第三十七話 翼破③
【竜の翼】の拡大は順調に進んでいた。
まだ承認が下りていないとはいえ、もはやAランクパーティーであるということに文句をつける奴はいなかったし、人を募ればいくらでも集まってきた。
「どうだった、ニクラ。あの十五番の子とか」
「えっと、あの赤毛の戦士の子?」
「そうそう」
「うーん、わからない。可愛い子だよね」
「そうだよな。戦力としては微妙だけど、明るくて──」
そんなときだ、【夜蜻蛉】が第九十八階層を突破したという話を聞いたのは。
聞いたのは酒場で、みんなで食事をしていた。
「おい、今の話、本当か?」
ランクの低そうな若い冒険者が二人、俺たちの後ろで話をしていた。
「……あ、クロノスさん、ども」
「どういうことだ、詳しく話してくれないか」
俺がそう言うと、二人は気まずそうな顔をした。
何かあるのか?
「俺らもよくは知らないんですけど、この前【夜蜻蛉】が大規模調査に行ったじゃないですか。その途中に階層主と遭遇したらしくて、撃破されたって」
……え?
馬鹿な、早すぎる。
第九十七階層を突破するのに三年かかってるんだ。
それよりも難易度が上がってなおかつ巨大化した第九十八階層の突破がたった数か月で行われるなんて、あるわけがない。
「確かなのか?」
「【夜蜻蛉】名物の帰還の雄叫びがあるじゃないですか。それを聞いてた人がいっぱいいて、その中で階層主が倒されたー、とかなんとか言ってたらしいです。報告書ももう出されてるみたいで」
言葉が出なかった。
俺たちが散々苦労して成し遂げた階層の突破を、大きなパーティーはこんな簡単にやってしまうものなのか。
聞けば、あいつはコネでその【夜蜻蛉】に世話になっているらしい。
大規模調査に駆り出されているのなら、あいつもその名誉の一部に与ることだろう。
くそ、ヴィムのくせに。うまくやりやがって。
こんなはずじゃなかった。
あんな役立たずは俺がいなきゃ路頭に迷うはずだった。
それがなんだ、幹部の知り合いがいたとか卑怯にもほどがある。
あいつ、あんな顔して余裕綽々で出ていきやがったんだ。
なんて不公平なんだこの世界は。
「さすが“銀髪”のカミラと言うことか。俺たちも──」
「あ、いや、どうも違うらしいんですよ。噂なんですけど、変な話があるらしくて」
「変な話?」
「どうも、階層主を倒したのは“銀髪”のカミラでも【夜蜻蛉】の誰でもなくて、同行していた冒険者らしいんです」
「は? どういうことだ。他のパーティーでもいたのか?」
「いえ、そうではなくて」
歯切れが悪い。
「はっきり言ってくれないか」
「その、仮団員の人が一人で倒したそうです。階層主を」
「一人で……? それは、どういうことなんだ?」
「その、そのまんま、です……」
仮団員? 【夜蜻蛉】に? 一人で階層主を撃破?
まったく意味がわからない。そんなことが可能な人間が──
「違う」
頭に浮かんだあいつを、振り払った。
「そんなわけないだろう、ふざけるな」
「あの……クロノスさん?」
「一人で階層主を討伐とか、そんなことあるわけないだろ! ふざけるな! そんなことを抜かしてるのは誰だ!」
「ひぃ! すいません!」
「訂正しろ! そんなことあるわけがない!」
ありえない。そんなのありえない。
俺たち【竜の翼】が倒したのですら少人数だったんだ。それを一人でなんて、おかしい。成り立たない。
「その、やめようよ、クロノス」
気付けばメーリスが俺を諫めていた。
「みんな見てるよ……?」
いつの間にか大声を出していたことに気付いた。
「すんませんクロノスさん、あくまで、噂なんで、その、失礼します!」
二人組はそそくさと酒場をあとにしてしまった。
熱くなってしまったことを自覚した。
そうだ、あくまで噂だ。事実じゃない。落ち着こう。
「ごめんみんな。熱くなった。参ったな、最近どうも気が短くなってるらしい。はは」
テーブルに座り直して食事を再開するけど、雰囲気は戻らない。
忌々しい空気が立ち込めていた。
問題は何もないはずだ。
俺たちはじきにAランクに昇格し、栄誉と報奨金を得る。
もともと貯金は自然にできていたし、パーティーの立て直しの猶予はいくらでもある。
「ゆっくりやろうよ。これだけ突破が早いなら、未開拓領域もまだ残ってるはずだし」
ニクラが落ち着いた声で言う。
「そうですよクロノスさん。人数を増やすんですから、パーティーを軌道に乗せるのが第一です」
ソフィーアも言う。
「ああ、そう、だな……」
そうだ。それが正論だ。
でも【夜蜻蛉】が第九十八階層を突破したことが事実なら、俺たちが第九十七階層を突破したことの意味が薄れる。
俺たちは「最前線で成果を挙げたパーティー」ではなくなってしまう。
それじゃまるで、俺があいつに──
「いや、行こう、第九十九階層に。戦力と金はいくらでもある」
そんなの、許されない。