第八話 大首落とし
陣を張ったのは、瓶のように狭い口から大きく広がった、広間のような空間だ。
自立式の囮を用いてこの瓶の口にワイバーンを誘導できれば、準備の整った状態で初撃を叩き込める。
脚が、カタカタと震え始めた。大物が近づくといつもこうだ。
ビビっているわけじゃなくて、いや、ビビってるんだけどさ。
これは一種のレーダーみたいなものにならないこともないから、重宝してる。震えが増すほど、強い敵が近づいてきてるってことだ。
そして、囮はしっかりと機能したようだった。
『総員、戦闘準備!』
カミラさんから全体伝達。
一瞬の静寂。
ほどなくして空気を切り裂く翼の音が聞こえ、迷宮の闇の奥からワイバーンの姿が見えた。
黒色の化け物然としたグロテスクな見た目。
腕はなく、翼と後ろ脚だけのタイプ。パッと見るだけで数十はある眼球が、なんとか二群に分かれて複眼のようになっている。
素直に言えば気色が悪く、格好付けて言えば迷宮の雰囲気全開だ。
左右非対称な翼ではばたき、ときおり壁を蹴り、揺れながら、しかし猛スピードでこちらに向かってくる。
邂逅と同時に、来た。緑色のブレス。
五人が俺の前で並び、盾を一列に並べる。
『こちら盾部隊! ブレスを確認、接触します!』
ブレスが盾にぶつかる。
五人の足が地面を引きずる。
でも問題ない、拡散がうまくいっている。
それどころか拡散を利用してブレスを防ぎ、若干の反射まで起きているようにすら見える。狙い以上だ。
さすが【夜蜻蛉】の盾役と言ったところか。
遅れてやってきたワイバーンが、自身のブレスの反射に面食らって宙でつまずくようにバランスを崩した。
『後衛部隊! 撃て!』
カミラさんの指示が飛ぶ。
『了解! 【氷雷槍】!』
後方でハイデマリーを中心とした部隊が遠距離魔術を放つ。
氷魔術と雷魔術の複合。
雷を纏った巨大な氷槍が、轟音を立てて発射される。
一瞬重力に身を任せてしまったワイバーンに避ける術はなく、もろに直撃した。
◇
私は信じ難い光景を目にしていた。
盾役という職業には奥義がある。
敵の遠距離攻撃を拡散し、その拡散の方向を微調整することでその遠距離攻撃自体を盾として利用する、通称、反射。
弛まぬ努力を重ねた熟練の盾役が、ごく稀に起こすことができる防御の奇跡。
その奇跡が目の前で、五人ともに起きている。
見惚れそうになったが抑えて、後衛部隊に攻撃を伝達する。
狙い通り、【氷雷槍】がワイバーンに直撃した。
『後衛部隊、二撃目準備! 詠唱開始!』
陣形を変更し、二撃目の準備に入る。
土煙が晴れ、落下したワイバーンの全貌が露わになる。
横たわっていて、立ち上がろうとしている。
複数の眼球がぎょろぎょろと回っていて、混乱しているようではあるが、情報を集めようとしている冷静さも見える。
まずいな、これは。
ほとんど無傷だ。
体内に衝撃が伝わっている節はあるが、恐らく体表に対魔術系統の何かが備わっている。
このまま押し切ることもできようが、無駄な危険というものだ。
『後衛部隊、詠唱中止! このワイバーンは曲者だ! 退却の陣に変更! 私が出る!』
剣を抜く。
このようなときこそ、二つ名なんぞ大層なものを付けられた者の使いどきだろう。
単体の戦力は殿にこそ相応しい。団長がそんなことをするな、と毎度怒られてしまうが。
皆が後退しながら陣を張り直しているのとは逆に、ワイバーンの方へ馳せ参じる。
倒せはしまいが、時間稼ぎくらいなら安全に──
そこまで考えて、先ほどの反射を思い出した。
【夜蜻蛉】の精鋭とはいえ、あの奇跡を五人が同時に起こすなんてありうるか?
そのような度を超えた奇跡が、今日、たまたまここで起きたのか?
否、そんなわけがない。
奇跡が重なるのは奇跡ではなく必然。なら、要因があるはずだ。その要因は何か。
決まっている、ヴィム少年だ。
盾部隊とのやり取りを聞いていたが、彼の強化はあまりに特異だった。
魔術の複数使用というのは熟練者でも三、四つが限界だ。
初級魔術とはいえ、ほとんど制限なしにいくらでも重ねられるなんて聞いたことがない。
これは、私の好奇心。
『ヴィム少年! 私に強化をかけられるか』
ヴィム少年に伝達をかける。
『カミラさん!? え、これ個人!? あ……あ、はい! えっと、何を!?』
『攻撃に全振りだ、私の剣は知っているな?』
『はい! でも』
『感覚はこっちで調整する!』
*
あのワイバーンの特質が判明し、すぐさま退却の判断がくだされたと思って感心していたら、カミラさん本人が殿を務めると聞いてもう一つ驚いて、そしたら今度は攻撃強化をかけろなんて言われた。
殿だと思ったら、とんだ戦闘狂らしかった。
これが【夜蜻蛉】団長、“銀髪”のカミラというわけか。
『ヴィム少年、最大の強化なら、最大筋力を何倍まで力を底上げできる』
『三倍、くらいでしょうか。何を基準にするのかにもよりますが』
『そんなにか。……いや、まだいけるだろう』
『はい?』
『君は安全を求めすぎるきらいがある。危険を上げればもっと出せるだろう』
『いやいやいやいやいやいや』
何考えてんだこの人。
団長に失敗しかねない強化をかけるなんて、そんなことできるわけがない。
そんな責任俺には取れない。
『そんなに拒否するな。いや、仕方がない。なら、五%でどうだ』
『五%?』
『危険の発生率だ。五%の失敗まで許容したら、何倍まで出せる』
『多分、多分十倍くらいです。いやダメですって』
だって、成功率九十五%は低すぎる。
そんな確率、許容していいわけがない。
『ええいそのくらい背負ってみせろ! 心配するな! 【夜蜻蛉】の連中はその程度で君を責めたりしない!』
「嫌だ! 責任重すぎ!」
伝達を外して叫ぶ。
『何か言ったかね?』
『い、いいえ……』
『はは! 私、カミラは術師ヴィムの付与を承認する!』
ああもう、めちゃくちゃだこの人。
『知りませんよ!』
「『解析』」
もう知ったことか、と俺は象徴詠唱に踏み切った。
象徴詠唱というのは、主要な魔術の行使方法たる詠唱の一種だ。
高度な魔術ほど長く複雑な詠唱が必要となるので、詠唱を省略する魔術をもって長い詠唱を短くしている。
その詠唱を省略する魔術自体も多様で、それぞれ仕様は複雑だ。
「象徴詠唱」と呼ばれるものは、本来は長い詠唱を節に区切ってまとめてタグをつけ、そのタグに書かれている文字を発音することで長い詠唱を代替させるもの。
この場合はそのタグに書かれている文字を読むことを象徴詠唱と言う。
カミラさんの体を解析にかける。
やはりエゲツない体格をしている。もはや男性とか女性とかじゃなくて人間の骨格じゃない。
関節の位置を特定、それらの微少変位により重心を特定、各支点、力点、作用点を逆算。
「『構築』」
それぞれの筋肉一つ一つにかける強化のコードを作成。
リアルタイムで調整するために俺との通り道も設定する。
俺の付与術の特殊な点はここだ。
通常、付与術というのは、一定時間で切れる強化をかけっぱなしにするだけだ。
それでもある程度作用はするが、俺の魔力量ではそのかけっぱなしにする系統では一回が限界になる。
だから俺は最大効率の強化を開発せざるを得なかった。
もっと種類を分割して、最低限の箇所に、最低限の時間、最も適切な強化を施す。
完了。通り道も繋がった。
『カミラさん! 付与済みです!』
『そのようだな!』
カミラさんを淡い光が包む。強化がかかった。
おもむろに剣を抜き、右手を前に、その不自然に長い柄の両端を握りしめる。
あれは魔剣。剣に選ばれた彼女の固有魔術、剣魔術に呼応して巨大化する、銘を“大首落とし”。
横たわるワイバーンに狙いを定め、そのまま助走をつけて跳び上がり、掲げるように剣を振りかぶった。
跳び上がったことでカミラさんの体全体が背屈している。
次の筋肉の動きは主動筋と助動筋が概ね反対。
なので、一部コードを反転して残りは微調整。通り道を通じて命令を伝達。
「『倍化』」
彼女の詠唱が引き金となり、大首落としの刃は空中で大きくなった。
目視ではおよそ二倍、そしてそれは剣筋が一番高い場所に到達し、振り下ろす動作が始めるまでに四倍、八倍、十六倍に巨大化する。
まるで遠近感が狂ったような光景。しかし彼女はそれを容易に振るう。
これが剣魔術の深奥、加速度はそのままに、質量のみを増加させるまさしく不条理。
「『巨人狩り』」
巨大な剣は、皮膚に宿った防御など関係がないかのように、理不尽にワイバーンを叩き斬った。
『ヴィム少年』
『はい。お見事です、カミラさん』
『ありがとう。素晴らしい強化だった』
『きょ、恐縮です』
カミラさんは悠然と着地し、大首落としは消えるように元の大きさへ戻る。
そしてコツ、コツと足音を響かせながら、注意深くワイバーンの死体を確認している。
『して、ヴィム少年。聞いてなかったが、君の強化が失敗していた場合、どのような副作用が考えられたのかね』
『ああ、それは、えっと、今回くらいだと、かける強化の種類がズレていた場合、思考と肉体の若干の不一致が起こります。不快感が出ますね。それを超えた場合起きるのは、ええと、考えられるのは筋肉の断裂かな』
『それは痛そうだな。どの程度だ。肉離れか』
『そのくらいは痛いです』
『痛い ?怪我はしないのか』
『え、でも痛いですよ。攻撃は中止して逃げないと』
『ふふっ……ふははっ!』
カミラさんは急に笑い出した。