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望み

作者: 射剱

 その真っ黒な犬は森の神が宿っているという大樹の下で狩人の彼と出会った。

 そこで彼は犬につけられていたロープの首輪と口枷くちかせをはずしてくれた。

 口枷をしていれば食べ物も水も喉を通すことはできない。だからもう少し遅かったら犬は今頃、餓死していたかもしれない。


 命の恩人である狩人に犬は感謝をした。助けてもらったその日から犬は彼のそばを離れなかった。

 とは言っても彼らは飼い主と飼い犬というような甘い関係ではない。狩人は一度も犬をなでなかったし、いわばその関係は主と家来。

 その主と森の神が宿る大樹のもとに通うことが一番の楽しみであったから「あの木は賊に切り倒されてしまった」と言われた時の衝撃は大きかった。

 うわさに聞くとその賊とはここ最近多くの悪事を働いている足に十文字傷を持つ男だという。

 犬は主との大切な場所を奪った賊を許せなかった。


 大樹が切られて数日後の夜だった。

 あたりに気配を感じて犬が目を開けると、なんとそこには銃を構えた男の姿が。


「おい、お前。金を出せ」


 男は狩人を脅すようにそう言うと一歩二歩と近づいてきた。

 恐ろしさの前に狩人を守らなければという思いが犬に去来する。だから普段はおとなしい犬は風のような速さで男の足にとびかかる。

 男は足に十文字傷を持っていた。彼はあの大樹を切り倒した賊だったのだ。

 犬は男に思いっきり噛みつき狩人をつれて一目散に逃げだした。

 賊はおかしな悲鳴をあげてその場にしゃがみこみ、追いかけてはこなかった。

 男を倒して得意気な気持ちになって狩人を見上げる。


「ありがとう」


 彼はそう言って笑ったが、やはり撫でてはくれなかった。


 その賊が死んだという話を聞いたのは街はずれの鍛冶屋だった。

 顔見知りの主人が何気なく言ったのだ。


「あの大樹を切り落とした賊に罰があたったらしい」


 彼が言うには森の中で倒れているところを発見され、その時にはもう瀕死の状態だったらしい。

 なんでも最期は水すら喉を通らず惨い死に方をしたという。


「原因はなんだったんだい?」


 狩人が主人にそう尋ねる。


「なんでも菌を持った犬に噛まれたみたいだ」


 その答えに犬は息が止まるかと思った。

 怖くなって狩人を見ても彼は気づいているはずなのに何も言わなかった。

 

 不安と恐怖に犬は食いつくされてしまった。

 賊を殺したのは自分ではない別の犬だと証明したくてねずみやうさぎといった小動物を毎日のように噛んでみた。


 だが、結果はいつも同じ。

 数日たつと犬の足元には動物の亡骸が転がっていた。

 もう犬の歯は毒牙どくがと化していたのだ。

 もう何もかも嫌になった。毎晩森の神に、今はもう無いあの大樹に「殺してくれ」と願う日々が続いた。

 やがてその恐ろしい毒は犬自身にもまわりはじめる。

 食欲がなくなり、優しかった性格は狂暴になった。


 それでも狩人は黙って寂しそうな視線をよこすだけであった。


 そんなある日、夢の中で犬は切り倒された大樹の姿を見た。やがてどこからともなく女人の声がして意外なことを囁く。


「大樹を切った賊に罰を与えてくれた礼にお前の欲しいものをくれてやろう。

 やまいを治す薬でもお前の求む《《死》》でもなんでも良いぞ」


 その言葉に驚く前に犬は深く傷ついた。あの賊や多くの動物を殺してしまった事実が生々しくよみがえったのだ。

 水すらも喉を通らずに独りで死んだという賊のことを思い出す。与えてしまったその苦しみを自分も感じなければ。

 そう思った犬はこう言った。


「決して外れることのない口枷をください」


 翌朝、目が覚めると犬には望んだ通り、金の口枷がしっかりとついていた。

 となりで狩人が気持ちよさそうに眠っているのを確認すると犬は静かに歩き出す。


 鳥が飛んでいて、木々が揺れていた、蝶が躍っていた。

 この世が美しいものだと気づく一方で犬はなんだかその景色に少しの物足りなさを感じる。

 

 そうだ、狩人がいない。


 きっと犬にとってはどんな絶景でも彼の隣で見るいつもの森が一番美しい。


 そう思いながらしばらく歩いて目的の場所についた犬はゆっくりと足を止める。

 あの大樹が昔生きていた場所、初めて狩人と出会った場所。


 満足だった、幸せだった。


 そこから犬は何日も離れなかった。その間、口枷はもちろん外れない。

 今はもうない大樹が静かに揺れたような気がした。


 犬が姿を消したことに気がついた狩人は街の人も巻き込んで必死に探した。

 

 そんな彼が冷たくなった犬を見つけたのはそれから五日後のことだった。

 犬は口枷をしたまま死んでいた。

 食べ物や水が喉を通らなかったという賊と同じ苦しみを味わうために絶対に外れない口枷を求めたのだ。


 もっといつくしんでやればよかった、頭を撫でてやればよかった、狩人はそんな強い後悔に襲われた。

 そして彼はただ静かに涙を流す。

 どうして何もしてやれなかったのだろう、と自分を責め四六時中泣いた。

 そんな時、いつも黙って隣に寄り添ってくれた犬はもういなかった。


 その様子を見ていた森の神は悲しそうに目を伏せる。

 実のところもともとは大勢の動物を苦しめた《《犬に》》罰を与えるつもりで夢へ姿を見せたのだ。

 試すつもりで「何が欲しいか?」と問うと犬は薬でも死でもなく口枷を求めた。

 死、と答えれば魂を奪って地獄へ送るつもりだった。

 万病を治す薬などもってのほか。命を奪っておいてそんなことは許されない。


 しかし犬は口枷を、苦しみを選んだ。

 もう十分、罪を償ったのではないか。

 そう思った神は犬の亡骸についていた口枷を外してやった。


「ほら狩人よ。

 撫でてやれ、それがヤツの真の望みだ」


 森の神は狩人にそう語りかけた。

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