第八十三話 パレード
【竜の翼】の炎上から丸一日が経った。
クロノス以外のパーティーメンバーは拘留され、事実関係が整理されれば裁判が始まるだろうということだった。
クロノスは現在も逃走中であり、捕まるのも時間の問題、そうでなくても事実上はフィールブロンから追放されている状態だ。
この醜聞は一日で広まり、これでもかと尾ひれが付いた。
同時にある程度の事実らしい部分は共有され、分別のつく人間には大筋の想像がつくくらいになった。
曰く、【竜の翼】はヴィム=シュトラウスの脱退以降成果が出せず、ついには闇地図という大罪に手を染めた。
そもそも第九十七階層の階層主討伐もほとんどヴィム=シュトラウスの独力で行ったものであり、欺くかお目こぼしを貰うかのような形で手柄を自分のものにしていた、と。
そういう話になっていた。
事実関係はほとんど間違っていない。
俺が炎上の現場にいたことから、闇地図について告発した人間は俺なんじゃないかという話も出てきているらしかった。
【竜の翼】を野放しにした責任を取るためとかなんとか。
こちらも一部合っている。
しかし総じて、俺を責める人間はいなかった。
むしろ第九十七階層の階層主討伐の真の功労者として持ち上げる方向に話が進んだようで、いけ好かない【竜の翼】を叩くための材料として使われ始めた節もある。
家の前ではひっきりなしに記者が行き来していた。
俺のことを慕ってくれている街の人も混じっていて、郵便受けにはたくさんの手紙が押し込められていた。
やめてほしい、と心の底から思った。
ずっと誰かに褒めてほしかったし、評価されたかった。
人の輪に入りたかったし、誰かが俺の話をしていることは嬉しいことだと思っていた。
今でもその気持ちはある。
理解も共感もできる。
だけどさ、こういうのは違うんだ。
「……鬱陶しい」
言葉を呑み込むこともなくなった。
躊躇というタガが外れていた。
違うんだ、俺はそういう人間じゃない。
そんな価値もない。
頭の中はまだぐるぐる回っている。
だけど混乱はしていない。気持ち自体は整理されている。
何が起きて、誰がどう思って、そして俺がどう考えているのかも知っている。これから何をすべきかも。
簡単だ。
このまま【夜蜻蛉】にいて、適切な距離を探ればいい。
気持ちと現実に折り合いをつけろ。
クロノスのことについては個人的にやれることを尽くして思いを果たせば良い。
でも、そう考えると聞こえるんだ。
迷宮の呼び声が。
*
踏破祭三日目は【夜蜻蛉】のお披露目ということで、迷宮潜の格好そのままに行進のような形で街中を闊歩する。
屋敷から郊外までゆっくりと歩いて声援に応え、あるいはサインをしあるいは古い装備を手渡したり、そうやって街の人々と交流を図る。
必然、【夜蜻蛉】のみんなとはしばらくぶりに再会することになる。
最低限のやり取りで屋敷を出ていったので、気まずいと言えば気まずい。
こっそり屋敷の門をくぐって大広間についてみれば、みんながガヤガヤといつもの迷宮潜のように装備を整えていた。
空気は緩い。
これから命のやり取りをするわけではないので、装備の整備不良が悪いことに繋がったりしないからだ。
一部団員は普段と違う装備でやたら髪型を気にしていたり緊張していたりしているが、まあそれは推して測られるものだろう。
「その……どうも、へへ」
できるだけ自然に、でも挨拶をしないほどの度胸はないのでアリバイ的に挨拶をして、こっそり集団に加わる。
よしよし、もともと影は薄いんだ。
このまま行進も人ごみに紛れてこなしてしまえ……るかな? 無理か。
「よっ、ヴィムさん! 久しぶりだねぇ!」
案の定、見つかった。
元気の良い声をかけられると、自然に背中に力が入って伸びてしまう。
こっちもそれに応じなきゃいけないような気がしてしまう。
「あっ、その、おはようございます! マルクさん」
「いやー、大変だったな!」
俺という存在が認識され、みんなの視線が一気に集まったのを感じた。
「まあ、いろいろ聞いてるが──」
そして理解してしまう。
これは、あれだ。
こういうふうな手筈になっていたパターンだ。
陽気で遠慮のない人が、しばらく姿を現さなかった人の核心の話題を最初に突く役を担うんだ。
すると突かれた側も先に難所を越えられるので以後のやり取りが円滑になる。
示し合わせたのかそういう空気だったのかはわからないけど。
「──大変だったな! 俺たちからは何も聞かねえが、落ち着いたら相談してくれや!」
うんうん、と周りも頷く。
「あ、その……」
厚意だ。
これは純粋な厚意だ。
みんな、諸手を広げて俺を受け入れてくれている。
「ありがとうございます」
口から勝手にそういう言葉が出てくる。
みんなは笑顔で応えてくれる。
うん、ちょっと気持ち悪い。
こう答えた自分も含めて。
相談したところで何になるというんだろう。
通り一遍の助言は予想できる。
そんなのわかってる、と心中で言って切り捨てる俺が目に浮かぶ。
俺、こんなに性格悪かったっけ?
なんでこんなこと思っちゃうんだろうな。
【夜蜻蛉】のみんなのことは好きだし尊敬もしている。
楽しい思い出は楽しい思い出のままのはずで、居心地の悪さはあれど他にも嬉しかったことが……
……あれ? そんなにあったか?
飲み会とか行ったっけ。行ったな。
でも何を話した? 思い出せない。
誰と何を話したのか、まったく覚えていない。
じゃあなんだ、俺がやっていたのは、そんな記憶もできないほどの上辺だけのやり取りか?
「મેં તને કહ્યું હતું」
はいはい。
もう不快ではまったくなくて、むしろ聞き心地が良くすらある。
「まあ元気そうで良かった! なんてったってヴィムさんは俺たちの」
俺がつまらないことを考えているなんて、目の前のマルクさんは知らない。
知りようがない。
「いえいえ、その」
「“英雄”、ヴィム=シュトラウスだからな!」
……え?
「これからもよろしく頼むぜ!」
みんな、特に反応する様子もない。
いつの間にか大層な二つ名がついていたらしかった。
行進は予想通り、楽には進まなかった。
嫌になるくらい清々しい快晴。
屋敷を出ると門の前にたくさんの人がいた。
家の前に張り付いていたような記者さんもいる。
俺が間違いなく出てくる場所ということで、話を聞けるとでも思っているらしい。
太鼓が二拍子を刻み始めて少し、金管楽器の景気良い音色が響いた。
「総員! 私に続け!」
カミラさんの声に合わせて一斉に歩き出す。
俺は最前列で彼女の隣。
「ヴィム少年、すまんが努めて愛想良くしていてくれ。街の人々あっての我々だ」
「もちろんです」
覚悟を決めたのも束の間、一歩門を出るなりいきなり群がられる。
一斉に話しかけられていて、一つ一つが何を言っているかがわからない。
警備員さんがある程度抑えてくれるのを後目に、そこそこ手を振ったり握手をしたり、笑顔を振り撒いて応える。
なぜか感謝とお礼を言われた。
応援してます、とも聞こえた。
結婚してくださいとかも聞き間違いじゃなければ言われたと思う。
悪い気はしない。
いや、してないんだろうか。してるな。
両方あるんだ。理解もできる。
合うか合わないかと言えば、きっと合わない方。
「さあここにおりますはみなさんご存じ、階層主を二体も屠った“英雄”、ヴィム=シュトラウス!」
威勢の良い口上が響いて歓声が上がる。
右手を挙げて応える。
これは羨望の視線なんだろう。
何千本も突き刺さる。
──この人たちが、パーティーハウスを燃やしたんだよな。
二面性などと言うつもりはない。
違う人が違うことをやっているだけ。
それでもこのフィールブロンの人たちはずいぶんと現金に見えた。
声を出した。笑った。求められればいろんな人と肩を組んだ。
楽しさはあった。認められたという実感もあった。
でも、帰りたいと、ずっとそう思い続けてしまった。
果たして帰る場所なんてあるのだろうかと、自問しながら。