第五十四話 聞くべからず
「あの、ヴィムさん」
俺があれこれ考えているのを察してくれたのか、モニカさんが話しかけてくれた。
「『炎幕』の強化の確認なのですが」
「はい。なんでしょう?」
「ヴィムさんは属性付与は使ってないっておっしゃってましたよね。魔術の方はどうやって強化をかけているんですか?」
そうか。もう身内なんだし、当然説明した方が良いよな。
さて、今までの俺ならここでいきなり早口になり自分で設定した用語ですら積極的に混じえるところだろう。
しかしすでに以前の俺ではない。
大胆に要点を押さえた説明を用意してある。
「実は魔術自体へ強化を使っているわけではないんです。魔術が出力されたあとにその物体が最大効率で敵に届くよう調整しています」
「効率、ですか」
「はい。たとえば『炎幕』のような炎の魔術だと空気の扱いが重要になってきます。よりうまく燃え広がるように方向を調整したり、酸素を取り込めるような形状を保つ等の工夫で損失が少ないようにしています。イメージを下回ることはないようにしているので、安心して撃ってくださって大丈夫です」
「なるほど」
よし。完璧な説明だ。
「そういうのって、魔術に詳しくないと難しくないですか?」
するとモニカさんはちょっと翻って、好奇心を宿した目を向けてきた。
踏み込まれた気がして引いてしまいそうになるけど、もともと半分雑談みたいなものだ。
そのうち個人的なことも話すことになるだろうし、それに隠すことでもない。
「まあ、昔魔術師志望だったもので……」
「そうなんですか?」
「はい。ちょっといろいろありまして」
「いろいろって、振り分けが合わなかった、とか?」
「振り分け?」
「はい。学院の」
学院とは都市部か各地方に一つずつある、中流階級以上の人が行くことがある教育機関だ。
モニカさんってお嬢様だったのか。
「いえ、学院は行ってないです。田舎から迷宮に憧れて来たんですよ」
「じゃあどこで魔術の勉強を?」
「独学、ですけど……」
モニカさんは意外そうな顔をした。
「それは凄いです。尊敬します」
「ありがとうございます。……でも【夜蜻蛉】のみなさんはとても優秀ですし、僕みたいに独学というのは珍しくないのでは」
「いえいえ! 少なくとも魔術師の半分くらいは学院出身の人ですよ? それか家庭教師がついてたって人も多いですし」
おお、そうなのか。
合点がいった。道理で上品な人が多いはずだ。
そもそもフィールブロンで最大かつ資産も潤沢なパーティーなんだから、選ばれるべくして選ばれたって人が多いのは当然か。
いやちょっと待て。となると。
「もしかして【夜蜻蛉】って、そういう人多かったりしますか?」
「そういう人と言いますと?」
「いやその、ほら、貴族の家系だったり」
「普通、だと思いますけど。でも壮年の実力者! みたいな人が入ってきたときは団長が他パーティーから引き抜いてくるケースが多いですね」
やはりと言うべきか。
俺は思った以上に優秀な人たちに囲まれていたらしい。
あまつさえそういう人たちを出し抜いたような形でカミラさんに「エース」だの言ってもらっている状況だったのか。
そう思うと背筋がむず痒くて、無理やり伸ばして誤魔化さざるを得なかった。
◇
ヴィム少年の働きは、思わず腕を組んで頷きたくなるほどだった。
彼を雇用した最大の意義は、本来我々が無力であるはずの階層主への対抗手段としてだ。
彼がいるだけで多くの団員が安心して歩を進められる。
委縮しないで良くなる分、素の力が発揮しやすくなる。
それだけでも十分なのだが、彼は手が空くと地図の作製、資源の開発に向けて情報収集を行ってくれる。
地上で十分に情報を集めてきてくれているので、リアルタイムで更新された情報によってさらに価値ある情報を生み出すこともある。
彼の不安症がこういう気遣いに似た効用を生み出している節はあるが、長としては有難いことこの上なかった。
最近のヴィム少年は暗い表情をしなくなったし、集団の空気という意味でもなんら悪いことはない。
むしろエースが謙虚なのは良いことだとすら言える。
『こちらハンス。団長、索敵班がモンスターを発見しました。複数です』
左方にいたハンスから伝達が入った。
『こちらカミラ。詳細を』
『多数の猿が我々に狙いをつけているようです。報告にあったモンスターで間違いないと思われます』
『わかった』
穏やかな時間も終わりか。やはりここは迷宮の最前線。一筋縄で行くわけがない。
『総員、戦闘準備。囲まれているぞ』
*
カミラさんから全体伝達が入って、一気に緊張感が増した。
【竜の翼】が存在を明らかにした「猿」のモンスター。
極めて知能が高く、連携した囲い込みの攻撃を仕掛けてくるらしい。
高い知能と連携を持つ生物が密林と戦場にいるなんてろくなことになるわけがない。
視界に映る木々や草花の裏側に恐怖が見え隠れするようになる。
俺も索敵を広げ、いかなる動きも見逃さないように注意する。
どの葉擦れが風によるもので、どの音が獣によるものか、選り分けるように探っていく。
ああ、だが、しかし。それが来なくても俺には予感があった。
ずっと聞こえないフリをしていたのだ。
それは悪いものだと直感でわかっていたから。
「હું અત્યારે જઉં છું」
ああもう、確かに聞こえる。
ずっと聞こえ続けていた。
隣のモニカさんもアーベル君もまったくそんな素振りは見せない。
頭のおかしな俺だけに聞こえる幻聴としか思えない。
これが迷宮による何かだというのはわかっていた。
でも誰にも言えなかった。
これはそういう類の、聞いてはいけない声だ。
聞くこと自体が禁忌の、罪悪感を覚えるべき声。
だけどせめて、レーダー代わりの使い方くらいはしてもいいだろう。
『こちらヴィム。恐らく、階層主がいます』