第三十五話 ギルドマスター
病院の一階の応接間にて、俺はギルドマスターと対面していた。
ギルドマスターの名はゴットヘルフ=クノッヘンハウアー。
人呼んで“金剛石”のゴットヘルフ。
かつて巨大な戦鎚を得物に迷宮を開拓した、伝説の御仁である。
冒険者なら知らぬ者はいないというか、冒険者の象徴みたいな人なので、当然俺も知っている。
公の場に何度も姿を現しているし、とにかく背丈も肩幅も桁外れに大きいので目立つことこの上ない。
応接間の二人掛けのソファーでも大きさが足りておらず、半ばしゃがむような形で俺の前にお座りになられている。
怖い。マジ怖い。カミラさんの数倍の圧迫感を四方八方から押し付けられている感じ。
「ヴィム=シュトラウス殿、ヴィム殿とお呼びすれば良いかな?」
俺の頭を丸呑みできそうなほど太い首。
くっきり見える喉仏が震えて、深くて低い声が俺の心臓にまで響く。
「ひっ……」
ダメだ声が出ない。
用があるなら然るべき書面にて文字を介して意思疎通をお願いしたい。
しかしそんなの通らない。
一介の冒険者である俺からすればギルドマスターなんて雲の上のお人である。
俺の体を気遣ってわざわざこちらまで出向いてくれたというのに追い返すわけにはいかない。
「ぁ、ぁの、……」
「はっはっは、物静かな方とは聞き及んでおりましたが、そう緊張なされるな。何も責め立てにきたわけでもあるまいて」
恰幅の良い体が揺れ、振動がこちらまで伝わってくる。
親しげにしようとしてくださっているのはわかるので、俺もなんとかして緊張を解くように頑張る。
「階層主撃破のお祝いと、お礼を申し上げにきたにすぎませぬ。あと少しの確認がありましてな」
「……ぉの、それは、どうも、ありがとうございます」
ギルドマスターは大きな両手を開いて手のひらを見せつつ、言った。
「これにて第九十八階層は突破され、新たな階層への扉が開かれました。冒険者たちも新たな期待を胸に迷宮に向かうことができるでしょう。本当に大きな前進です」
その老いた目は未だに爛々と輝いており、俺の目を真正面から射貫く。
逸らすことができない。
「その第九十八階層の階層主を一人で倒した功労者となれば、出向かないわけにはいきませぬ。本当によくやってくださった」
一人?
「……その、一人、とは? その、【夜蜻蛉】全体で倒したのであって」
俺がそう言うと、ギルドマスターは丸い目をして、笑った。
「はっはっは! なるほど、ヴィム殿、あなたはカミラの言う通りの御仁であったか!」
膝を叩きながら大笑いをしている。床が軋む。
「形態変化を引き出し、その上で一人で撃破となればそれはもう単独も同然です。カミラも、【夜蜻蛉】全体の総意としてそのような報告書を提出しております。なのでヴィム殿、あとはあなたが認めるだけです」
「それはその、なんというか、違うような、その」
「正当な評価です。受け取ってくだされ。つきましては踏破祭の授与式にも出席していただき、賞金も受け取っていただくことになりまする」
踏破祭。
その単語を聞いて、唾を呑んだ。
迷宮の階層主を倒し、次の階層への道が開かれたときに行われるフィールブロン最大の祝祭。
その階層の踏破に貢献した冒険者が、最高の名誉に与れる瞬間。
そうだ、あまりにも俺と距離があることだから頭から抜けていた。
階層主を倒すということは、本来そのくらいのことだ。
「異例のことですが、第九十七階層が突破された直後ですので二階層分まとめて執り行うことになります。フィールブロン史上最大の規模になるでしょう。存分に期待に胸を膨らませていただいて構いませんぞ」
そんなことを言われると、どうしても少しくらいは夢想してしまう。
ああもう、頭が追い付かない。
まず報告書についてカミラさんに確認するべきだろう。
そして然るべき修正を加えてもらって……
「ヴィム殿。異例のことなのです。本当に、異例のことなのですよ」
俺があれこれ足りない頭を回そうとしていると、ギルドマスターの声色が変わった。
少しではあったが明確な変化で、先ほどまでの気の良い声に、真剣なものが混じった。
「数年ぶりに、それもたった四人で第九十七階層の階層主を倒した【竜の翼】。その直後、わずか数か月で第九十八階層の階層主が撃破された。その階層主を倒したのはたった一人の冒険者で、【竜の翼】を追放されている」
これが本題だということはすぐにわかった。
「ヴィム殿、何も疑うなという方が無理があるでしょう」
ギルドマスターはその大きな体躯で、俺の内側に踏み込もうとしていた。