第三十四話 本物の冒険
迷宮、まさに迷宮の本体のど真ん中を走っている。
鍾乳洞の水分とその魔力をモンスターたちが見逃すわけがなかった。進めば進むほどすべての水を吸い上げんとするばかりの蔦、蔓が間を埋め尽くす。
道が大通りみたいに広がっていく。水浸しの表通り。野放図の蔦のような大木は左右に掃けて、それぞれ熊手のように根を張って壁を補強しているみたい。
そしてその大通りを気持ちよさそうに、巨大な蛇が這っている。
「「ぎゃああああああああああ!」」
背を起こして掌を立てて、バシャバシャと音を鳴らしながら走る。
時間の問題だろこれ!
何か、何かないか!?
目で探す。
蛇はこの風景によく馴染んでいる。木々とまったく同じ色、擬態しているのか?
ああ、綺麗だ。
じゃなくて。
違うだろう、蛇だけのはずがない。第二階層の食物連鎖の頂点にこんな早く出くわすわけない。ゴーレムでもなんでもいるだろう。
ほら、いた!
「なあなあ、ヴィム!」
「はい!?」
「もしかして、あの蛇、けっこういっぱいいる!?」
よく目を凝らせば案外多くいた。鳥を見つけるみたいに一度特徴を捉えられればどんどん見つかる。
「……ほんとだ」
さすがというべきか、私の意図を一瞬で理解する。
自分たちで倒せないなら、なんとか縄張り争い的な何かでぶつけられないか?
子供の浅知恵だ。
でも、全部ここまでそれでやってきた。
「どこか、どこか探すぞ! あいつと同じ蛇か! 隠れる場所!」
「……蛇に縄張りっ、は、ないから!」
「おい!?」
ヴィムは走りながらブツブツ言っていた。私の話をまるで聞いていない。
「ごめんハイデマリー、ちょっと行く」
彼はたん、と、水浸しの地面の中に加速できる足場の岩を見つけて、前に大きく跳んだ。
狙いを定めたら一直線、山刀を両手でしっかりつかんで掲げて、そこで動かない大木の腹に思いっきり叩きつけた。
カン、という音がしない。
正解だ。
地響きがした。太い根だと思っていたものがぐわんと持ち上がり、水浸しの地面を全部波打たせて揺れる。
二匹目が起きた。
想定していた長さより遥か先に頭を見つける。口を開けて聞こえる音はシャーじゃなくでゴウンという揺れ。見ているのは私たちか、後ろにいる蛇か。
ヴィムが再合流した。
「本当に命知らずだねぇ!」
「え!? こうするんじゃないの!?」
「合ってる! けど、馬鹿!」
「……君に言われたくない!」
避けるにしたって前に避けるのが流儀だ。というかここまで来たら賭けも賭け。
さあ蛇と蛇がぶつかるまであと五歩。
二匹に食われるか、二匹が食い合うか。
きっと幸運もあった。
二匹は私たちには目もくれず相対していた。
大きな水しぶきがあがると同時に、濡れた肌と肌がパァンと叩かれあってぶわっと風と衝撃波が吹いた。
隣の蔦が揺れて私たちまで危なくなる。その間にも蛇たちは歯と頭で叩き合い噛み合いを繰り返す。
二匹の距離はあっという間に縮まる。首だか体だかが長いから、互いにしっかり噛み合える。噛んだら残りは体で締める攻撃しかない。
竜巻みたいに巻きつきあって登って、塔みたいになった。
その塔が倒壊。
もう一度水しぶきが上がり、二つの巨大な物体が絡み合いながらのたうち回ることで周囲が丸ごと破壊される。
怒涛である。
私たちは逃げ惑うしかなかった。前に行っても後ろに行っても頭か尻尾か胴体かわからない薙ぎが飛んでくる。
「ハイデマリー! 後ろ!」
おっと危ない。すんでのところで避ける。
前後左右、どこから来たのかがわからなくなる。横目で二匹の対決を見守るのみ。途中から赤い血が飛んできてもろに浴びる。
「ベタベタするなぁ、ヴィム!」
「何が!?」
「血!」
どう考えてもとてつもない命の危機なのだが、私は興奮してしかたがなかった。
大迫力だ。
何もかもがおかしいだろ、ここ。
地上にいれば伝説の世界蛇と言われるようなやつがそこらへんに寝ていて、そのうちの二匹が世界の終わりみたいな喧嘩をしていて、飛ぶ岩と木片すら巨大にうねっていて。
急に衝撃波が止んだ。
二匹は崩れた毛糸玉みたいに複雑に絡み合い、締め付けて殺すべく最後の折り曲げに入っていた。
本当にギュウギュウと音が鳴る。パキパキと骨にヒビが入っているらしい。
それ以外の音はてんで静かだった。
音がギチギチに変わる。血が噴き出す。飛んだ血の分だけ塊は縮んで縮んで、半分くらいの大きさになった。
そして、解けた。
勝利した一匹がのろのろと荒れた道の奥に這い出て行った。
残ったのは一匹の巨大な蛇の死骸。避けた茶色の肌のしたに桃色の筋肉と真っ赤な血が露出して、ところどころ小舟なら竜骨になりそうなくらい長いあばら骨がむき出しになっている。
「……すげぇ」
「……うん」
終始圧倒されていた。
わなわなと手が震えた。
これが──
感心しようとした手前、今度はばさばさとさっきとはまったく違う異音が鳴る。
バッと音の方向に振り返る。
真っ黒な帳が高速でバタつきつつ、左右の壁にぶつかりながら、こちらに近づいてくる。反射的に背を屈めて凝視する。
帳は翼だった。だけど左右対称じゃなかった。なんとか翼の根本のつなぎ目に当たりをつけて、すると接近してきたのもあって首と頭がわかって、顔の全貌が目に飛び込んでくる。
目玉だ。頬がぞわっと立ちそうな数の目玉がなんとか二群に分かれている。
「たぶん、翼竜だ」
ヴィムが言った。
翼竜は私たちには目もくれず、大蛇の死骸に飛びつくや否や骨を砕きながら食べ始めた。
咀嚼音。粉砕音。
ああ、なんて気味悪く恐ろしいのか。翼竜だけじゃなかった。さっきまで木々の隙間に隠れてい蛇蝎に甲虫、蟹のような甲殻類が死骸を漁ろうと群がり始める。
今度こそ思う。
──これが迷宮。
想像を超える食物連鎖の中で、私たちみたいな職業を持たないガキはどこに位置するんだろうと、途方もない無力感を覚える。
「ね、ねえ! ハイデマリー!」
「なんだい、水を差すんじゃあ──」
何度目の視点の移動か、私は促されるままに振り向いた。
ヴィムと似たような背丈の人型が複数体、私たちを囲んでいた。