第六十七話 忍び寄る魔の手
ヴィム少年たち三人は状況を具体的には理解していなくとも、深刻さは感じてくれたようだった。
特にハイデマリーはかなり先の方まで察しがついているようにも見える。
「ラウラ君を利用した業者は間違いなく【黄昏の梟】だ。状況証拠しかないが断定していい」
闇地図業者で我々の秘匿経路を看破し堂々と利用する手合いなど、あの忌々しいリタ=ハインケスの手の者としか考えられない。
この言葉を聞いてラウラ君が怯えているのがわかった。
そして口を開こうとしているのも。
「ラウラ君は何も話さなくていい。禁じられているのだろう?」
恐らく守秘義務のような何かが課せられている。
罰則があった場合にまずい。
もしも再び捕まったときの保険はかけておきたい。
彼女自身が大きな情報であり、少なくとも現時点の我々にとってはそれで十分だ。
やつらを追い詰められるほどの情報を持たされているわけがないし、仮にそのために情報を利用するとしても安全が確保されてからが望ましい。
「その、カミラさん。命が危ない、とは?」
「胸糞の悪い話になる」
若い冒険者にはしたくない話だ。
迷宮を目指す志にはある種の純粋性があってほしいという願いがある。
だが現実は現実。
今は切り分けて考えるときだ。
「知っての通り闇地図とは人員を使い捨てにして作られた迷宮の地図だ」
使い捨てにする人員に強固な伝達魔術を使用し、帰還を考慮せずひたすら奥地まで行かせ、伝達された情報をもとに地図を作製する。
こうすれば開拓はできなくとも地図の作成自体は容易だ。
そしてその地図は、開拓を進めるにあたっても大きな助けとなる。
「しかし当初の意図とは別に、副次的に業者たちにとって都合の良いことがあると認識され始めた」
それは最悪の副産物。
おおよそ人間の発想とは思えない、人の命を一切顧みないゆえに生まれた評価軸。
やつらが恐れたのは人命よりも顧客だった。
たとえば、本来使い捨てにされるはずだった人員が何かの拍子で生き残り、外部の者に闇地図の詳細を話したら。
直近の期間にその闇地図の範囲を開拓していた冒険者が、業者から闇地図を購入した顧客だと確定してしまう。
「それは使い捨てにされた人員が死亡すれば秘密が守られるということ。つまり厳格に人員を使い捨てれば情報漏洩の危険が消えるんだ。闇地図の作成方法が確立されるにつれて、使用した人員の死亡を確認することが条件づけられるようになった」
ゆえに、闇地図作成に携わった者が生き残ることはやつらにとって大きな不安要素になる。
さらにその使い捨ての人員がラウラ君だとなれば事の重大さはいっそう増す。
「“獣化”が使用できる亜人族に作らせた闇地図、というのは最高級の“特一級”という商品に当たる」
“獣化”というのは一部の亜人族が有する、一時的に身体能力を大幅に向上させる能力のことだ。
これが使えるとたとえ子供であっても迷宮でのある程度の時間の生存が見込める。
そして重要なのは、子供であるがゆえにその「ある程度の時間」以上の生存の可能性はほぼ皆無に等しいことだ。
つまり攻略難易度の高い領域の闇地図を作るのに最適ということになる。
「恐らく、相当な上客の発注に応えた形だ。【黄昏の梟】は何がなんでも口封じに来る。だからやつらの手が及ばない場所までラウラ君を避難させる」
すでにリタの方に情報が行っているはずだ。
魔の手はすぐ傍まで迫っている。
「でも、その……それならフィールブロンを脱出させなくとも屋敷で匿っておけば良いのではないでしょうか……?」
ヴィム少年は至極当然の疑問を投げかけてくる。
ああ、本当にその通りだ。話が早くて助かる。
同時に、自分の無力さが嫌になる。
「それができれば、だ。ラウラ君の存在がわかった時点で屋敷は閉じた。しかし……」
執務室のドアに向かって声をかける。
「ハンス! いるか!?」
「はい! 団長!」
「入れ! どうだった!?」
ハンスは事務的に答えようとする様子を見せたものの、やはり俯いているような気配が隠せていなかった。
やはり、あったか。
「ありました。毒です。来客用の食器の一つに、毒が塗られていました」
*
【夜蜻蛉】によるラウラの脱出作戦が始まった。
使用するのは複数の幌馬車。
ラウラが乗る車両以外は囮で、同時に多方向に散開し、的を絞らせないようにした上で彼女をフィールブロンの郊外まで送り届ける。
俺たち三人は同じ馬車に乗せられることになった。
「ラウラ君にとっても助けた君たち二人の方が安心だろう。何より、ハイデマリーは治癒ができる」
……そこまで想定しないといけない事態なのか。
「おい、行くよ、その、ラ……、半獣人。まずはこっちの方に──」
ハイデマリーがラウラを呼んだ。
しかしラウラは俺の袖を握って固く動かなかった。
ちょっと怯えているように見える。
その様子でようやく失念に気付く。
カミラさんと目が合って、その失念を共有する。
急いでいたとはいえ、俺たちはこんな少女に恐ろしい話を真正面から聞かせてしまった。
「ハイデマリー、それって差別用語じゃ」
さらにハイデマリーは子供にもあまり態度を変えないので、治療した本人とはいえいつもの横暴な口調が出てしまえば怯えさせてしまうのは当然だった。
「あー、うん? そうか。そうだね。確かに」
「えっと、ラウラちゃん? 大丈夫だから、俺たち三人で……」
「あー、その、なんだ。ごめんね? その耳、可愛いと思うよ、うん。ほら、そんなにビターンってしないで……」
……今更ダメだった。
ラウラは思いっきりハイデマリーを警戒している。
まずい。時間がない。
だけどどうすればいいかまったくわからない。選択肢すら浮かばない。
慌てふためく俺たちを見て前に出てくれたのは、カミラさんだった。
「安心しろ、ラウラ君。ハイデマリーのそれは親愛の証だ。いかがなものかと思うが心を開いた者にしか悪口を言わんのだよ。むしろ初対面からそう言われるのは珍しい」
こんなときにもカミラさんは頼りになる人だった。
なんというか、常に正しい感じがして、安心してついていけそうな雰囲気を出してくれた。
「その証拠に私は彼女に“デカ女”の類の悪口を言われたことがないからな! はっはっは! 君は特別だぞ!」
ラウラは一度ぽかんとして、でも明るい雰囲気を察したのか、
俺の袖を離してくれた。
そして恐る恐る、ハイデマリーについていく決意を固めたみたいだった。
……俺の方はといえば、なんとなく察していた距離感を前に無言になっていた。