第百三話 洞
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洞は、言わば屋内のはずなのに、外の密林よりも明るく、だだっ広い円形の大広間になっていた。
床も壁も植物の内側らしく、目に優しい薄緑色で、硬そうではあるものの、多くの水分を含んでいるように見える。噛んでみたらきっとシャキシャキしていると思う。
中に足を踏み入れると、土の匂いがふっと消えて、未成熟な木の瑞々しさが香った。靴の裏から伝わってくる感触は、落ち葉の塊よりも反発感があった。
明るさの理由を探して方々に目を遣ったけれど、単一の光源は見つからない。見上げれば壁は柱状に沿って、見えないくらい遥か上まで続いており、どこからか日光が入って、それが壁で散乱するなり、吸収されるなりして、仄かに明るく見えるのだと想像する。
「ハイデマリー!」
カミラさんの声が後ろから聞こえてきて、広間に木霊した。彼女に続いて団員達も入ってきて、すぐに宝物庫は騒がしい感嘆の反響でいっぱいになった。
ここはまるで、密林の神秘の源のようだった。
毒にもなりそうなくらいの生命力が満ち満ちていて、かえって生物が生きていられないくらいの濃度がある。
ほどなくして、ある声が上がった
「宝はどこだ!?」
確かに、それは疑問点だった。宝物庫のはずなのに、宝物がないのである。この空間は何もなくただ均一に広がっているのみで、ざっと見渡した限り床も壁も植物でできているようなので、鉱脈になりそうなものもない。
困惑する団員達を、カミラさんがまとめた。
「休憩も兼ねて探索ということにしよう。それらしきものが見つかったら報告してくれ」
【夜蜻蛉】の各々が、この洞の広場に散開して、好きに探り始めた。中にはぼうっと天井を見つめて、この神秘に呆けている者もいる。
私はカミラさんと一緒に、壁に沿って半時計回りに進んで行くことにした。
「宝物庫に宝物がないだなんて、あり得ると思うか」
カミラさんは言った。
「……あり得ない、とは言えません」
迷宮に常識や、蓄積した経験は通じない。頑張った分だけ宝があるはずだ、などという願望に基づいた法則は存在しないと言っていいだろう。
「そうだな。それが厄介だ。何も言いきれないし、なんの証明もできない」
「しかし、もしも何もないのなら、それはそれで意義を求めます」
「意義?」
「はい。第九十八階層の構造がそうだったように、空があるなら雨降るし、窪んだ地形があるならそこには水を溜める。迷宮には、為すことも為さないことも含めて意義がある」
「確かに、迷宮が意義のないことをしてくると聞くと、違和感は覚えるが」
個人的にカミラさんの物言いが、どこかに引っかかった。
同時に、まさにそのなぞっていた壁という存在の違和感にも行きついた。
私はふと壁の前に向かって立ち、掌をかざして、目を閉じた。
「『解析』」
この洞を作り出している壁そのものを解析にかける。ここで見るのは構造だ。解析の基本原理は魔力の波を反射させて感知することなので、技術次第で魔力波の波長の限界まで分解能を高めて構造を解析できる。
普通の木材なら、死んだ細胞の細胞壁のみ残った中空構造が見られるはずだ。この薄緑色の壁が樹木の生きている部分なら、活動している細胞が見えるかもしれない、という予想が立つくらい。
だが、返ってきた魔力波が映し出したものは、私の想像と別の意味でまったく違っていた。
「なにこれ」
壁の細胞は生きて活動していた。それどころかすべてまったく同じ形の正六角形を取り、網目状に隣り合って広がって、積層していたのである。
自然界に存在しているとは思えない、不自然な規則性だった。
解析を終えて目を開ける。
親指をグッと人差し指の側面で固定して立て、爪で壁を刺してみると、容易に傷跡をつけることができた。
カミラさんがその様子を見て、問うてきた。
「何かわかったか」
「……おそらく、この洞を構成する樹自体が何かしらの特性を有する素材です」
「素材? 加工できるということか」
「はい。切り出した後、加熱するとか、干して水分を抜いたりするのかな」
先ほどの戦闘を思い返しながら、続ける。
「この樹の樹皮はカミラさんの大首落としでも斬れませんでした。ですから、加工した後にはそのくらいの硬度を持つ構造物ができると思います」
「……なるほど」
カミラさんはしばらく考え、その脅威性を実感したあとに口を開いた。
「つまり、通常の木材と同程度以上には加工しやすく、軽量であるのに、兵器を通さぬほど頑強であると?」
「そう、いうことになります」
「……迷宮からの贈り物か」
宝物庫でこのように突飛な物が見つかるのは、今までの階層でも時たま見られたことではあるらしい。当時の技術の一歩先にあった機構や素材が発見されて、文明そのものの水準が一段押し上げられる。
これはまるで、意思を持った迷宮という存在が、機を見計らって人類という総体に贈ったようだったそうだ。
さっきのカミラさんの言葉の引っかかりがわかった。彼女は、いや、私たちフィールブロンの冒険者はこの迷宮を意思のある存在だと認識して、それを必死に汲み取ろうとしてきた。
この擬人化にはきっと本質的な意味がある。今の私にはそれが体感できる。
そのとき、まっすぐ洞の奥に向かった団員たちの方で動きがあった。
「団長! 向こう側の壁で」
声を上げたのはハンスさんだ。彼と、周りの団員たちが指を差しているその先に、煌々と光る幾何学模様がある。
私の目にはそれが、なんとも蠱惑的な光に映った。
ああ──
「転送陣が見つかりました!」
──頭痛がする。