第六十一話 夜明け
完全に意表を突いていた。
剣を砕かれた頭領は丸腰同然である。
俺はそこに、武器を持って一方的に突っ込んだ形だった。
渾身の力を込めて山刀を両手で握り、頭領を斬りつけた。
一撃目は細かな狙いをつけなかった。一番大きな標的である胴体の、ど真ん中を狙った。
肉が斬れた感触はなかった。そちらよりも衣服が引っかかるような、そんな感触だった気がする。もしかすると鎖帷子でも着こんでいたかもしれない。
でも、硬化の強化をかけていたおかげで、刃は難なく通っていた。
その次は峰で頭を打った。
頭領はぐらんと揺れて、倒れた。
狙い通りだった。殺すつもりならきっと剣尖で胸を一突きすればよかったんだろうけど、目的はそれじゃない。
俺はその後ろに回り込んで、首元に山刀の刃を突き立て、盗賊団の部下たちの方を向いた。
「アッ……!」
声が出なかった。
いや、構わない。母音がなんとなく発音できるなら、意思疎通は可能なはず。
「アッ、アッ、ムァ、マテ!」
ほら、止まった。
ちゃんと意図が通じている。
俺は今、頭領を人質に取っているのだ。
さっきまで劇的に動いていた事態は突如膠着した。盗賊団たちは統率の大元を失い、構えこそ解かなかったが、しばらくの逡巡に陥っていた。
一人がおもむろに俺の前に、一定の距離保って近づいてきた。
黒装束で顔が見えないもののおそらくは男性である。
彼が頭領の代わり、予め定められていたであろう代理のまとめ役で間違いなかった。
「……その人質は無意味だ」
代理の男はそう切り出した。
「我々は黒髪盗賊団だ。受けた依頼は賢者の卵の奪取であり、そのためなら手段は問わない」
ああ、何か言ってるけど、人質が効いていることは明白だ。
彼らは烏合の衆じゃない。黒髪盗賊団、なんていって民族で団結している。その長ともなれば何かしらの権威となって、斬り捨て難いのは目に見えていた。
交渉は可能だ。そしてそれは、俺にかなりの分がある。
時間が稼げる。そのためにはまず喋らないと。
「オッ、モッ」
いけるか?
「モウジキ、ハイデアイーは、メザ、ッエル」
いけた。母音にちょっとくらい、足せる。
「ツレテ、カエレナイ。カエッタラ、モウ、マユ、ジャナ゛イ」
可笑しな光景だったけど、盗賊団は俺の声を聞き漏らすまいと耳を澄ませていた。
「アナ゛タタチノ、マケダ」
どうだ。
すでに賢者が目覚める繭の五日目には差し掛かっている。賢者の繭自体に価値があるのなら、移動時間に鑑みて彼らの作戦はもう失敗だ。
「それでむざむざと帰るとでも思ったか。賢者の卵は孵ったとて利用価値がある」
……まあ、そんなこったろうとは、思ってたけど。
「ドコ……マ゛デ? ホント、カナ?」
半分挑発しつつ、頭領の首元に山刀の刃を当てた。
「行け! 隊長に構うな!」
代理の男は、止まりかけた一同を激励した。彼らはおそるおそるであるが、じりじりと俺との距離を縮めようとしてきた。
「トマレ」
より力を入れて、刃を首に押し付ける。少し切れて出血する。
だけどやつらは俺の言葉を無視して、距離を詰めようとしてきた。
「ドマ゛レ゛!」
叫んで、頭領の太ももを刺した。
彼らは言葉を失って止まった。
「ヂリョウを、ジたがったら、シタガエ」
刺した箇所からドバドバと血が溢れてきた。
そうか、交渉するならこっちだ。
殺すか生かすかという二者択一じゃなくて、一定時間で死ぬようにするんだ。
時間と治療の交換条件。
空は白み始めていた。必要な時間は、あとちょっと。頭領の血はもうちょっと小分けに流して、そこまで早くは死なないようにする。
「ウゴグナ! ドマ゛レ゛!」
なんども叫んで威嚇する。昂ぶりすぎて頭領を殺しそうになって踏みとどまる。迫真の演技はもう正気を超えて、本心になりつつあった。
なんて醜く惨めで、卑怯なんだろう。
でもこれしかなかった。
戦うんだか、威嚇するんだかを繰り返した。頭が朦朧として、喉が潰れても叫んだ。何がなんでもあと少し、ほんの一瞬が必要だった。
どのくらい経ったかもわからない。もしかしたら何分もないかもしれなかった。
肉体と精神の奇跡的な均衡が崩れた。意志の力ではどうにもならないくらい、脚に力が入らなくなった。
状況も終了。粗雑な人質作戦も限界を迎えた。
稼げる時間はこれで、全部。
俺にしてはよくやったと思う。五日間、耐えきった。
朝日が見えていた。
完遂したのだ。
その気配がしたから、力を抜いた。
肌が敏感になっていたから、わかった。
後ろからとてつもなく大きな力場が迫っていた。
新しい風が吹いてくる。
その風に乗ってきたのか、肩にひらひらとした何かが付いた。
花弁だった。手の甲で触れたらすぐに溶けた。
ということは、氷。氷の花弁である。
遅れて冷気がやってきた。すると木々の葉にざくざくとした霜が付いて、まるで花が咲くみたいに飾り立てられた。花弁はここから散ったのだ。
あっという間に景色が変わってしまった。
いや、変えられてしまった。
戦いだとか、使命だとか、信念だとか、流れなんて何も関係ないみたいに、全部をがらっとひっくり返してしまう。
字は孤高。一挙手一投足は傍らに人無しが如く振るわれる。何人たりとも彼女に並び立つことなんてできやしない。
そのくらい特別で触れ難く、だけど確かに、暖かい。
「『ありがとよ、盟友』」
ハイデマリーが、目覚めた。