第四十九話 覚悟一辺倒
月明りが照らす屋敷の門の前で、見送られるようにみんなに見守られながら、俺は荷物を馬に積み込んでいた。
『まさか、三頭同時とはね』
賢者の依り代は言った。
結局、俺は三頭の馬に馬力の強化をかけることに成功していた。
この意味は大きい。人間よりも圧倒的に出力の強い生き物三頭を自在に使えるということ。連れていける人員が増えることも、この切迫した状況では大きな要素だ。
一頭には俺が乗って、もう一頭には従兄弟が乗る。
もちろんその従兄弟は職業持ちではないので、乗るというより首に縄で縛りつけるだけになるけれど。
「その……揺れたら、いや、すごく揺れるから。ごめん」
「わーってるよ」
従兄弟は馬の首に抱き着くように縛られながら、ぶっきらぼうに答える。
使用人であるからお嬢様の救助に向かうのは当然とはいえ、彼が俺の指示に文句ひとつ言わず従ってくれるのは、妙な新鮮さがあった。
最後の一頭には荷物を積む。もちろんこの荷が最重要。武器も策も、ここに載せていくものでこの先の選択肢が左右される。
一番大事な荷物は自分で背負った。これは俺が、俺本人が背負わないと不安だった。
「ヴィムくん」
いざ馬にまたがろうとすると、声をかけられた。
奥様だ。
顔はやつれ果てて、よろよろとした足で、すがるような目で俺を見ていた。
「マリーを、お願い」
「……頑張ります」
大したことができる保証は、全然ないんだけどな。
馬力の強化を確認する。幸いなことに職業取得直後で体に魔力が溜まっている状態だから、そこそこの余剰の魔力があった。三頭までならまだいくつか付与術を使う余裕は残っていた。
『ヴィム=シュトラウス』
賢者様が、おもむろに俺に声をかけた。
ふわふわと浮くローブの奥の暗闇。何もないはずの場所が、妙に目立って映る。
ないはずの目が、合った気がした。
『あなたはきっと、いい付与術師になる』
「……どうも」
『あなたに敬意を。同胞を頼みます』
手綱を繰る。馬が急に加速して、景色が見えなくなって、風切り音以外の音は聞こえなくなった。
*
一瞬でも馬の首から顔をずらせば吹っ飛んでしまうくらい、激しく空気に打ちつけられていた。
「大丈夫!?」
後ろで荷物と一緒に揺られている従兄弟に声をかける。
返答はなし。意識があるかわからないし、そもそも風切り音で声が通じているかもわからない。
乗り心地どころじゃない。脚も股も胸もなんども打っている。顎だけはなんとか守って、なんとか体力だけは残せるように、脱力を諦めないで踏ん張り続ける。
馬力の強化はそれに見合うだけの速度があった。
三頭の馬は列なって激しく進んでいる。
出発を急いだぶん、大回りをしてもすでに盗賊団を追い抜いているくらいには走っている。
速い。あまりにも速い。月と遠く以外の景色が見えない。
一応の目的地の街道も、あと少しで通り過ぎてしまうところだった。馬力の強化を解いて減速して、草木が削れた道になんとか停止した。
馬に括りつけられていた従兄弟を解く。
「あのっ……! 大丈夫!?」
「ガホッ、あっ……くそ、覚えてろ。大丈夫だ」
息も絶え絶えだが、意識はある。ちゃんと立てるみたいだ。
馬を確認する。
やはり消耗している。舌を大きく出して、筋肉をピクピクと振るわせて、重い足取りで止まらないように小さな歩幅で歩き続けている。
わずかな時間で圧倒的な長距離を走らされたのだ。普通の動物が負ってはいけない負担を負っている。
……馬力の強化が多用されないのは、これが原因だ。
この馬たちはこのままだと骨を折るか腱を切って走れなくなる。ここで解放したとしても、この負担が巡り巡ってあと一週間もしないうちに死に絶える。
「……ごめん」
街道の遥か後ろを見る。
間に合った、はず。盗賊団はしばらく、まだこちらが見えないくらい後ろにいる。
ジーツェンまで向かうなら、この街道までが一本道だ。道を逸れるとしたらここから先で間違いない。
さあ、役目はここからだ。
まずはこのまま潜伏して、発見し次第追跡を開始すること。盗賊団がいつまでも街道を使ってくれるわけがない。道を外れたのなら隙を見て狼煙を上げ、味方と、もしかするといるかもしれない敵の敵に位置を知らせ続ける。
それから進路妨害。草を結ぶなり落とし穴を作るなりして、相手の馬が一頭でもうまく引っかかってくれれば上々。相手方の狼煙を偽装して妨害なんてことをしてもいい。
まあでも、それは、俺でなくてもできる。
持ってきた荷物を手早く整理し、隠すべきものは馬の尻に垂らすように隠す。従兄弟に渡すべきものは渡す。
「……じゃ、じゃあ、追跡とかは、お願い。俺はここで。あっ……その、隙を見て縄付き狼煙を上げてもらえると……嬉しいです」
あとは街道を下っていって、盗賊団と相対するだけだ。
「おいヴィム! 何をするんだ!?」
あまり説明もしなかったので、従兄弟が俺を後ろから呼び止めた。
「何って……ハイデ……お嬢様のところに。取り返しに行きます」
「おまえ、そんなの、できるわけないだろ!」
彼は大きな声で言った。
「あいつらを見たろ!? その、あの、偉い護衛みたいなやつらが全員殺されたんだぞ!? 俺たちは大人しく遠くから──」
「それは違う、と思う」
彼の言うことももっともである。だけど今日この場においては、そういう常識的な判断は意味を為さない。
「その、状況をちゃんと考えてほしい。俺たちはこんな荒事には不慣れな使用人だし……相手は訓練された兵隊なわけで。妨害も追跡も、もともとそんなに意味があるわけないじゃないか。誤差だよ」
その覚悟を決めてきた。だから俺は付与術師になった。
「だから、違うんだ。俺たちが、俺が、ここに来たのは、奇跡のためなんだ。善処してちょっとでも事態を良くしようだなんて意味がない。普通ではやらないような、そんな賭けを繰り返して、わずかな可能性を取りに行かなきゃいけない」
「……なんだよその、わずかな可能性、って。妄想も大概にしろよ」
「いや……その、付与術のおかげで意外と使える選択肢は増えたから。まずは連れてきた馬三頭、一頭は君に預けるとして、今から俺が使えるのは二頭。一頭は足として使わなくてもいいわけで。それとあと、びっくりするような幸運もあるんだよ」
そして、これは偶然。
「あの盗賊団が俺たちと同じ黒髪だってこと。聞いたことがあるだけだけど、ジーツェンは治安も悪いし、人種の差別や対立はリョーリフェルドより深刻らしい。そこで同じ人種として結束したんだったら、うまくやると俺を同胞だと思わせられるかもしれない。さっきの襲撃のときに顔を見られていたかどうかで変わってきそうだけど。あとついでに、秘策を持ってきたんだ」
考えてみればけっこう、勝算はなくとも、それを立てるための材料、くらいはあるように思われるのだ。
「実は情報の違いも有利に働くかもしれない。付与術師の数は圧倒的に少ないし、こんな俺みたいな貧相な子供が職業持ちだってことですら意外だろうから、付与術を使ってくるなんてことはさらに頭にないかもしれない。その場合は下手に剣士として力があるより場合によっては勝算が高くなるかも」
あれ、話しているとけっこう行ける気がしてきたな。
「付与術を有利要素と考えるなら、むしろ顔が割れていた方が裏をかきやすいかも。むこうからすれば職業持ちではないことが確定するわけだから」
従兄弟に弁解をしていたはずなのに、俺はいつの間にか独り言ちていた。
「……おまえ、なんで笑ってんだ?」
「え?」
そんな俺を見て、彼は素朴に言った。
「ずっとそうだった。お前は気味が悪い。頭がおかしいよ」
俺と同じ黒い髪を持つ、シュトラウスの血を分けた彼は、まるで俺の事を犯罪者か何かを見るような目で見ていた。
「……勝手にしろ」
そして俺と逆方向に馬を駆って、道を逸れていった。
俺はそのまま二頭の馬を連れて、街道を進み始めた。