第八十八話 意図
我々は【黄昏の梟】と敵対関係にある。
したがって【竜の翼】が闇地図を購入していたとなればある程度は事態を把握する必要があった。
特に今回に関しては我々が秘匿していた転送陣を利用されたということもあるため、捜査に協力することも吝かではない。
しかしパーティーとして肝要な部分はそこではなかった。
無論、ヴィム少年のことだ。
迷宮の呼び声を聞いたという事実はかなり逼迫した心理状態を表している。
彼は知る由もないことだが、踏破祭の前から団員全員に聞き込みを行って、何があったか、どのようなことが負担になっていたかを調べていた。
そのくらいの事態なのだ。
そこに【竜の翼】の話が舞い込んできたとなれば彼が良い方向に転ぶようには思えなかった。
難しいのはヴィム少年本人の性質。
雑にこちらから距離を縮める方法では追い詰める一方らしい、ということはわかる。
こちらが過度に気にかけているという事実そのものが負担になるらしいということも。
【夜蜻蛉】として、彼を失うのはかなりの痛手だった。
なんとしても彼を引き留め、短期で解決できなくとも良い方向付けくらいはしておかねばならない。
「祭りの夜にすまないな、ハイデマリー、アーベル」
私は今夜、この二人を執務室に呼び出した。
やはり鍵となるのはこの二人だ。
同郷のハイデマリーは言わずもがな、同年代のアーベルは比較的ヴィム少年と距離が近い。
「アーベル、どうだ、ヴィム少年は」
「はい! 以前に比べて肩の力が抜けているように思います。迷宮の呼び声を聞いたふうな仕草は見受けられませんでした」
アーベルははきはきと答えた。
「踏破祭は楽しんでいるように見えたか?」
「はい。ですが弾けるような笑顔、とはいかなかったです。もともとそんなに、その、爽やかに笑う人ではないと思いますし」
今のところ、夢現で迷宮に向かうような兆候は報告されていない。
行進以外ではこちらから積極的に接触するような真似はしていないはずだ。
少なくとも現状維持さえできれば時間が解決する部分があるのではないか、そういう打算も浮かぶ。
「【竜の翼】の騒ぎについてはどうだ?どこまで気にしている素振りがある?」
「……正直、わかりません。ただ、ラウラさんに対して間接的とはいえ加害者になってしまったという意識があるのは確かみたいです。あまり目を合わせていないように見えました」
やはりここが問題か。
ヴィム少年の強い責任感が引っ掛かってしまうことは想像に難くない。
彼の聡さがここでは非常に厄介になる。
額面通りの理屈や正論での弁護は無意味だろう。
そんなことはわかっていると一蹴されてしまったらむしろ不快感を与えるだけになる。
「ヴィム少年に咎はなく、むしろあるのは正義だけ。それは歴とした事実なのだがな」
囲い込んで元気付けるという方向がまずいのはわかっている。
かといって好き放題距離を置かせてしまえば離れてしまうのも見えている。
なのでしばらく時間を与えたのちに話し合って、という形を取りたかったのだが、その矢先に騒ぎが起きた。
もうわからない。
私は団長としてどうするべきだ?
「ここから先は、幼馴染の話を聞きたいものだ」
ハイデマリーの方を見る。
「ハイデマリー、君に思惑があるのはわかっている。しかし彼を追い詰めないという点においてそこまで我々と意見が食い違うこともなかろう。どうにか協力してはくれないか」
彼女の表情はいつも読めない。
他の団員と普通に会話している様子はときどき見かけるが、私相手に限っては緊張するのか隙がないように振る舞っている。
そもそもヴィム少年を【夜蜻蛉】に連れてきたのは彼女だ。
我々からすればとんだ掘り出し物を引き当ててくれたというだけだが、ハイデマリーの肩入れ具合は尋常ではない。
我々では釣り合わない意図があるのも明らかだった。
「いくつか気になる言葉というか、みなさんはヴィム=シュトラウスという人間に対して少し勘違いをしています」
彼女は重々しく口を開いた。
「続けてくれ」
「ヴィムは正義感で動いたりしないんです。もっと消極的な方向です。迷惑をかけたくない、責任を背負いたくない、そういう動機です」
アーベルと目を見合わせる。
確かにそう言われてみれば、人物像とは一致するか?
「第九十八階層で命を賭して戦った最初の動機も、自分にできることをやりつくさない罪悪感から逃げたかっただけです」
ハイデマリーはそう言い切った。
「そういうことに命を懸けられるものなのか? 逃避が動機になると言えば、わからんでもないが」
「強い言葉を使えば、拒絶にも近いんだと思います。自分の領域に敏感なので、わずかにでも自分に責任がありそうな事柄はすべて目についてしまうとか、そんなところです」
「いや、それは言い換えてしまえば」
「はい。関わるんじゃねえ、みたいな形にも要約できます」
ハイデマリーの目を覗き込んで見定める。
本当か? ヴィム少年はそこまで考えているのか?
的を射てそうではある。
少なくとも無意識下で他者に対して拒絶感があるのは心得ておいた方が良いか?
それにしては我々に対して友好的に見えたが。
「排他的には見えなかったぞ。極端な話、そこまでの思想の持ち主なら日常生活もままならないと思うが」
「もちろんです。人並みに誰かと仲良くしたいとか、そういうことへの憧れもちゃんとあります」
うーむ。考えれば考えるほどわからん。
二面性と捉えればいいのか?
「……扱いが難しいな」
「そうです。クソ面倒くさい奴なんです」
思わず零れた言葉に同調され、力が抜ける。
そもそもなぜ私はここまでヴィム少年に肩入れしている?
いやそんなもの、有能だからだろう。
彼なしでは今の【夜蜻蛉】は成り立たない。
だがここまで個人的な領域に踏み込むことなど団長のすることか?
それも結論は出ている。迷宮の呼び声を聞いた以上は内面への干渉は責務ですらある。
ため息が出る。
私はこういう機微には疎い。
できることといえば筋を通すことくらいだ。
「曲がりなりにも、我々は絆を紡いだと思ったのだがな。ヴィム少年にも満たされていた部分はあるだろう。それは勘違いか?」
「勘違いではないと思います。それもヴィムが積極的に望んだことの一つです」
「彼は我々をある程度大切に思い、尊重してくれているように見えたが」
「それもその通りです」
「ならこれから適切な距離感を保ち、彼に合った接し方を一緒に模索していく、という方法で正しいと思うか」
通り一遍の結論だ。
少なくとも大きくズレることはないように思える。
ハイデマリーと話したいのも、ここから先の具体的な接し方についてだ。
だが、彼女はすぐには答えなかった。
逡巡しているようですらあった。
「……ここが違うとなると、どうすれば良いかわからんぞ」
「違うというか、無駄なんです。無意味になってしまうと言ってもいいかもしれません」
「無駄?」
言葉を続けるように促す。
だがハイデマリーはまだ躊躇っている。
その躊躇に何か特別な意味があると気付く。
私が把握すらできていない事情があるのだということに思い当たる。
「脳への強化、ヴィムが『傀儡師』と呼んでいるものですが」
そして彼女は、我々がまったく予想だにしていなかったことを言い放った。
「あれには副作用があると思われます」