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第二十五話 限界

 列なり馬車の特徴はその速度。

 今までとは比じゃない。地上なのにまるで船に乗り換えて流れに乗るみたいな、何もかもが違う感じ。


 リョーリフェルドにいても聞こえてきた話。

 迷宮(ラビリンス)を言い表すとするならば、まさしく“異世界”であるらしい。

 外国のそれよりも一歩離れた異物感。もたらされる物は異世界の産物。まるで砂地に大岩を落とすように地形や文化、力場を歪め、迷宮潜(ラビリンス・ダイブ)を目的として作られたものは、まったく目的にそぐわない地上では双つとない性能を発揮してしまうと。


 その通りだ。明らかに馬の速度じゃない。ぐんぐんぐんぐん進んでいく。荷台の高い壁の向こうの景色を見てみれば、絵を振り回したみたいに色の線になって見える。



 反面、乗り心地は最悪だった。



 もはや振動じゃない。壁と床に殴られるような時間がずっと続く。乗客同士ぶつかり合うなんて当たり前。


 喧嘩になりそうだったけど、あまりの揺れに声すら通らない。腰を据えて脅したり怒鳴りつけたりしようとしたとして、すぐにそれどころではなくなる。


 数時間もしないうちに体力が削られてぐったりとしている者が多数。ほんとうにときどき、数時間に一回だけある停車で見てみれば、呻くのもやめて声も出さない者も。


 誰かが吐いたらしいこともすぐにわかった。酸っぱい臭いが立ち込めてきて、それにつられてまた何人も。文句を言う気力もない。


 そんな中で、各々の場所で身を寄せ合って、あるいは固まって支え合って揺れに耐えて、ということをする。


 俺とハイデマリーみたいな子供はあっと言う間に隅の隅で押しつぶされていた。誰も子供だからって配慮してくれるわけもなくて、手を繋いで固まって、圧死してしまわないかの恐怖に耐えた。



 一日目の夜の停車の時点で、ほとんど限界みたいなものだった。



「夜明けと一緒に出発だ!」


 御者さんも乗務員さんも、乗客に寄り添うつもりはまるでないらしかった。客を放り出せば荷台をすぐに開けて吐瀉物を掃除し、外気に当てて乾かし始める。


「あ、あのー……お嬢……ハイデマリー、大丈夫?」


 まだ手を繋いでいた。


 奇異の目線で見られるわけじゃない。みんなそんな感じだ。誰も他人に気を配る暇がない。大の男でも呻いて泣いたりしている。


「おっと、すまねえ」


 彼女は自分の手に気付くと、息を吐きながら手を離して、パッパと振った。


「……すまないね。にしても、君は丈夫だな」


「……顔に出ないだけ、だと思う」


「だよね」


 これがあと丸二日。

 持つわけがない。食べないと体力がなくなるが、食べたらきっと明日に全部吐いてしまう。


 野宿の用意をする余裕もなくへたり込んで少しでも元気を取り戻そうとすると、追い打ちをかけるみたいにさっきの御者さんが乗客に声をかけた。


「体調の悪い者は即座に去れ! 毎年この列車では死者が出ているぞ!」


 みんな、ギョッとする。

 たかだか三日の移動でそんなことがあるのか。長旅での死亡はあることだけど、体力の有り余った若者がそんなこと。


「ほんとだと思うかい?」


 疲れ果てた顔で、ハイデマリーが聞いてきた。


「……誇張はあっても、嘘とは」


「だねぇ。死にそうだよ」


 俺たちは若者じゃない。子供だ。

 客観的に体力がない弱者。貧乏生活や野宿の経験がある俺はこういう命を削る類の体力がついていたみたいだけど、彼女はどうか。


 俺がちょっと測るような眼をしたのを、彼女は敏感に察したみたいだった。


「不機嫌になってやろうか」


 疲労困憊ながらも、笑っている。

 ここまで来て引き返すつもりは微塵もない。


「……すみません」


「よくわかってるじゃないか。冗談じゃねえよ」





 複雑なことは何もない。ただひたすらに耐えるだけ。


 立ち上がって荷台の壁の向こうを見る余裕は消えた。上を向いて日光を浴びると体力が削られるのでやめた。それなのに吹き付ける外気に体温が奪われて、熱を作り出すためにどんどんしんどくなっていく。



 水の入った桶を考える。

 揺れたり蒸発したりしてどんどん水がなくなっていく感じ。その水は補充する地点がほとんどなくて簡単には戻らない。なくなったら死ぬ。そんな想像をする。



 余裕が一切なくなっていく中でも無駄はなくなってくるというか、荷台の中でもそれぞれの場所や一定のやり取りみたいなものができて、変な連帯感みたいなものも生まれていた。


 ぶつかっても謝らないし恨みっこなし。吐いたら連れと一緒に軽く掃除するか、周りに匂いが行かないように吐瀉物の前に座る。


 あまりに様子のおかしい者がいれば、いろいろ漏らされる前に乗務員さんにかけあったりする。大体は途中下車になる。


 俺たちはなんとか、俺と彼女の名誉のために晒した醜態は言わないでおくけども、そんな中でも下車をせずに済んでいた。


 二人でがっしりと寄り合って、壁と床にぶつからないよう手足だけはしっかりと張りつつ、でも疲れるので胴体の力は抜いておく。体温を分け合って、熱を作り出さずに済むようにする。


 揺れに慣れてきて寝られるようになったのか、意識を失っているのか、その中間なのか。そうやって寝て起きたら一瞬だけ楽になっているような気がするけど、実は余計に体力を使っていたり。


 限界はとっくに超えていた。


 それでも降りようと思わずに済んだのは、隣人がいたからだった。


 みんなが疲れる曜日があるみたいに、さっきの揺れは酷かったとか、寒かったとか、感想が一致した。そうして限界を迎えて降りたくなるときが自然に一致して。


 そのとき、隣の彼女を見るのである。


 彼女は無理してニヤッとする。


 俺も引きつった笑みを返す。


 彼女がそれを見て吹き出す。ときどき「きもちわりっ」とかも言ってくる。


 そうすれば、桶の水がちょっとだけ潤った感じがする。


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― 新着の感想 ―
[一言] これは絆が生まれますね。文字通り限界ギリギリの死線を、一緒に超えた。ヴィム、ハイデマリーのことだけは忘れないで。不要の記憶と切り捨てないで。
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