第二十五話 迷宮の理不尽
半分以上の人が倒れていた。
カミラさんや盾役の周りの人がそれぞれ数名無事。
なんとか立っている人も相当なダメージを負っている。
触手の雨は止んでいた。
それでも俺たちを休ませないよう、攻撃は断続的に繰り出されている。
目の前の光景が信じられなかった。
最悪の事態は想定していた。覚悟をした上でここまで進んだ。
戦力と訓練は十分、これ以上の状態で臨むとすれば、それは何十年かぶりの冒険者ギルド総出の討伐計画みたいな規模だ。
それでも、このザマだ。
これが迷宮の理不尽。
想定なんて意味を為さない。
もう全員揃っての帰還とかそういう話じゃなかった。
相手が強すぎた。今までの階層主とは比べ物にならない。
俺にできることなんて何もなかった。
最初に階層主に遭遇した集団は壊滅する、そういう階層だった。
『──ヴィム少年』
カミラさんから、声がかかった。
◇
『君はまだ【夜蜻蛉】の団員ではない。君ならここからでも一人で脱出できるだろうし、それを実行したとて咎める者は誰もいない。その上で、お願いを聞いてはくれないか』
私は意地の悪い誠実さでヴィム少年に迫っていた。
『……酷いですよカミラさん。そんな、そんな真似、できないです』
『すまない』
大きな油断をしていたとは思わない。
誰かが最初にこの階層で犠牲にならねばわからないことだった。
それが我々であったのは一つの誇りだし、迷宮の理不尽は我々を簡単に殺す。そういうものだ。
だが長として、責任は取らねばならない。
『全員の帰還はもはや不可能だ。犠牲が出る前提でいく。核は君と私だ。聞いてくれ』
『はい』
『私にありったけの強化をかけろ。私がこいつを倒す。援護は不要だ。三人一組で小隊を作り、耐えて、隙を見て散開しろ。できれば全員に君が脱出経路を提示してくれ』
『ちょっと待ってください、それは』
『責任を取らせてほしい。大丈夫だ、夜蜻蛉には優秀な人材がたくさんいる。君も知っているだろう』
『でも』
『ハイデマリーにアーベル、それに君にも加わってもらえれば、未来も安泰だ。そうだな、君たちが三人一組で行くか』
『カミラさん!』
『お願いだ。私、カミラは、術師ヴィムの付与を承認する』
返答はすぐには来なかった。
だけど、力が湧いてきた。ヴィム少年との通り道ができたのだ。
『……付与済みです』
その言葉を聞けば百人力だ。
階層主に向き直る。
なんて巨大で忌々しい。
人間を心底見下して、踏み躙る対象としかみなしていない。
移動しないくせに蠢く全身が、まるで私たちを煽っているようだ。
喉を動かして唾を飲み込む。
私は今からこいつと一対一で対峙する。勝算なんて立っているはずもない。
いや、違うか。立っていないのは負けの方の算段だ。
私はこの状況に至って自分を犠牲にする覚悟を決めても、心のどこかで戦いそのものに希望を見出している。
それは勝利の予感か、いや、これも違うな。
『総員、傾注』
最期の言葉だ。
『命令だ。私がこの階層主と戦う。負傷者を助けたら三人一組になり、その間耐えてくれ。できれば隙を見つけて、一人でも多くこの場を脱出するんだ。道はヴィム少年に任せてある』
言い捨てるように、ヴィム少年以外との伝達を遮断する。
皆の声が聞きたい感傷もあったが、ただでさえ記憶が巻き戻っている。
これ以上は戦闘に支障をきたしそうだ。蓋をしないといけない。
そう考えて思考を落ち着けていると、自分の中に不思議な感覚を見つけた。
どうやら、肩が軽くなったらしい。荷が降りたようですらある。
「私は戦士カミラ! この階層の主とお見受けする! 勝手ながらその命、刈らせていただきたく!」
はは、我ながらなんと馬鹿なことを。
挑発に応えるように繰り出される触手。複数方向。
大きく空間を迂回して私の左右を狙う触手が最初に繰り出され、続いて正面に五本。
防御できないよう、わざわざ同時に着弾するようにしている。
しかし、そんなもの。
「『応えろ、大首落とし』」
相棒が応える。
袈裟に斬る間にいくつか寄り道をして、五本同時に斬り落とす。
続けて上半身で三日月を描くように切り上げる。
相棒は十分に伸び、曲がり、しなり、分かれ、その間に迫り来る触手をすべて弾き返す。
再び構える暇もなく、今度は上から多数。
助走をつけての大振りは許してくれないらしい。引き付けるので限界か。
「上等!」
刃を鎌に変形。
頭の上で大きく回して刈る。切り裂いてしまえばただの落下する気味の悪い肉塊になる。
ああ、体がよく動く。
ヴィム少年の強化とはいえ無理に出力を上げているから、動きと感覚は一致していない。
しかし問題ない。
今の私にはむしろそのズレが心地良い。
私が昇る場所が残されているようで、疲れなんて考えないでいくらでも上がっていける。
高揚していた。これは本当に私か?
あの燻っていた私なのか?
「そんなものかぁ!?」
まだだ。まだ十分に引きつけていない。
触手を弾き、斬り捨てながら階層主へ一歩、また一歩と近づいていく。
それに伴って襲いくる触手の量も増える。
まだだ、まだやれる。
どんどん動く。もう防御一辺倒じゃなくていい。
攻撃を待つんじゃなくて自分から動こう。触手を全部斬り落とす。そして本体を叩き斬る。
試しに前に跳んでみたら触手の狙いがズレた。
背後に回し斬り。
すると全部斬れた。いける。まだ、まだ対等に戦える。
もっと、もっと、もっとだ。