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第五十八話 覚醒前夜

 背負って森の中を飛び回るわけにもいかないので、ハイデマリーには森の最深部に待ってもらっていた。


 もちろん、敵が迫っている中で開けっ広げに草の上で寝かせてしまうのも良くない。だからなんとか力を抜いても背を預けていられる木の高い場所を探して、そこで寝ていてもらうようにした。

 ベッドとして安定しているとは言い難かったけど、せめてやり過ごせる一縷の望みがあるような形がマシだろうとも思っていた。


 しかし、決戦を前に再び彼女の様子を見に行ってみれば、そんな思慮は彼女の枠組みを決めつけようとする偉そうなものでしかなかったのだと、痛感させられる。



 彼女が寝ていた木肌の周りと、その下の草花は異様な発達を遂げていた。


 彼女を中心とした力場に呼応し、その主を守るかのように、どこからか伸びた蔓が絡まって組み上がっていた。繭のような、揺籠のような、ともすれば牢獄のような装いで、彼女は草木に守られていた。


 蔓の多くはどうやら魔力薔薇(アイソローゼズ)のようだ。鬱金香(チューリップ)のように独立していた茎はすっかり色を変え、木肌と同じ色とそれ以上の硬さで絡み合っている。


 彼女の顔を見るにも一苦労で、素手では蔓をかき分けきれなかった。止むなく山刀(マチェット)で切って、ようやく見えた。



 真に守るべきただ一人の人は、その中で安らかに眼を閉じていた。



 いくつもの薔薇が彼女に向かって咲いている。蔓でできた壁面には目で見えるくらいの速度で蕾が膨らんでいた。


 童話になぞらえて描かれた絵画のような光景だった。


 やはり薔薇は彼女の魔力を吸って成長していると思われたので、よくなさそうだと頭に過ったけれど、些細なことだとすぐに確信する。


 むしろ、打算が働いた。

 戦いの展開によっては、魔力を補充する薔薇の蕾が足りなくなりそうだという心配があったのだ。それがたった今、完全に解決した。


 苦笑した。


 俺の体を蝕み、しかし頼らざるを得ない劇薬は、彼女にとっては呼吸と一緒に生まれてくる霞のようなものでしかないのだ。


 こんな人が本当に息をしているのか心配になって、首筋に手を当てて、呼吸を確認した。


 ちゃんと動いていて、安心する。


 そしてもう一つ、異様な感触があった。

 彼女の内部で何かが蠢いている。一枚の皮膚の下は、蛹の中身みたいにドロドロになっているんじゃないかと、そんな想像をした。


 賢者の卵という存在の壮大さを前に、改めて思う。



 君は本当に、特別なんだね、と。



 独り言すら、出なかった。





 徐々に狭められる包囲網は、いよいよ森の最深部の一歩手前に差し掛かかろうとしていた。


 俺は捕捉されないよう飛び回って飛び回って、包囲網の全容をできるだけ把握することに徹した。


 ここまでは敢えて手を出さないようにしていた。罠も仕掛けていない。包囲網が完成してやつらが着実に歩を進め始めた以上、余計な妨害をすることで、泳がせるよりも時間を稼げる保証がなかったからだ。


 さらにもう一つ、時間稼ぎになり得る算段があったこともある。


 襲撃ぃ! と叫ぶ声が聞こえた。すぐさまそちらに出向いた。


「ただのモンスターだ! 落ち着いて対処しろ!」


 行ってみれば、魔術師の集団が魔猪(ボア)に応戦していたのである。


 この森のモンスターはもう先の防衛線で狩り尽くされていたから、この魔猪(ボア)は別の場所に生息していたものに違いなかった。


 そう、賢者の卵の魔力を感知したモンスターの第二波が、ようやくこの森に到着し始めたのである。


 集団の中でもっとも魔猪(ボア)を食い止めることに貢献しているであろう魔術師にあたりをつけた。


「『我が手に宿れブライン・メイデン・ヘンデン』」


 前腕を強化して、拳大の石を頭めがけて投げつける。


 外れたから、もういくつか投げる。


 当たった。


 倒すまではいかなくても、気を逸らすことはできた。その人はあっと言う間に崩れて、魔猪(ボア)の接近を許した。


 それから、踏まれた。


「あああああああああああああ!」


 断末魔なんだろうか、あれが。


 のんびり見ている暇はないので、逆方向へ走った。そろそろ包囲網も、罠を仕掛けてある範囲に突入するはずだ。


 網を辿っていって、ちょうどお誂え向き、重鎧の戦士団を発見した。


 罠というのは落とし穴だ。底にはちょっとした木の槍みたいなものも仕掛けてある。


 停止して、かかってくれないかな、と彼らを見つめた。


「警戒! 落とし穴があるぞ!」


「こちらもです!」


 まあ、そんなにうまくはいかないか。


「よくやった! そのまま足元を探りつつ前進! 賢者の卵が近いやもしれぬ!」


 しかも発想としては至極妥当で、かえって逆効果だった気もしてくる。


 そうならないために、下を向いて進む彼らを上から襲撃することにした。


 狙いどきは罠を発見する二秒手前である。音を立てないように木を伝って、そのときが来れば一気に後ろに蹴りかかる。蹴ったら勢いをつかって、また木の上に上がる。


 三回に一回くらいは、これで穴に落とせた。そうでなくても、上方に注意を向けて応戦している間に足元が疎かになって落ちるなんてこともあった。


 警戒! 警戒! と声が上がる。


「モンスターか!?」


 まーた言ってる。


 落とし穴を掘るくらい知能の高いモンスターとか、地上にいるわけがないのに。ここは迷宮(ラビリンス)じゃないぞ。


 どんな目をしているのだろうか。大人って案外大したことないのかも。



 こうやって戦っていけば、包囲網の緊張感も本格的になってきた。この先に賢者の卵が待っているという確信が芽生え、それに伴って会敵するに違いないと恐れ始めたみたいだ。


 会敵すると言っても俺一人なんだけど。



 けっこう、山狩りが始まったにしては時間を稼げた気がした。


 包囲網なんだから、一部を止めたら全体の進行も遅れる。そういう意味で、間抜けな集団をできるだけ狙うことは功を奏したのだと思う。


 ただ、いよいよ森の最深部を残すのみとなり、網の密度が上がってくれば、多少の独断専行は有用に働き始めるのも道理だった。


 それができる敵の練度にも、当然差がある。


 モンスターにも動じず、子供の仕掛けた罠をすべて看破し、周りの連中の指揮すらとって着々と歩を進める一団がいた。


 ジーツェンの黒髪盗賊団。


 やはりと言うべきか、彼らの手から逃れることはできないようだった。


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