第11話 クロック・アッパー
トラックの荷台で揺られながら次の展開について考える。
サァラを追うのは自分達だけではない。あの女……ナミも何者かの指示でサァラを捜している。おそらくB国軍も威信をかけて追跡を開始するはずだ。
(本当に逃げ切れるのか?)
チャンは大丈夫だと確信しているようだが、いくら普通の子供ではないとはいえ無事に出国できる保証はない。
それにサァラを狙っているのはそれだけではないのかもしれないのだ。ナミが言っていた『バベル』という組織…。分からないのは仮にバベルという組織がB国軍を操って航空機ごとサァラ達を誘拐したのだとすると、なぜこの数日間に行動を起こさなかったのか? サァラ達を監禁している間に目的を果たせる機会は幾らでもあったはずだ。
(サァラだけが標的ならあんな大掛かりなことはしないだろうに)
実に不可解だ。そもそもそんな組織が本当に存在するのかも怪しい。
「ところで少年。よくそんなに食えるな。甘いものばかりじゃないか」
チャンはトラックに乗ってからずっとお菓子を貪り食っている。それもチョコレートやらマシュマロやら甘そうな物を中心に。
「し、仕方が無いんですよ。僕らは一日に300g以上の糖分を摂取しないとならないので」
「多すぎやしないか?」
「いえ。脳の訓練をした時はどうしても必要なんです。それに今日は大分、脳を酷使しましたから……」
「君らはどんな訓練を?」
依頼主であるサァラの父親からある程度の情報は仕入れていたが実際に彼らがどんな訓練を受けていたのかは不明だ。
「具体的には脳内血流やアドレナリンのコントロール訓練です」
(なっ! そんなことが……可能なのか?)
「それから脳圧の上げ下げも。クロック・アップには必須ですから」
(クロック・アップ……こいつらはそう呼んでいるのか)
恐らくそれは普段自分が「倍速」「3倍速」と使い分けているスピードアップのことだ。これをやると周りの時間が相対的に緩やかに流れるように感じられる。
「一応、全員一通りの訓練は行うのですがやはり個人差はあって、みんな得意分野は違うんです。僕の場合はたまたまクロック・アップが向いていたんですね。なので仲間からは『クロック・アッパー』って呼ばれていました」
この能力の源泉もまた『脳の使い方』にある。それは独学で学んだ。
理屈はこうだ。例えばテーブルの上に水の入ったコップがあったとする。そこでそれを掴むという行動に対して脳がどのように働くのかを考えてみる。まず脳は、視覚からの情報を整理してコップまでの距離を測る。それを受けてどれぐらい手を伸ばすかを決定して手に命令を出す。次にコップに触れたという触感から手がコップに到達したと認識する。と同時にコップの質量・質感から判断してそれを握るための握力調整をする。その間にも入ってきた情報を整理・命令を補正し、何度も手に命令を送り続ける。このようにひとつの行動には多くの過程があって、脳はその各段階で逐一判断をしてから命令をくだしている。が、クロック・アップはその段階をすっ飛ばすことができる。つまり脳が微調整の為に働こうとする動きを予め封じ込めてしまうことによって大幅に反応時間を短縮するのだ。(その為のトレーニングをしてきたというのか……)
それをやるにはアドレナリンを意図的に調整することも求められる。それだけではない。恐らく中枢神経や筋肉に命令を伝える末梢神経なども普通のものではないはずだ。
(……想像以上だな)
C国が必死に隠そうとするのも分かる気がした。
「そういうアンカーさんはどこでクロック・アップの訓練を?」
「……俺か? 俺は通信教育で学んだ」
「はは。それは嘘でしょう」
チャンはそう笑うが半分は本当だ。はじめてこの能力に気付いたのは七歳ぐらいの時だったか…。何十年も前のことだから正確には覚えていないが。
「アンカーさんは一秒間に何回ぐらい出来ます?」
そう言ってチャンは手のひらを握ったり開いたりする仕草を見せた。
「僕は7回か8回が限界です。10回ぐらい出来る奴も仲間にはいますけど」
謙遜してお茶を濁す。
「……君よりちょっと多いぐらいだ」
「やっぱりね。あのスピードは上位クラスですよ」
脳の仕組み、特にリミッターについてはこの三十年で急速に研究が進んだ。もともと人間の身体能力はその30%しか使われておらず筋組織などを痛めることがないように脳が力をセーブしているという考え方は昔からあった。であればこのリミッターを解除すれば人間はもっと身体能力を強化することが可能、と多くの研究者は考えた。とりわけスポーツの分野においては。しかしながら倫理上の問題から人体実験は厳しく制限され、リハビリなどの医学分野でしか実践が許されないという時代が続いた。その禁を破ったのが他ならぬC国である。
きっかけは2046年のナイロビ五輪。この大会の陸上種目においてC国の選手団が表彰台を独占してしまったのだ。しかも考えられないような世界レコード更新を連発して。それ以降、各国は競ってこの分野の研究を進めた。勿論、水面下で…。
「僕たちは3歳になると同時に寮に入れられました。それからずっとです」
「なるほど。で、他にはどんな能力が?」
「爆点反射。中枢神経からの命令を一点に集中して爆発させる能力です。僕は苦手なんですが」
チャンの説明ではパンチやキックなどの攻撃やジャンプなどに応用が効くそうだ。しかし、こんな連中が表舞台にゾロゾロ出てきたらスポーツ界はたちまち席巻されてしまうだろう。
(ひょっとしたらバベルの目的は……こいつらの能力か?)
そう考えるとC国が直接動く可能性も考慮しなくてはならない。ひとつは秘密を守る為。そしてもうひとつは貴重な実験体を取り返す為…。
(やれやれ。まさに四面楚歌だな)
どの勢力が一番にサァラに接触するのか?
予断を許さない展開になりそうだ。