第百一話 密林の雹
ぎゃあ、ぎゃあという鳴き声が絶えず飛び交い、その中を剣士たちの怒号が斬り裂く。息が吐かれ、高められた腹圧は斬撃に繋がって、直後に骨が砕け、今度は痛々しい悲鳴が上がる。
『こちらアーベル! 十体強、そちらに行きます!』
『こちらハイデマリー。了解した』
一々聞いていられないから、伝達魔術に集中して音を遮断する。
報告の通り、猿のモンスターがやってきた。
杖を変形させ、端を持って最大トルクでぶん回し、猿の頭を殴って飛ばす。体が振れて右肩が前にせり出し、捻り戻すまでが隙に映るから、またたくさんの猿が飛びついてくる。
そこを氷で迎え撃つ。膝下に拳大の氷塊を六角形の頂点に配置し、力場をたわませて位置エネルギーを溜めた。
このとき注意するのは、攻撃が絶対に味方に当たらないようにすること。
「マルクさん! いける!?」
「あ、ああ!」
マルクさんが盾を構えるのと同時に氷塊を短く強く撃ち出せば、威勢の良かった猿たちに見事に的中し、彼らは鈍い音を立てて転がった。
一瞬だけ、うるささの根源の猿たちがいた空間にぽっかりと穴が空いたような静寂が訪れる。でもそこにはすぐ前衛が入って、金属音と粗い息、そしてまた新たに繰り出てきた猿たちが埋める。
混戦状態である。陣形の中央にいる私にすら敵は辿り着いている。
第九十九階層の最深部、真っ白い巨木の森。
平時に来ればさぞ荘厳な景色なのだろうけども、戦場と化している今は、白い幹より黒い猿のほうが視界を埋め尽くしてしまっていた。
階層主は倒され、話の上でなら安全に攻略できるはずなのにこのザマだ。どれだけヴィムに依存した攻略だったのか、後々になって痛感する。
ただ、これでもかなり戦えている方だ。一体一体が強くない分、忙しくても絶体絶命の危機には陥らない。
猿どもを叩き、撃ちながら、索敵班に伝達を繋げた。
『ベティーナ! こちらハイデマリー! 敵が最も多いのは!?』
『二時……半の方向です!』
『出所なの!?』
『おそらくは!』
次は前線で指揮をとっているカミラさんに繋げた。
『こちらハイデマリー。カミラさん、作戦の提案です』
『こちらカミラ。どうした?』
『二時半の方向を大首落としで一発、突いてください』
『距離は』
『どこまでも』
『意図は』
『陽動になるはずなので、その後に私が範囲攻撃でこいつらを一掃します』
『……了解した。指揮は任せていいか』
『もちろんです』
耳元でぶつっと一旦切れて、雑音が多い通信──幹部用の全体伝達に切り替わる。
『総員傾注! こちらカミラ! これより連携に入るため、一時的に指揮権をハイデマリーに委譲する!』
私も続けて全体伝達に変える。先行するカミラさんの背中を見送って、叫んだ。
『こちらハイデマリー! たった今指揮権を引き受けた! 今からカミラさんがデカいのを二時半の方向に叩き込む! その後におそらく、大群が来る!』
前衛部隊も少し先行し、カミラさんの足元を固める。そのまま彼女は跳び上がって、屹立する大樹の幹に対して垂直にしゃがみ、片手を着いて貼りついた。
……どうやってるんだろう、あれ。
気合だ、多分。
カミラさんは膝を曲げてから伸ばし、空中に躍り出る。おもむろな跳躍で、自由落下しているはずなのに傍目にもゆっくりに見えた。
止まっているのに躍動感のある姿勢だった。左腕を前に、大首落としを持つ手は弦を引くように曲げ、空を蹴るべく準備された右脚には万力が溜まっている。
構えられた刀身が二次元に広がって、凝縮した光となって瞬いた。
カミラさんは腕を伸ばすと同時に呟く。
「『磔』」
二次元に広がっていた光の残り一軸、二時半の方向に極太の刃が突き抜ける。剣尖が纏った空気が圧縮されて唸り、風圧が震えてビリビリと鳴る。
もはや剣技とは別の、大首落としを使った遠距離攻撃。
言うなれば質量を持って打ち出される光の束である。
光は森の闇を斬り裂いてぐんぐん伸び、奥で地響きが鳴る。何かが砕けた音がする。
猿どもの動きが一瞬止まった。
遅れて振動が伝搬してきて、隣の巨木が揺れる。
一撃を放ったカミラさんは反作用で後方に戻り、樹の幹に張り付き直して、前方を睨みつつ片手を耳に当てた。
『こちらカミラ。何かに当たったが、とても斬れん。感触は……壁か? 肉ではなく、岩でもない。材木のような弾性があり、そして、微細な振動を感じた』
『こちらハイデマリー。了解です。その振動はおそらく──』
その瞬間、新たな通信が入った。
『こちらジーモン! 報告! 敵、同様の猿が、十、五十、二百、五百体以上! 二時半の方向から!』
カミラさんが刺した森の奥から黒い大量の粒が、まるで軍隊蟻のように湧き出て現れる。あんまりにも数が多くておびただしいから遠近感が狂って、何か非現実的な光景なんじゃないかと思い込みたくなってしまうけれど、間違えようはない。黒い粒の中に光る双眸と、獰猛な白い牙。
あれも全部、猿だ。
最初の波はまばらに思えた。団員一人あたりおよそ二体か三体が加わって、ここまではまだ個体に区別をつけ、余裕をもって対処するような算段が想起された。
しかし次の瞬間、個々を判別しようもないくらいの大量の猿がなだれ込んできて、間合いがすべて埋め尽くされ、視界が埋まった。
各々が小さな傷を受け入れ、屈みながら盾、剣、杖を振り回し、骨と内臓を守る。
得物が何かを殴ったのか、自分の足が何に対して踏ん張ったのか判別がつかない。耳の傍で何かが通り過ぎる音がする。
私は全体伝達を繋ぎ直し、叫ぶ。
『全員、耐えろ! 三十秒間、敵を引き付けながら戊の陣を張れ!』
敵の密度はどんどん増していく。猿たちはもはや連携していない。これは嵐で、圧倒的な数の奔流だった。
団員たちは無我夢中で踏ん張る。その上で指示通り、懸命に陣形が構築され始める。
何度も練習した新陣形だった。私を中心にして五人を一組に、盾役を先頭に放射状に構えてもらう。
盾を構えるのは、私に向かって。
頃合いだ。
『総員傾注! こちらハイデマリー! どうか殺されてくれるなよ!』
奔流の一縷の隙間に潜り込み、杖を掲げた。
どこからともなく巨木を伝って、蛇のように氷の蔓が現れる。蔓は幹と幹を結びながら成長し、それから私の頭上の一点に向かって急速に伸び、衝突する。
破砕音がする。毛糸の塊のように蔓が絡まって圧縮され、また衝突してを繰り返してぐぐっと丸まり、人の頭ほどの正二十面体が宙に浮く。
その各面の中央には、棘の芽が生えていた。
「──『雹丹』」
棘が伸びて、まず二十体の猿を貫いた。貫いた棘の先は敵を察知し、血を吸って二つの棘に分かれ、四十本になる。そしてそのすべてが敵を察知し、また貫いて、八十本に分裂する。
さらに貫いて百六十、それから三百二十、六百四十と二の累乗倍に膨らみながら、すべてを串刺しにし続ける。最終的な分裂回数は七回。棘は二千五百六十本。
白い幹に、幾何学的に伸びる氷の棘、それに串刺しにされる二千五百体の猿たち。
嵐は収束し、森は静止していた。
団員の一人が腰を抜かして尻もちをつき、時間が動き始めた。魔術を解くと氷の棘が弾け、微細な結晶となって降り注いだ。
『誰か、刺されてない?』
前後左右に振り向きながら確認する。
一周を確認し終わり、気を抜いて前衛を向くと、氷晶が降り注ぐ森の闇の中、輝く銀髪が浮かび出た。
「こちらカミラ。……私の図体でも大丈夫だったよ」
カミラさんは伝達を解き、微笑みながら肉声で答えた。