第1話 プロローグ
俗に言う『探偵』などという職業は世の中に存在しない。
何十年も前ならともかく今時そんなものは流行らない。もし似たような職業があるとすればそれは『ジャンク屋』だ。ガラクタみたいな仕事をかき集めて日銭を稼ぐところが似ているから。
そういう訳で職業を尋ねられた時は『ジャンク屋だ』と返すようにしている。そう言うと必ず妙な顔をされるが、はじめは違和感がある呼称でも何十年も使っていれば流石に慣れるものだ。
それにしても暑い。赤道直下のこの町に滞在して四日目。待っているのにも疲れてきた。とはいえ、ずっとベッドに横になっていようが足を棒にして歩き回ろうが、有力な手掛かりという奴に出くわすかどうかは運次第。情報とはそういうものだ。
〔消息を絶ったC国のチャーター便は依然として……〕
TVでは例の事件についての報道が繰り返されている。報道の中味もお粗末ならそれを垂れ流すTVも相当な年代物だ。多分、このホテルには新型を買う予算が無いのか、あるいは盗難対策なのだろう。
天井にへばりついて気だるそうに回るファンはふてくされているように見える。その回転数を羊の代わりに数えればいつでも眠りにつけるだろう。こういう退屈な町では昼寝が唯一の娯楽なのかもしれない。
そんなことを考えていると、てっきり故障しているもんだとばかり思っていた端末が枕元でいきなり騒ぎ出した。
『おい! アンカー!』
「聞こえてるよ、ジイサン。耳元で大声出すなって」
ジイサンの声は端末越しでも結構、耳に響く。
『お目当ての記録が入ったぜ!』
それはまる三日間待っていた言葉だが素直に「そうか」とは喜べない。半分はガセネタだった場合にがっかりしない為。残り半分は料金を吹っかけられないようにする為だ。
「で、頼んだ情報は全部揃っているんだろうな?」
『勿論だ! だがよ。軍のシステムにアクセスするのに手間取っちまったよ!』
「この国にそれだけのシステムがあるとは思えんが……」
ジイサンほどのハッカーがこれだけ手間取るとは想定外だった。
『まあそう言うなって! とにかく大砲(※1)でデータを送信するぜ!』
ジイサンの言葉通りに手元端末にデータが送られてくる。
中味はB国空軍機の航行記録、交信記録、そして給油の記録だ。
『そんなもので何が分かるってんだい? やっぱりお前さんの勘かね?』
「勘? 生憎だがそんなものに頼ってたら今頃生きてないさ」
『もしかしてB国空軍に先駆けて機体を見つけるつもりか?』
「まさか。相手は軍だぜ。そもそもこっちには飛行機どころかタクシーを拾う金さえ無い」
『けどよう。今時、旅客機が消息不明だなんて有り得ねえよなあ。バラバラになれば破片は海に浮くだろうし、クロウリー(※2)が残骸をキャッチするだろうに』
ジイサンが言うように旅客機が忽然と姿を消すことは普通考えられない。第一、定員100人以上の旅客機には最低5個のGPS設置が義務付けられているはずだ。
「墜落の形跡が見つからないんじゃなくて、そもそも無かったとしたら?」
試しにそう聞いてみるとジイサンは小さく唸った。そしてしばし間を置いて声のトーンを上げた。
『つ、つまり墜落はしていないということか?』
「恐らくは」
ジイサンが寄越してきた記録を見る限り、やはり軍は本気で捜索しているようには思えない。まるでC国の要請で仕方なく捜しているみたいだ。
端末上にB国空軍の哨戒機が飛んだ空域を表示してみる。問題の旅客機が進路から外れたとして予想される範囲は扇形に広がるはずだ。
「普通ならこの範囲を捜索する。だが見つからない。ということはレーダーから消えた直後に大きく進路が変わったということさ」
『けどよう。管制塔との通信記録では何も異常は無かったらしいじゃねぇか!』
「……ハイジャック。もしくは機長もグルだった。大方そんなところじゃないか」
『そ、そんな?! お前さん、まさか最初からそれを……』
その結論に至った根拠を説明しようとした時、異変に気付いた。
「ちょっと待て。外の様子が変だ」
廊下側が何やら騒がしい。
通常、壁の厚みはホテルの宿泊料と比例する。おかげでこうやって外の異常がすぐ分かるというわけだ。
「いったん切るぞ」
『あいよ。せいぜい気をつけな……』
ベッドから立ち上がり、窓から外の様子を伺う。
(軍用のジープ? なんでこんな所に?)
こちらの動きがキャッチされたとでもいうのか? まさかそれは無いだろう。少なくとも表立った行動はしていないつもりだが…。
程なく客室のドアが激しくノックされた。
やれやれ。そんなに強く叩いたら壊れてしまうではないか。修理代を請求される身にもなって欲しいものだ。
止む無く鍵を開ける。するといかにも柄の悪そうな兵士がポルトガル語で何やら喚き立てながら室内に入ってきた。
端末の翻訳機能をオンにする。
『検閲だ! 旅行者か?』
「まあ、そんなところだ」
『左手を出せ! 怪しい人間じゃないかどうか調べさせてもらうぜ』
言われるままに左手の甲を前へ。
柄の悪い兵士はリーダー(※3)をかざして情報を読み取る。
『アンカー・S・カイドウ。日本人か。ふぅむ。でSは何の略だ?』
「さあね。自分でも分からない」
『なんだと?』
「父親の顔を知らないもんでね」
『ほお。気が合うじゃないか。実はオレも親父は好きじゃねえ』
「ついでに言うと母親の顔も記憶に無い」
『……ふん。で、職業は? 何の為に入国した?』
「しがないジャンク屋さ。中古品を売りに来た」
『なるほどな』
そう言って自らの頬を撫でた兵士の顔は『にきび』だらけだった。まるで月のクレーターだ。一方、いつの間にか銃を持った兵士がもう一人、入り口でニヤついている。
にきび面の兵士は臆面も無く手を差し出す。
『ところで、ちょいとばかり援助してもらえんか? そしたら見逃してやる』
「見逃すって何を?」
わざとそう尋ねてみた。
『分かってるだろ? 検閲なんて何とでもなるんだ。オレの気分次第でな』
……そういうことか。恐らく、こいつらはこうやって小遣い稼ぎをしているのだろう。言いなりになるのはシャクだが、ここは少し握らせて追い払った方が得策だ。
「了解。じゃあ、これぐらいで……」
丸まった紙幣を伸ばそうとした時だった。ニキビ面が俺の端末に興味を示した。
『お! ジャンク屋にしては随分、良い物持ってるじゃねえか!』
「よしてくれ。商売道具だ」
『日本製か? 俺はそっちの方がいいな』
冗談じゃない。これがないと肝心のミッションに差し支える。
「いや。だからこれで勘弁……」
紙幣を追加してニキビ面の手に握らせる。
が、奴の目はマジだった。
『お前、ただのジャンク屋じゃねえだろう?』
ぬかった。今、これを調べられると流石にまずい。
相手は二人。見たところ銃を持っている方は油断しきっている。あの体勢から引き金を引くまでに3秒はかかるだろう。
『一応、命令は受けているんでな。怪しい外国人がうろついていたらしょっ引いて来いってな!』
この相手なら『二倍速』で十分だ。
目を閉じて深く息を吸い込む。そしてゆっくり数える。
(1秒、2秒、3秒……)
『おいっ! 聞いてんのか?』
1……でニキビ面の首に手刀を打ち込むと同時に奴の手からリーダーを引っ手繰る。
2……でニキビ面を突き飛ばすと同時に入り口までの間合いを詰める。
3……で銃を払い、左膝を兵士のみぞおちに食い込ませ、右ひじを顔面に当てる。
すかさず身を翻し、窓に一直線!
窓枠を飛び越え、そのまま飛び降りる。
両足に衝撃。が、走れないほどではない。3階にしておいて良かった。
こうなってしまったからには取り敢えず場所を変えなくてはならない。どのみちジイサンの情報は手に入ったから次の目的地に……と思ったその瞬間、背後で銃声が!
振り返ると3階の窓から先程の兵士が銃口をこちらに向けているのが目に入った。
「意外に鍛えられていやがる。ちと手加減しすぎたか?」
人通りは多くない。が、銃声を聞いて道行く人々が慌てふためく。
さらに前方からは別な軍用車が人々を押しのけるように突っ込んでくる。軍用車は猛スピードで真横を通り過ぎ、ホテルの入り口に横付けされたジープの前で停止した。
「近くに仲間がいたのか」
どうやらのんびり歩いている場合では無さそうだ。
さて、どうしたものか思慮していると、今度は真横の細い路地から赤い車が飛び出してきて目の前に止まった。急発進に急ブレーキ。あまり褒められた運転ではない。だが、開けっぱなしのドアがちょうど目前にあるということは、つまり乗れということなのだろう。
(何者か知らんがお言葉に甘えるとするか……)
助手席に滑り込みながら運転手の顔を拝見する。
見覚えの無い顔だ。
というよりこれだけの美人なら記憶に残るはず。
だが、記憶を辿る時間もドアを閉める猶予も与えずに美人ドライバーは車を急発進させた。
辛うじてドアを閉めてサイドミラーで後方を確認する。
今頃になって連中はこちらの存在に気付いたらしい。軍用車が方向を変えようとしているようだが、こっちは既に通りを抜けている。
やれやれと思って座席に落ち着く。
すると美人ドライバーが一言。
「やっちゃったの?」
初対面の台詞にしてはなかなか刺激的だ。
これで後方から追いかけてくる小うるさい蝿共が居なければ良い退屈しのぎになるのだが…。
【用語】
※1「大砲」… データの圧縮と暗号化がミックスした技術。まるでデータ自らに意思があるかのように自身を暗号化して圧縮、反射通信(衛星通信の一種)でダイレクトに送信先に送られた後に自発的に解凍・復元される。
※2「クロウリー」… スパイ衛星の進化系。性能の異なる6つの監視衛星が一団となって地
表を監視するシステム。3台のカメラで地表の3D映像を表示することが出来る。
※3「リーダー」… 手の甲に埋められた個体識別情報を読み取る小型端末。