第六十九話 階段
「やめろ! 乗るな、ヴィム少年!」
「カミラさん、一つだけ教えてください。このリタ=ハインケスという人は約束を守る人ですか?」
「それはっ……」
カミラさんは言葉に詰まる。
こんな場でも即座に否定できないということはやはり、そういう類の人なのか。
信念と言葉が一致しているタイプ?
なら少なくとも、本人の口から出た言葉は信用に値すると判断できるか?
「確認します、リタ=ハインケスさん。ラウラに手を出さないというのは、ラウラの関係者を人質に取る等の姑息な手段を用いないことを含みますか」
「もちろん! ここでの約束の穴を突くつもりは毛頭ないよ! ペテンにかける気もないね!」
「いいでしょう、行きます。でも人質の解放と、ラウラの脱出が先です」
「わかりました! おーいみんな! 放していいよ!」
【黄昏の梟】はびっくりするくらいあっさりと、街の人たちの手足の縄を切って解放した。
「でもヴィム君、それと賢者ちゃん! 忘れないでね。途中退席なんてされたら私、街中で癇癪起こしちゃうかも!」
そうだよな。あくまで一時しのぎだ。
「ラウラちゃん、しっかりカミラさんについていて」
ラウラは否応なくこくこくと首を縦に振る。
「……ごめん、ハイデマリー。ついてきてくれる?」
「ああもう、いいよ! 勝手にしやがれ!」
大丈夫だ。話を聞くだけ。
恐らく交渉事の類だろうけど、俺の心一つでどうにかなる範囲なら少なくとも今の状況よりは遥かにマシだ。時間稼ぎにもなる。
そして最悪の場合は、俺が武力を行使する。
「待て、ヴィム少年」
「……ごめんなさいカミラさん。でも、これしか」
「それはいい。私の無力が招いた結果だ」
カミラさんは首を横に振る。
そして諦めたように息を吐いて、言った。
「だが絶対に、戻ってこい。いいな?」
彼女は強く俺を心配してくれているらしかった。
そしてその心配というのは、本人である俺には見えないことだというのも、なんとなく。
*
俺とハイデマリーが案内されたのは森に入って少し歩いた場所。
森の淵に生えている雑草が姿を消し、大樹が目立ち始めるくらいのところだった。
目の前ではリタ=ハインケスと数名が俺たちを案内していて、後ろにはその部下たちがぞろっと並んでいる。
逃げられないように囲まれているのかなんなのか。
とにかく居心地が良いわけがない。
「えっと、どこだっけ」
「あちらです」
部下らしき人が指さしたのは木のうろだった。
人が二人くらい通れるほど大きい。
「じゃあここから先は私たち三人だけね」
「承知しました」
奥の方には少し空間が続いていて、扉があった。
「ほら、ヴィム君、賢者ちゃん、おいで」
リタ=ハインケスは俺たちがついてくることを疑うことなく扉を開けて、その先にある階段を下っていく。
ハイデマリーと目を合わせて、頷き合う。
現状は武装を解かずに大人しくついていくことにする。
階段を一段一段、下っていく。
ひんやりとして淀んだ空気。
感覚に覚えがあると思ったら、これは迷宮のそれだ。未知の場所に呼ばれていくのと同時に、その先にあるものに敗北してはならないと決意する気分。それが近い。
薄々わかっていたことだが、俺たちはかなり最初の段階からここに誘導されていた。
ラウラを見つけた時点からとなるとさすがに荒唐無稽だけど、仕組まれていなければわざわざ【黄昏の梟】のリーダーが俺たちの目の前にどんぴしゃりと現れるわけがない。
情報が漏れていた?
いや、カミラさんは味方にすらどの幌馬車にラウラがいるか知らせていなかったはずだ。
となると。
「……発信紋か」
「え?」
「発信紋だよ、ハイデマリー。発信紋しか考えられない」
「ヴィム、気付いてたのかい……?」
「? いや、気付いたというか、それしか考えられないというか」
「せいかーい! よくわかったね! さすがヴィム君だ」
リタ=ハインケスは朗らかに言った。
「ラウラと、それから君にも発信紋を仕込んでるんだよ!」
「……やはり人でなしというか、遵法意識が欠片もないんですね。国家以外の団体や個人による発信紋の使用は固く禁じられているはずですが」
「ふぐっ」
それに発信紋を刻める魔術印は厳重な監視の下に公的機関で保存されているはずだ。
それを盗んで使用したとなればどれだけの法を破っているか想像がつかない。
「あんな便利なの使わないわけないよ! というかうちのアジトまで来て法律の話をする人は久しぶり!」
「……その調子じゃ盗聴石あたりも仕込まれてたり、しますか」
「ん~、欲しいところだけどね。実は盗ろうとしたら保管場所が移されていたのか、なかったんだよね! それに盗聴石みたいな国宝級の魔道具はもうちょっとマシな使い方するよ! あれは最も優れた通信装置として運用した方が良いし」
「さすがにそのくらいの分別はありますか」
「ぐはっ」
……勘繰りすぎたか。
そこまで疑心暗鬼になっていたらやってられない。
しかしわかってはいたが、ここまで遵法意識がないとなるともっと根本的な意識を改めて警戒し直さなきゃいけないかもしれないな。
「ん? というかさっきからどうしたの、ハイデマリー。体調でも?」
「い、いや、何も? 大丈夫だよ! それよりもヴィム! 気張っていけよ」
「お、おう……」
*
通されたのは会議室を半分兼ねたような、来客用の部屋だった。
どんなものかと身構えたが意外なことに質素で、壁に大きな黒板が貼り付けてあって、その前にソファーが向かい合って置いてある。
違和感と言えば地下なだけあって窓がないことくらいか。
「さてさて、お二人とも、座って座って!」
えへん、という鼻息が聞こえてきそうな勢い。
リタ=ハインケスはまるで余計なことを考えずに俺たちを歓迎しようとしてくれているように見えてしまった。
戸惑う。
さっきまでの所業とのつり合いが取れない。
こちとら何を言われたり脅されたりするのかビクついているというのに。
「さあ、賢者ちゃんはともかく、ヴィム君にはまずはちゃんと自己紹介しなきゃだね! 私はリタ=ハインケス! 【黄昏の梟】のリーダーもやっている研究者さ! リタさんと呼んでくれたまえ! 先生でも良いよ!」
……研究者?
「おっとヴィム君! その顔はわかるぞ!? 疑っているな!?」
ひたすらに勢いよく、明るい。
ペースを合わせてしまったら毒気が抜かれてしまいそうになる。
だが、己に言い聞かせる。
こいつはさっきまでラウラを追い詰め、罪のない一般人の命を平気で人質にしていたような人間だ。
見誤ってはならない。
俺がここにいるのはあくまで、話を聞くという条件を満たすためだけ。
「そうだな、ええっと、やっぱり研究者なものだから、授業は苦手なんだよね! こういうときは象徴的な言葉から始めるのがいいのかな?というわけでヴィム君! 賢者ちゃん!」
しかし、紡がれた言葉は謀略なんてものとはまったく縁のないような言葉で。
「迷宮って、本当はどこにあると思う!?」
その目の輝きは、夢見る少年少女のそれだった。