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第五十七話 八面六臂

 地面に足跡をつけないよう木々を渡り、隣国の軍隊を遠巻きに見守り続けていた。

 そんな動物みたいな芸当ができるのかといえば、できてしまったんだから仕方ない。


 昂りは俺の実感を超えて、まるで自分は森の主になったかのような錯覚をし始める。


 それでも頭は冷静である。冷静な自分に酔っている。


 息をひそめていた。狙うべき瞬間はまだだ。


 こと居場所を知られてはならない局地戦において、俺が単体で誰かを妨害することはよくない。それ自体がここに守るべき何か──ハイデマリーの存在を示唆してしまうのだ。


 だから、直接妨害をするのは、俺ではないのである。


 隣国の兵は森の奥に歩を進めている。他の二集団も同じく。

 奥に行っているということは、同じ方に向かうということ。そのとき、互いの距離はどうしても縮まってしまう。


 幸いなのは、俺にとって防衛線であるこの戦いは争奪戦でもあるということ。攻めてくる敵は協力関係にないどころか敵同士でいてくれる。


 最深部にはハイデマリーが待っている。だから本当にできるだけ早く、急ぎすぎない位置でそれをする必要がある。


 焦る気持ちを押さえて待ちに待った瞬間。


 見えた。


 鈍く光る鎧の軍隊──たぶん、同じ国のどこかの騎士団か何かか。


 ちょうどギリギリ、()()()()くらいの位置。



 奪った矢を、彼らに向かって射った。



 ……届いたかな。見えないもんだな。射るのって難しいし。


 念のため何回か射ってみる。先頭にいる人を狙ってみる。


 弓手を固定して撃ち続けると狙い自体はそこそこなんとかなるけど、どうも飛距離が足りない。


 よく見れば、弓手の内側が血で赤く染まっていた。

 矢が擦っていたみたいだ。


 なるほど、これが邪魔になっているのか。

 前腕を捻じるようにして、肘裏を内に向けて、するとようやく弓手はまっすぐになった。


 二、三発撃ってみる。


 矢は勢いよく飛んでいく。これが本来の飛距離とわかる。


 そして狙い通り、向こう側が騒がしくなり始めた。


 カンカンカンと鉄がぶつかり合う音が鳴っている。怒号の中には聞き取れる声がある。

 警戒、と言っているのかな。敵襲、とまでは言ってくれていないみたいだ。


 その騒音で、隣国の軍隊の方も鎧の軍隊の存在を認識した。



 交戦してくれるかと期待したけど、両者が取ったのはまずは穏便な方式だった。前列より五歩ほど前に、盾兵を使者として出し合っていた。


「戦闘の意志はない!」


 先に声を上げたのは隣国の軍の方だった。


 ……普通にこっちの言葉を喋れるのか。


「そちらの軍の矢を確認している!」


 鎧の軍隊も答える。


「了解した! しかしその矢は奪われたものだ! こちらの弓兵も襲われている!」


「証拠を寄越せ! さもなくば、武装解除を要求する!」


 思ったより鎧の軍隊の方は血の気が多いらしい。

 誤射と断定してあえて突っかかってきているのか、それとも最初からいずれは交戦する覚悟を決めていたのか。


「主の名において証拠を提示する! ゆめ、対話を忘れるなかれ!」


 対して隣国の軍は冷静だった。

 彼らはきちんと二人の兵を武装解除させ、その二人に後方から()()を持ってこさせた。


 彼らが証拠に選んだのは、俺が殺した弓兵の死体だった。


「これが証拠だ! 先ほど襲撃された、我らの同志の亡骸である! 彼は弓兵であり、喉を食い破られて殺され、その矢筒と弓は丸ごと奪われてしまった!」


 それを見せられては鎧の軍隊も、一旦は威勢を留めた。


 子供の浅知恵ではここまでかと落胆する。

 それもそうか。彼らは訓練された大人だ。むしろこのやり取りが起きただけでも上々、時間稼ぎの一環になったと考えるべきだろう。


「モンスターだ! 兵が目撃した! この森には俊敏なモンスターが隠れている!」


 ……おや。


 そう見えたら楽だと思ったけど、本当にモンスターだと勘違いしてもらえたのか。


 なかなかに頓珍漢な解釈だと思うけど。慣れない場所だと大人でもそうなるものかな。


 鎧の軍隊からしてもおかしなことを言っているはずなので、好都合この上ない。


 もう待つ必要はなかった。再び弓で、今度は鎧の軍隊の使者に向けて、射った。





 なんて全能感。


 初めて間近で見る怒号が、俺が登っている木の真下で響いていた。


 大の大人たちが俺の掌の上で無駄な衝突をしている。

 途中から他の集団も突入した。何か音が鳴っているから、手柄があるのかと野次馬みたいに集まってきたらしかった。


 事態は混迷の方向にしか行かない。彼らは何もない場所で、戦い続けている。


 一人の兵に目を配ってみる。


 必死の形相で、違う色の鎧を着ている兵隊にむかってポカポカとこん棒を振っている。当たったら痛そうだけど、その程度にしか見えない。


 戦いというものは泥臭いもので、語られるものはあまりに美化がすぎていると知った。


 勝ったのは目を配っていた兵隊だった。偶然振った一撃が頭に入って、敵兵を倒したらしい。そうしたら懐からナイフを取り出して、なりふり構わず止めを刺す。


 止めができたのか、血だらけの利き腕を上に挙げてうおーーーと言っている。


 俺の位置から見れば、ひどくちっぽけである。その戦闘の一単位が戦況に何か変化を与えているようには見えず、なんならこの衝突自体が無意味であるから。


 それを眺めながら余裕たっぷりに、懐に入れていた薔薇の蕾を呑み込む。


「『目覚めよ(ダーチ)』」


 合わせて、木から落ちる前に気つけをする。ここで落ちたら台無しだ。


 力が戻る感覚──というよりは、体がまだ動く確信が戻る。反面、吐きそうな酩酊感がやってくる。


 でも、酩酊感と全能感の相性は存外に良いらしかった。頬が吊り上がってしまった。


 腹の底で痙攣がした。


 頭には一旦、これは不味いかもしれないと過る。胃袋が薔薇を消化できなくなったのかとか、さすがに無茶がすぎたのとか。


 どうもそういうわけでは、なかったらしいけど。



「……ひっ、ひひっ」



 ああ、そうか。


 俺は、面白くて堪らないのか。





 一刻以上の時を稼ぐことができた。


 我ながら大活躍だった。死体から剣だの矢だのを剥いで、片っ端から敵陣営に撃ち込んだ。


 無為の争いは広がるに広がって、森の極々浅いところで死体が溢れかえっていた。


 しかし当然、それも止む。

 


 しばしの沈黙ののち、森を囲む全方位から、隠すつもりのない気配と木々をへし折る足音がし始めた。


 跳んで跳んで、遠くを見渡せる樹の、二番目に高い枝に乗る。


 今度の囲い込みには秩序があった。争奪戦は一時的に休止し、森に標的がいるということで合意をとって、等間隔に包囲網を狭め始めていた。


 つまり、徒党を組んだのである。


 間違いない。


 山狩りが、始まってしまった。


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