第四十話 追跡者たち①
第九十八階層が突破されたらしいという噂はすぐに広まり、フィールブロンはかつてない活気に包まれていた。
最前線の迷宮潜において最も恐れるべきは階層主の存在だ。
その階層主が早期に撃破されたということはかなりの未開拓領域を安全な状態で攻略できるということになり、多くのパーティーに好機が訪れることになる。
ギルドが階層主撃破を確認したという正式な声明を出せば、この活気は一気に最高潮へと駆け上がるだろう。
現段階では噂とはいえ、階層主を倒したヴィムに大きな注目が行くのは当然のことだ。
迷宮潜の途中ならいざ知らず、今は【夜蜻蛉】全体として戦いの傷を癒す療養期間になっている。
街中に留まっているということはヴィムに唾をつけようとする人間には好都合。
そしてここ最近、発信紋に不審な動きがある。
あのヴィムがときどき街に出かけ、あまつさえ喫茶店や居酒屋に長居しているのである。
ヴィムが【夜蜻蛉】に来てからも一度だけそういうことがあって、そのときは聞いてみても言葉を濁されただけだった。
しかしここにきて同じことが複数回起こるとさすがに疑わざるを得ない。
心配なのは盗聴石を仕込んであるいつもの上着を着ていないことだ。
それも毎度。
ここまでくればいよいよ。私も覚悟せねばならない。
──尾けるか。
◆
昼すぎに発信紋に動きがあった。
一応盗聴石の方も確認するが、一切衣擦れの音が聞こえないので恐らくいつもの上着じゃない。
反応がゲストハウスをそそくさと出て、私もそれに合わせて紺色の上着を着て部屋を出る。
裏庭が見える窓から様子を窺う。
ヴィムはキョロキョロしながら【夜蜻蛉】の裏門に向かっていた。
そして門を出ても辺りを見回して、恐らくなんでもないふうに歩きたい感じでカチコチ歩き出す。私も裏門から外に出る。
やはりいつもと服装が違う。
目立たないようにする意図であろう黒い外套。
もともと地味なヴィムの風体も相まって街中に出ればすぐ人ごみに紛れてしまいそうだ。
華美な服装でなかっただけ少しだけ安心する。
これで女である確率は減った。
可能性は三つだ。
一、やはり女。
ヴィムの貞操意識と女性への興味のなさは私も信用しているが、それでも年頃の男の子であることには変わりはない。直接関係を匂わせるほどではない要求、たとえば「食事でも」くらいは受けてもおかしくない。
二、他パーティーからの勧誘。
これが一番可能性が高い。【夜蜻蛉】の団員の目を気にするのも道理だ。
三、友人。
この可能性はほぼない。ヴィムの友人は私しかいないし、それなら誘われているはず。そして私は誘われていないのでこの可能性は排除していい。
……不審と言えば最近アーベルの方にも怪しい動きがあったな。
やけにヴィムに話しかけようとしているふうだったりとか。
まったく、同い年の同性というくらいで調子に乗らないでほしい。
ヴィムに友人ができることはもちろん喜ばしいことだが、あんまりにも距離が近かったり早かったりするのは良くない。
非常に良くない。
よく考えたら、華美な服装じゃないからと言って女の可能性を排除するのは違うんじゃないか?
ヴィムのことだ、照れてあえて地味な方向に走るかもしれないし、いやいや、あの地味な外套の下には奇想天外な服でも着ているかもしれない。
うーむ、現時点では可能性が絞り切れない。
ヴィムの場合はなまじ人間関係が希薄だから容疑者がそもそもいない。
突然降って湧いた人間関係はさすがの私も監視の範囲外だ。
ヴィムが歩くのに合わせて私もゆっくりと歩く。
人を尾けるときに注意しなければならないのは、尾ける対象以上に周りの視線だ。
人は死角の情報を死角以外の人から受け取る。
変に止まったり隠れたりすると当然浮いてしまうので、一番はたまたま向かう方向が一緒、というように偽装することだ。
そういう意味では小柄な私には向いていることではある。
変に大柄だとそもそも目立ってしまう。
「……む」
と思ったら、変に大柄なのがいる。
明らかに不審だ。新聞を読むふうを装って路地に半身を隠し、ヴィムの様子をチラチラと窺っている。
周りの反応は……いや、半々か。
大柄な男ではあるが、身のこなしはある程度自覚的らしい。
冒険者かな。少なくとも雇われた浮浪者ではなさそうだ。
うん、やるか。最悪間違ってても謝ってしまえ。
「『凍り付け』」
「うおっ!」
まず固めるのは足元。
こうしてしまえば逃げることは難しいし、凍らせる箇所も最低限で済む。
男がバランスを崩したのを支える格好で後ろに回り込む。
すかさず後ろで両手を捻り上げ、力が入らない形にまとめる。
「おい、ストーカー」
「うがっ! いてて、痛い痛い!」
力を入れて押さえ込む。
「どこのパーティーの者だこの犯罪者め。人の私事を侵害しちゃいけないって習わなかったのかい? どんな教育を受けてきたんだか。出すもんだしたっていいんだぜ、ほら、吐け」
「……ハイデマリーさん? いや、違います! 俺です! 俺! アーベルです!」
うん? 聞き覚えのある声だ。
顔を見てみれば確かに。
目の前で情けなく押さえ込まれている青年は、紛れもなく私が所属する【夜蜻蛉】の若手、アーベルだった。