第七十六話 追跡者たち④
迷宮の森で一人、私はただ死を待っていた。
痛くて、怖くて、もう動けなくて、いっそのことすぐに消えてしまった方が楽かとも思った。
いろんなことを思い出して、やっぱり死にたくなくて、泣いたりもした。
けど、私は助かった。助けてもらった。
話に聞いたような魔法使いさまが現れて、私に魔法をかけてくれた。
体が軽くなって足が痛くなくなって、力が溢れてきて、怪我をする前よりも速く走ることができた。
それから私の周りの世界は変わった。
あの恐ろしい“学校”から、優しくて暖かい人だらけのお屋敷になった。
魔法使いさまの名前はヴィム=シュトラウスといった。
ヴィムさまは不思議な人だった。
魔法使いさまと言ったらもっと偉そうなものだと思っていたけど、違った。
自信もないふうだし、声も小さかった。
でも優しい人だというのはわかった。ヴィムさまは怖いもの全部から私を守ってくれた。
恩返しをしなきゃと思った。
そして、この人のことを知りたいと思った。
空回りしてしまったと思う。
お手伝いをしたりお祭りを楽しんでもらおうと思ったら、いつの間にか服も買ってもらうことになって、それからいつの間にか私はわがままを聞いてもらってて。
あれれ、また返す恩が増えてる?
明日こそは、と思った。
明日はいよいよ踏破祭だ。
ヴィムさまはまだ踏破祭には出たことがないみたいなので、ちょっとくらいは案内できるはず。
だけどヴィムさまは思いつめた顔をして、明日はダメだって言った。
【夜蜻蛉】の人とか、スーちゃんと一緒に行っておいでと言われた。
特別な事情があるというのは私でもわかった。
きっとそれは私なんかじゃどうしようもないことだというのもわかった。
……どうしても、気になってしまった。
朝、ヴィムさまは私より早起きして出かけようとしていた。
でも私はもっと先に起きていた。
扉が音を立てずに閉められてから、五十秒くらい数えた。
外に出たらヴィムさまはまだ遠くに見えた。
こっちを振り向いてはいない。
「んー!」
丁度いいくらいに体を小さくした。
きっと悪いことだってわかってたから、誰か知らない人に怒られても子供のやったことって言ってもらえるくらいに。
そのままこっそりと、ヴィムさまについていった。
ヴィムさんの謹慎中の監視は【夜蜻蛉】の団員で持ち回りということになっていた。
常に見張っているわけじゃない。
睡眠時に無意識で迷宮に行かないよう夜間の家の監視と、一日数回の所在確認くらいが精々。
だが俺の場合は団長から、屋外では無理のない範囲で一緒に過ごして話を聞くように仰せつかっていた。
ハイデマリーさんを省けば、俺が【夜蜻蛉】で一番ヴィムさんと親しい自負がある。
適任そのものだろう。
友人として一緒に祭りを回るのも良い。
何かに誘う機会としても上々だ。
ちなみに団長の判断でハイデマリーさんはこの持ち回りから外されている。
具体的な理由はわからないがなんとなく察しはついた。
彼女は俺たちよりも圧倒的にヴィムさんに近いけど、それゆえに行動原理が【夜蜻蛉】を超越して団長の意図を無視してしまう予感があった。
あと単純にほっといても監視してくれるだろう、という意図か。
というか団長は彼女のストーキングについて知っていたらしい。
さて、というわけで俺は白昼堂々ヴィムさんと一緒にいなければならない使命を帯びたわけだが、実のところヴィムさんが迷宮から帰ってきて以降、まだ話しかけることさえできていない。
みんなと一緒にいるときはなんの躊躇いもなく話の流れでさっと行けるのだけど、何もない場所で訪ねていって一対一だとなかなか。
なのでこうして家を出るまで待ち構えていても、まごついて機会を逃し続け、追いかけてはまごついての繰り返しになってしまう。
仕方ないじゃないか、まだ食事にだって誘えてないんだから。
◆
ヴィムを見守り、観察することにも私なりの流儀がある。
それは自分に負担をかけないことだ。
ひいてはヴィムに押し付けるものがないようにすること。
これはすべて私が勝手にやっていることである。
ヴィムに対して時間を割きすぎて潰れてしまうのは本末転倒。
それに本人は知らないこととはいえ、自分に過多な労力が割かれているというのは気持ち良いわけがない。
重い、とも言う。
なので私は一日に物理的な見守りは三時間までと定めているわけである。
しかしヴィムが迷宮に惹かれているとなると話は別。
さすがに、不安で仕方がない。
不安で不安で不安で仕方がない。
しばらくは制限も外さざるを得ない。
当初の目的から逸脱している自覚はとうにある。
自覚があること自体は悪いことじゃない。
昔みたいに倒れる恐れもなくなる、はず。
大丈夫、頭は冷静だ。
どうしてもヴィムの家に泊まろうとラウラを諫めることでヴィムの意識をそちらに集中させ、大人しく屋敷に戻るフリをして索敵を張り巡らせ続けるという芸当も余裕をもってこなした。
するとヴィムが何かを受け取って顔色を変えたわけである。
盗聴石から明日の踏破祭には行けないと聞こえてきたので、呼び出しだろう。
──これは、尾けないわけにはいかない。
可能性はいくつも考えられた。
一番可能性がありうるのは【黄昏の梟】からのメッセージか?
前回と同様に一定の距離を保ってついていく。
いつもと違うのは今日は踏破祭当日だということだ。
街中に向かって行く人の流れがあることで、それに逆行していく人間はやや目立つ。
きちんと目的地があるならそういう人だということで処理されるが、人の流れと逆にかつ不規則な動きをしているとなれば憲兵にすら捕まる恐れがある。
しかし私はそんな間抜けな失敗など犯さない。
ヴィムの動きに合わせて一時的な目的地を経由し続ければその挙動は極めて自然になる。
そうじゃないと、ほら、あんなふうにやたら目立つ見知ったチビみたいになるのだ。
「わっ!」
「やいこの四つ足」
ヴィムの方ばっかりに意識を集中させていたので、後ろから首根っこを掴んで持ち上げてやった。
「ごめんなさいごめんなさい! 私、その、あれ?」
「私だよ、ラウラ」
「あれ? え? スーちゃん?」
ジタバタしてると可愛らしいなこいつ。
大分小っちゃくなっているので手足が届いてない。おお、楽しい。
「ったく、なんでヴィムに惹かれた奴はどいつもこいつも同じことするんだか……ほれ、落ち着け。説教するだけだから」
「うう……」
降ろしても逃げたりせず項垂れていた。
悪いことをしていた自覚はあったらしい。
「話を聞こうか」
「……その、今日は一緒におでかけだと思ってて、でもヴィムさまは用事があったって」
「で、気になってついてきたわけだ」
ちょっとだけムスッとした様子を見せながらも、概ねコクコク首を縦に振る。
「あのねぇ、まあ悪いことをしたとは思ってるんだろうけど、そんな四六時中人を追っかけ回すもんじゃないよ」
「でも、ヴィムさまって」
話し続ける傍ら、何かこう、この展開に覚えがある気がしてきた。
「ちょっと待ってラウラ」
「?」
「オチが見えた」
私の方もラウラとヴィムに意識を配っていて後ろが疎かになっていた。
真後ろに近づいてくる人影に遅れて気付いた。
「そこの怪しい二人組! ヴィムさんに用があるなら俺を通してもらおうか!」
振り返ってみればそこにいたのは、やはり予想通りのアーベルだった。