第二十七話 心の声を聞け
決まった、と思った。でも階層主はあの一撃を躱した。
あの巨体で動けるわけがないと思っていた。
けど違った。体を絞るかのように、何か水のようなものを撃ち出して、反動で横に跳んだ。
完全に予想と違う挙動だった。
渾身の一撃を放ったカミラさんには大きな隙ができていた。
見逃す階層主じゃない。
少しゆらっと揺れて、あらゆる攻撃が為された。
カミラさんを脅威とみなしていたということがよくわかる、徹底的な攻撃。
防御するのが精一杯で、その防御も間に合わなかった。
カミラさんはあらゆる箇所を打たれて、転がった。水切りのように水面を数度跳ねて、沈んだ。
「カミラさん!」
体が先に動いていた。
負傷者はハイデマリーに任せた。
「『瞬間増強・三倍がけ』」
カミラさんだけは失うわけにはいかないと、本能が告げていた。
成功率とか言ってる場合じゃない。
全身を強化して魔力消費も無視して救出した。追撃が背中に迫っていた。
大きな体躯を肩に担いだ。
女性なんだからお姫様抱っこにでもできれば良かったが、そんなの甲斐性が追いつかない。
「アーベル君! 防御を!」
目に映ったアーベル君に叫んだ。目が合った。意図が通った。
「術師ヴィムの付与を承認する!」
「付与済み!」
アーベル君の背後に飛び込んだ。
一秒経っても攻撃が来ない。彼がすべて弾いてくれていた。
「ヴィムさん! 保たせます!」
カミラさんを下ろす。
「大丈夫ですか! 聞こえますか!」
「……ヴィム、少年か。逃げろ。犠牲は気にせず、逃げろ」
意識ははっきりしているが、身体中の骨が折れているのがわかる。
カミラさんだから目を開けていられるだけで、普通の人ならとっくに死んでいる。
「誰が……残っている?」
力ない声に、罪悪感が募る。
誰も、誰も逃げられてない。
そんな力は誰にもなかった。迫りくる触手と負傷者の救出で精一杯で、命を賭して稼いだ時間に見合う働きなんて、とてもできちゃいなかった。
「みんな、います。逃げられませんでした」
「そうか……」
「まだ誰も死んでません。みんなで帰ります」
「はは……若いな。いいかヴィム少年、私みたいな負傷者は置いていけ。若い者と元気なものだけ、散開して……逃げろ」
「そんな」
「周りを見ろ、馬鹿者」
みんな、まだ、必死に耐えていた。
勝機なんてない。生き残る算段なんてない。
しかしみんな、必死に触手を弾いて、生き残ろうとしていた。
「君の強化があれば、私も肉壁くらいにはなれる。頼む、大きな骨さえ固定してくれたらいい。私、カミラは術師ヴィムの付与を承認する」
カミラさんは立ち上がる。
屈強な肉体は、今際の際でも生命に溢れている。
何を躊躇っているんだ、俺は。
俺なんかよりもよっぽどカミラさんと長くいた人たちが、歯を食いしばって耐えている。
新参者の俺が泣き喚くなんて滑稽なだけだ。
むしろ失礼だ。冒険者の矜持を汚している。
ほら、みんな強い顔をしている。覚悟を決めている。これは誇りなんだ。
言い聞かせる。
迷っているだけでも貴重な時間の浪費。カミラさんの命を無駄にしている。
なんて優柔不断な馬鹿だと自分を罵倒する。
でも、止められない。
ハイデマリーに言われたからか?いや違う。俺だ。俺がそう思っている。
心の声が叫ぶのを止められない。
いつもは抑え込めていたはずなのに、止まらない。
嫌だ。そんなの絶対嫌だ。受け入れたくない。認めたくない。
違う、と、心は叫んでいる。
これは、絶望だ。
みんな薄々わかっている。
ここに来て階層主は想定をさらに超えてきた。
今、たくさんの仲間を犠牲にしてもきっと俺たちのさらに大半が死ぬ。
【夜蜻蛉】は潰れていいパーティーじゃない。
カミラさんは死んでいい人じゃない。
守らないといけない。俺が何万回死んだって贖えない、素敵な人たちだ。立派な人たちだ。
カミラさんは【夜蜻蛉】全員で帰ると言った。そしてそれは不可能になったと覆した。
でもそれは間違いだ。
だって俺だけはまだ、【夜蜻蛉】の団員じゃない。
『みなさん!』
まだ一つ、道が残っている。
『こちらヴィム、です。その、ごめんなさい。命令違反します』
全体伝達でみんなに呼びかける。
『僕が階層主を食い止めます。みなさんはできるだけ防御に集中してください。そして隙を見て撤退してください』
「ヴィム少年! 君は何を!」
「『停滞』」
カミラさんの強化を打ち切り、逆強化をかけた。
承認宣言はこういうふうに悪用できる。
何が起こったかわからないという顔で、カミラさんはその場で躓いた。
「あいつを食い止めるのは、俺です」
全員が困惑していた。
カミラさんは逆強化の効果で動けなくなっていて、驚きのあまり、怒りとか、そんな感情を超えていたようにも見えた。
我ながら大胆なことをする。
もう取り返しがつかない。まあ大丈夫、【夜蜻蛉】にそこまで不利益はないだろう。
失敗したとしても多少の時間は稼げるはずだ。
頭のネジが緩んだかな。
なんでだろう、こういう不規則な行動は嫌いなタチなんだけど。
ああ、そっか。
好きに生きていいって、言ってくれたからか。