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第百話 迷惑千万



 ヴィムさまがいなくなってからの日常が、最近ちょっと変わりつつある。


 普段よりちょっと早め、まだお日さまが全部は沈みきっていなくて、でこぼこの影が斜めに伸びている石畳を歩く。お店も開き始めたころで、顔見知りになった店主のおじさん、おばさん、それとお客さんたちが、ラウラちゃーん! と声をかけてくれた。


 そうしていつもの道を三度曲がると、見えた。泊まり枝だ。お店の前まで行って、扉に両手を置いて、えいや、と押して開く。


「こんばんはー!」


「あ、ラウラちゃん、いらっしゃーい!」


 挨拶をすると、グレーテさんがカウンターの中からいつものように私を呼んでくれた。


 私は頭を下げながら、カウンター席の一番奥の方に目を遣る。


「……お、来たね、ラウラ」


 やっぱり、そこにはスーちゃんが座っていた。


 つい最近までのスーちゃんならもう酔っぱらっていて、延々と管を巻いているころだ。私の用事というのも、夜ご飯を食べながらスーちゃんの話を聞いて、そのあと酔い潰れたスーちゃんを背負って家に帰るということのはずだった。


 でも、最近のスーちゃんは違う。まだお酒は飲んでいなくて、それどころか紙束を片手に持ち、もう片方の手にペンを持って手元の紙に何やら書き込み続けている。


 スーちゃんの隣の席にはたくさんの空になった背の高いグラス──たぶんパフェとかが入っていたんだと思う、とか、サラダとかお肉があったらしい木の食器が積んであってあった。


 私はその食器だらけの席に座って、紙束にむかってうんうん唸っているスーちゃんに聞いた。


「今日は何やってるの?」


「……会計の処理だね。半年分のやつ」


「相談役ってそういうこともやるの?」


「あいつがどこまで何をやってたかわからないからさぁ……あと、文字とか計算の手癖とかでヴィムだってわかる人間じゃないといけなくて」


「……へー」


「ほら、ここ。この『?』ってヴィムの字なんだよ。点だけぐるぐるっと濃く書くんだ」


 スーちゃんは空になったグラスの隙間を潜り、私の前に束の一番上の紙を置いて、その部分を指さした。


 印刷された枠と線、いろんな人が書き込んだ数字、そしてその中で、ちょっと遠慮がちに「?」と書いてある。


「……そうなんだ?」


 さっぱりわからない。


「うん。だから、ここで何を疑問に思ったかなんだけど、会計自体に矛盾はなくて、でもどこかに修正を加えてるはずなんだ。その修正自体はヴィムがやったんじゃなくて、口頭で伝えられた指摘を経理部の誰かが修正した、ということだから、いや、よく見れば付箋の跡かなこれ。問題ないとも見えるんだけど……」


 スーちゃんは紙を自分の方に引き戻しながらぶつぶつと言い、作業に戻ってしまった。もうすっかり私の方は見えていないみたいだ。


 前を向くと、微笑んでいるグレーテさんと目が合った。


「食べます? ご飯。できてますよ」


「やったぁ!」


 そう、最近の私の用事とは、ただ単に夜ご飯を食べに来ることだ。





 もうすっかり夜になって、お客さんも増え始めた。私もご飯を食べ終わったので、冒険者さんに相手をしてもらったりとかしながらのんびりと過ごしていた。


 そんな頃である。



「あああああああああああああ! やってられるかこんなもん!!!!!」



 カウンター席の奥で黙々と作業をしていたスーちゃんは急に発狂し、天井に向かって叫んだ。


 投げ捨てられた紙束がはらりと舞い、さらに増えたグラスの上に一旦乗って、床に落ちる。


 スーちゃんはぷんすか、と頭から蒸気を吹き出しながら、店の扉を乱暴に開いて外に出て行ってしまった。


 お店のお客さんたちは一旦しん、となって、みんなで一笑いをしてから元の通りの談笑に戻っていった。


「……そろそろ出禁にしてやりましょうかねぇ」


 グレーテさんはスーちゃんが残していった紙と食器を片付けながら、はぁ、とため息をついた。


 もちろん私も片付けを手伝った。毎度のこととはいえ、一応の保護者になってもらっている身としてはいたたまれなくなる。


「……連れて帰った方がいいですか?」


「いえいえ。まあもう今日だけで二十メルクくらい注文してくれてるので……あ、迷惑料というわけで、勝手に伝票にケーキを入れましょう。ラウラちゃんが食べてください」


「や、やったぁ?」


 でも、グレーテさんが許しているというのなら、きっと悪くはないことなのだと思う。


 しばらくするとスーちゃんは戻ってきて、店の扉を開けるなり言い放った。


「あー、もう今日は終わりだ終わり! ほら牛娘、新たに腸詰め(ソーセージ)を注文してやるからさっさと持ってこい! あと客どもに一杯ずつ!」


「はいはい!」


 それにグレーテさんは元気よく返して厨房に引っ込んでいき、お客さんたちはひゅーひゅー! と盛り上がる。


 スーちゃんは疲れた顔で元の席にドカッと座ると、私に気付き直して言った。


「あ、ラウラ。もうご飯食べた?」


「うん」


「というか、そっか、食べてたね。ごめんごめん、集中してた。私もすぐ食べるから。そしたら帰ろう。ケーキとか頼んどいて」


「あ、もう頼んじゃった」


「……牛娘の差し金だな」


 すぐにサラダとケーキがやってきた。ちょっとすると厨房の奥からジュウ、という音が聞こえ始める。


 スーちゃんは出されたサラダをすぐに頬張る。腸詰め(ソーセージ)も目の前に置かれるなりガン、とフォークを突き刺して、丸のまま被りつき、ごくごくと水で流し込む。あれだけパフェを食べてもお腹が空いているみたいで、話すのも億劫なのか、作業の続きみたいにご飯を食べていた。


 そして時々、心底忌々しそうに遠くを見て、ぼそっと毒づく。


「……ったく、迷惑ったらありゃしない」


 誰に向かって言っているのか、私にはわかった。


 最近のスーちゃんはこんな感じで、とっても生き生きしていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] スーちゃんが頑張ってるの可愛いし励まされます。 頑張れ!…それにしてもヴィムくんのことよくわかってるなぁ
[良い点] 読み始めると、結末がとても気になる作品です。 是非長く続いて欲しい。 [一言] ふと気づいた。 賢者は少し違うけど、主人公の一面って、カフカの『変身』を思わせるところもある。主人公がいた意…
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