第三話 迷宮の秘め事
発信紋の反応が【竜の翼】のパーティーハウスの外に出て、初心者向けの安宿で止まったものだから、何事かと思った。
急いで盗聴石を起動し、パーティーハウス内の会話を再生することにした。
「失せろ、クズが」
そう聞こえて、私は愕然とした。
あのゴミならやりかねないか。
ああもう、だから【竜の翼】なんぞに私のヴィムを預けておくのは反対だったんだ。
ヴィムがそう望んだとはいえ、これじゃあまりに仕打ちが酷すぎる。
ヴィムは『泊まり枝』に向かっているようだった。
ヤケ酒でも始めるつもりなのだろうか、とにかく、私は部屋を出て一直線にヴィムの下へ向かった。
「ヴィム!」
『泊まり枝』の扉を開けて見えたヴィムは、とても弱っていた。
陰気臭い顔に曲がった背筋……はいつも通りか。いやそれがいっそう酷くなっている。
移民の血筋だとわかる黒髪は、こうなってみれば妙に合ってしまう取り合わせだ。機能性を重視して短髪にしているのも表情が見えてかえって逆効果。
我ながら酷い表現をするが、小物臭が半端じゃない。
漂う郷愁と自虐の空気が禍々しく、何も知らない子供でも一目見て話しかけてはいけないとわかる。
ああ、もう、昔のことを思い出す。
あんなヴィムは二度と見たくなかったのに。そうならないよう頑張ろうって誓ったのに。
「いらっしゃい!……あら、ストーカーのスーちゃんじゃないですか」
「うるさい牛娘、じゃなくてだね」
乳ばかりデカい牛娘が出迎えてきやがったので、一蹴してやった。
「ヴィム! えっと、その、なんというか、大丈夫かい」
*
こういうとき、気心の知れている友人というのは有難かった。
ハイデマリーは故郷のリョーリフェルドにいたときからカラッとしてる気持ちが良いやつなので、湿っぽくなったり、過度に同情してくれたりはしないので楽に愚痴を零せた。
彼女は黙って、隣でモグモグと蒸した馬鈴薯を頬張りながら聞き手に徹してくれた。
「引き継ぎの時間もくれなかったからさぁ。一応、必要書類は置いてきたから大丈夫だとは思うんだけど、ソフィーアさんが雑用の仕事をやってたかって言うとそうじゃないっぽいし。まあ誰にでもできることだから慣れるまでは分担すれば」
「ソフィーア? ヴィムの代わりに入った子?」
「うん。長耳族の子で、凄い美人さん」
「ああ、クロノスの女か」
「そういうこと言うもんじゃないって。まあ多分そうだけど」
麦酒を呷る。
そういえば、俺の部屋だけ三人とは引き離されてたんだよな。
ときどきあまり健全とは言えない空気を察したもんだが、あれはそういうことだったのだろうか。
俺がいなくなれば、男一女三のパーティーになるわけで、女性陣は気兼ねなくクロノスにアピールできるようになるわけだ。
……そっちの方がみんな幸せそうだな。
「……ふへへ」
思えば、なんでもかんでも蚊帳の外だったなぁ。
いや、恋愛のゴタゴタに巻き込まれたかったわけじゃないんだけどさ。
でも、もうちょっと信頼関係を築けていれば、こんなことにもならなかったかもしれないって思うとな。
ふと見ると、ハイデマリーが丸い目をしていた。
「戻したの、それ」
ん?
「笑い方」
「あっ、ごめん、気持ち悪かったよな」
「……いや、私は好きだよ、その笑い方。ヴィムっぽくて。矯正されたときは寂しかった」
「なんだいそりゃ。淑女があんまり男に好きとか言うもんじゃないって。勘違いしたらどうすんの」
「してもいいよ」
「よせやい」
有難いなぁ。本当に。
酔いが回ってきて、頭がふわふわしてきた。
気持ち良くなったとか落ち込んだとかじゃなくて、ボーッとしてきた。そのまま視線も泳ぐ。
壁に掛かっている綴織が見えた。この国では居酒屋に一枚ある、その店の象徴みたいなもの。
フィールブロンの感じじゃないから、違う国、多分北の方の国の絵だと思う。
青い糸で綴られた波立つ海から、白いトカゲの頭みたいなものと尻尾が出て、二本の指を突き合わせるように向かい合っている。
何回か来ている店なのに、あんな綴織があったなんて知らなかったな。
「……で、そろそろ私からも聞いていいかい」
しばらくして、彼女はそう切り返してきた。
「なぜ、階層主を倒したヴィムがクビ、なんて話になったのさ」
「ぶほっ」
いきなり核心を突かれて、というか伏せていたことを看破されて咽た。
「どうしました?」
グレーテさんが反応する。
「な、なんの話かな」
「いったい何年の付き合いだと思ってるんだい。話が妙に辿々しいしときどき詰まってたぜ」
「いやいや、止めを刺したことかな……? なんて。ほら、俺たち【竜の翼】はクロノスを中心に一致団結して奇跡的に……」
「見苦しいよヴィム。君におんぶ抱っこのクロノスたちが階層主討伐なんかできるわけないだろう。君一人で倒したに決まってる」
「いやいやほんと何言ってんだよ。階層主だぞ。一人で倒すなんてそんな」
「……まあ、迷宮の秘め事を知っているのは神様とそのパーティーだけだからね。私がどう言ったところでヴィムがそう言い張る限り、証明することは難しいんだけど」
ハイデマリーは遠い目をした。
「でも、推測くらいは利くさ。私はヴィムのことならなんでも知ってるんだ」
まっすぐに瞳を見つめられて、二の句が継げなくなった。
「……火事場の馬鹿力って、やつだと、思う、うん」