろう。定番とはいえ下らない質問をするものだ。
「で、あと何時間ぐらいで出られるんだ?」
「な、そんな無茶な。2、3日は入院ですよ」
「予定が詰まっているんだ。何とかしてくれ」
どのみち抜け出すつもりだからあまり良い答えは期待していないが、どうせダメと言うに決まっている。
「無理ですよ。いいですか? あなたはわき腹を抉られているんですよ。火傷や打撲も全身に数箇所。いったいどういう状況であんな大怪我を……」
「ノーコメント」
「……そうですか。いやそれだけ酷い状態で運ばれて来たもので何事かと驚きましたよ。まあ良いですけどね。色々と事情もおありでしょうし」
「良い答えだ。それ以上詮索するならぶっ飛ばしているところだ」
医者とたわいも無い話をしている間も看護師はせっせと検査を続けた。「てきぱきと」と表現すれば聞こえはいいものの半ば「やっつけ」のようにもみえる。多分、残業はしたくないのだろう。
医者が装置のモニターを見て目を丸くした。
「これは?! ……驚きだ。信じられない!」
(医者が患者の前でそんなリアクションをするなよ……)
「いやはや驚きました。はじめてですよ。もうこんなに定着している。自己再生とはいえこれは……」
そうだった。そのことで訊いておかなくてはならなかった。
「ところで自己再生のiPS細胞はどうやって用意したんだ? 俺の個体識別情報ではどうにもならないはずだが?」
すると医者はきょとんとした顔をする。
「おや? お聞きになっていない?」
「何をだ?」
「いえ。DNAデータを頂いたんですよ。あなたのお兄さんから」
(何だと? 何を寝ぼけたことを……!)
まさか! 嫌な考えがよぎった。が、往々にしてそういう想像は当たっていたりするものだ。
……イタチ男!
状況から考えてあのイタチみたいな男がそれを取り寄せたに違いない。どういうルートでどこから入手したのかは分からない。しかし、あいつは自分のことを知っていたということは紛れも無い事実だ。
最悪な気分だ。しかも何が『兄』だ。よくもまあそんな見え透いた嘘をいけしゃあしゃあと……。
「お兄さんは明日も見えられるので?」
医者がのん気にそんなことを聞くので思わず「知るか!」と、返してしまった。
そして改めて深刻な事態であることを理解した。
(俺はヤツのことを何一つ知らない。だがヤツは……)
往々にして嫌な予感ほど当たっていたりするものなのだ。
【用語】
※1「モーション・ジャッジメント」…引ったくりや喧嘩など普通とは違う動きを予めパターン化しておき、映像に映った対象者の動きから危険や犯罪を機械的に察知する仕組み。
※2「3DD」…3次元デジタル・データのこと。
※3「サーチ・エンジンのカスタマイズ」…検索エンジンのロジックを予め細かく設定しておくこと。例えば、類似語をどこまで辿って対象とするのか、内容をどれぐらい疑いながら解釈し選択するのか等、あたかも自分が実際にネット情報を取捨選択したかのような思考ルーチンで検索を行う事ができる。