第三十九話 黄昏の梟
「仮とはいえうちの団員だ。甘言で惑わすのはやめてもらおうか」
「仮なら団員じゃないよね! よろしく! ヴィム=シュトラウス君」
凄むカミラさんに対してこのリタ=ハインケスと名乗った人はあくまであっけらかんと、一歩も引かずに返した。
対抗しているというより歯牙にもかけない感じだ。
そのぱっちり開いた目から受けるのは、まさしく天真爛漫といった印象だった。
背丈は高くないどころか小さい方で俺よりも低い。
女性というよりは少女というような、さらに言えば中性的で少年のようにも見える風貌。
着ているジャケットがフィールブロンの子供が冒険者ごっこのときに着るようなそれで、しかもさっきまで迷宮にいたんじゃないかと思うくらいに汚れている。
この人が、【黄昏の梟】のリーダー?
「ヴィム少年、【黄昏の梟】は知っているな?」
「あ、はい。一応は。迷宮研究ではときどき凄い論文を出してきたりするので」
個人的な趣味の関係で知っているパーティーではある。
冒険者パーティーというよりは研究機関の一つくらいに思っていたけど。
「……君が正道を歩んできたことがわかるな。ホッとする」
カミラさんは俺を庇うように、一歩前に出た。
「情報が洩れていたということは、やはりうちの内部にもいるのか」
「んー、まあ隠しても仕方ないし、認める。そうだよ」
「参ったな、見当もつかん」
「ちなみに私もヴィム君とお話ししたことがあります! 化けてました!」
「やりたい放題ではないか……」
「一応言っとくけど、本人に自覚はあんまりないから探しても厳しいと思うよ」
「邪悪だな、本当に」
どうもこの二人には因縁があるらしい。
でも厳しい形相を保っているカミラさんと対照的に、リタという人の方は無邪気にニコニコしている。
奇妙というか、カミラさんが変に真剣になっているような印象すら受けてしまう。
「ねえいいじゃん、ヴィム君とお話しさせてよ」
「ダメだ」
「いいじゃん、賢者ちゃん譲ってあげたんだから」
「ハイデマリーは彼女自身の意思でこちらを選んだんだ。貴様は関係ない」
「わかってるくせに。彼女の冒険心は完全にこちら寄りだよ。そこのヴィム君もね。わかった! だから焦ってるんだ!」
「黙っていれば好き放題ペラペラと……」
「おーいヴィム君! いや、ヴィル=ストラトス氏とお呼びした方が良いかな!?」
その名前を呼ばれて、背筋がゾッとした。
「な、なぜそれを」
「君の論文、拝見しているよ! まだ荒いけど大変良いものだ! 私たちもモンスターを系統で区切ろうとはしてたんだけど、生育要因の特定が難しくてね。君が整理してくれたおかげで進化論への紐付けができたんだよ!」
それは俺が論文を出すときに使っているペンネームだ。
しかも内容もガッツリ把握されている。
「ヴィム少年、君の趣味と通ずるところはあるかもしれないが、惑わされるな」
カミラさんは反応してしまった俺を諌めるように言った。
「おーい! お話ししようよ! 勧誘だけじゃないよ! 迷宮の本質的な謎について──」
「耳を貸すな。あんな顔をしているがあいつは人間の屑だ。冒険心に呑まれて人の道を踏み外している。間接的とはいえ奪った命は数知れない金の亡者さ」
「む、失礼な」
「事実だろう。貴様はもはや冒険心の奴隷だよ」
「それは誉め言葉だって。金の亡者ってのが違うの! 探求にお金がかかるだけなの!」
「屑が」
カミラさんは吐き捨てるように無視して、俺の方を向いた。
「あいつは闇地図の総元締めだ。追い詰められたパーティーや物を知らない若者が、何か楽をしようと思った瞬間に【黄昏の梟】は現れる」
闇地図。
冒険者なら最初にギルドに指導される事柄の一つだ。
実のところ階層主を倒すことを考えず、開拓もしなければ迷宮の地図を作ること自体はそれほど難しくない。
話は簡単で、ある使い捨ての人員に強固な伝達魔術をかけてできるだけ遠くまで行ってこさせ、伝達された情報を地図に落とし込めばいい。
もちろん、その人員の帰還は考慮されていないので十中八九モンスターに襲われて死ぬことになる。
この類の、命を使い捨てにする方法によって作られるのが闇地図だ。
あまりに非人道的かつ人的資源を徒に消費するので冒険者ギルドでは固く禁止されている。
しかしその有用性と生み出す金の大きさから根絶が難しいのが現状。
フィールブロン最大の闇の一つだ。
「金払いは保証しよう! 頭の固い【夜蜻蛉】と違って、うちは柔軟な経営で儲けてるからね! 手広くもやってる! 資金力はフィールブロン最高さ!」
カミラさん越しに聞こえる明るい声と、今聞いたその所業の差に混乱する。
情報量が多くて整理できない。
「というわけでヴィム君、【夜蜻蛉】が二万なら【黄昏の梟】は三万出すよ」
「ならうちは四万だ」
「五万!」
「六万」
「……じゃあ、十万!」
「十一万」
「えぇー……正気なの? そこまで出したら切らなきゃいけない首があるでしょ」
「……二十万でも払うさ。釣りはくるのでな」
リタ=ハインケスはもともと丸い目をさらに丸くして、二、三歩こちらに詰めてきた。
そして俺とカミラさんの顔を交互に見比べて、言った。
「驚いた。本当に正気じゃないかも。カミラが誑かされてる。ヴィム君、君は魔法でも使ったのかい?」
カミラさんは長い脚を繰り出した。本気だった。
「わ、危ないなぁ」
「帰れ。二度と姿を見せるな」
「もうちょっとじっくり話したいんだけどなー」
「帰れ」
「仕方ない。というわけでヴィム君、私とお話ししたかったらうちに来てね!」
タッタッタ、と子供のように軽い足取りで、彼女は街の方に駆けていった。
「あっ、場所わかんないだろうけど、そんな感じの雰囲気で街中にいたら迎えに行くから!」
そして途中で振り返って、軽く手を挙げて言う。
その姿はまるで帰り際にまた明日、と友達に言う少年みたいで、微塵も暗い部分はないように見えてしまった。