第十一話 翼破①
あいつがいなくなれば快適な冒険者生活が始まると思った。
俺とニクラとメーリスの怪我はすっかり治り、そこに邪魔者の代わりにソフィーアが加わった。
完璧な布陣だ。
なのに、これはなんだ。
「ニクラ! 早く治癒を!」
「りょ、了解! えっと」
「遅い!」
戦っている真っ最中だというのに、ニクラの奴、治癒の準備を怠りやがった。
「もういい、メーリス! 障壁を張ってくれ!」
体勢を立て直す。
メーリスに時間を稼いでもらって、その隙に全員で撤退する。
「了解! えっと、『定義、我が承認せし──」
まだ詠唱が終わらない?
なぜだ、くそ。
ちんたら詠唱なんぞやってる間に小鬼達はどんどん詰めてくる。
なんとか怪我をしている右手を柄に添えて、剣を振るって牽制する。
両刃を使って、右に薙いだら次に左に薙ぐ、を繰り返す。
ああもう、なぜこんな無様な真似を。
「まだか!」
「──ごめん! 『炎膜』!」
炎の障壁が展開される。助かった。
「全員撤退! 俺に続け!」
とにかくこの場の離脱が優先だ。
障壁と反対側に走る。
ソフィーア、ニクラ、メーリスの順に三人とも続く。
小鬼たちは追ってこれない。
「はあ……はあ……」
敵が見えなくなって、小走りくらいに速度を緩める。
「おいニクラ! 今のうちに治療を」
「はい!」
右手を差し出して治療してもらう。
いつも通り、ニクラの手から発せられて、右手を癒す。
「……っ」
一瞬の痛みのあとの、激しい痒み。
もう慣れたものだと思っていたが辛いものは辛い。
「よし、じゃあ、ここから──」
「待ってクロノス。まだ治療終わってない」
ニクラが低い声で諌めてくる。
「……遅くないか」
「ごめん。でも、最近調子悪くて」
彼女の俺を見る視線に嫌なものが混じっていることに気付いて、俺は自分が焦りをぶつけてしまったことを自覚する。
「いや、こちらこそごめん。ちょっとイライラしてた」
息を吐いて周りを見る。メーリスともソフィーアともうまく目が合わない。
くそ、空気が最悪だ。
ここ最近の迷宮潜はいつもこんな感じだ。
最初の数回は訓練ということで割り切っていたが、さすがにそろそろ調子の悪さを自覚し始める。
「終わったよ」
「ああ。ありがとうニクラ! よし、ニクラが治してくれたってことは全員無事ってことだ! ここから立て直そう!」
パン、と手を叩いてみんなの視線を集める。
大丈夫。あくまで調子が悪いだけ。俺たちならここからもっと上にいける。
「まずは現在位置を確認してくれ。えっと、目印になるものがないか、探してくれ」
次はどうするかと考えたが、それ以前に場所がわからない。
みんなも疲労しは始めているし、帰る目処は立てないといけない。
でも少なくとも今回の迷宮潜を黒字にする為の算段も立てないと。
考えることが多い。煩わしい。
「あの、クロノス」
「なんだ、メーリス」
「目印って、たとえばどういうものが」
「……ごめん、わからない。誰かわかる人、いるか」
誰も手を挙げない。
でも足を休めていたらいつあの小鬼に追いつかれるかわからないので、移動だけはし続けなければならない。
「あのー、クロノスさん」
ソフィーアが手を挙げた。
「お、わかるか」
「いえ、ごめんなさい、そうじゃなくて」
彼女はおそるおそる前方を指差す。
暗がりで見えにくかったが、何を言いたいのかはすぐわかってしまった。
「壁だ……」
行き止まり。
俺たちは、迷宮において最も辿り着いてはならない場所に、敵を背負って来てしまったのだ。
【竜の翼】に来てからしばらく経つ。けれど、私は激しい違和感を覚えていた。
クロノスさんには居酒屋でスカウトされた。
私も前のパーティーを離れて次の就職先を決めなければいけなかったので、新進気鋭の、しかも階層主をパーティー単独で撃破した【竜の翼】となれば断る理由がなかった。
他の冒険者曰く──
剣士クロノスと魔術師メーリスが新人とは思えない鬼神の如き強力な攻撃を行い、あらゆる怪我を神の寵児たる僧侶ニクラがたちどころに癒す。
そしてその連携はまだ荒削りながらも大胆かつ慎重で、新人ながらも迷宮への畏怖と尊敬、何より一致団結して迷宮の深奥を目指す冒険心に溢れていることが窺える。
──というのが【竜の翼】の評判だった。
だけどいざ入ってみれば、その実態は噂とは大きく乖離しているものだった。
階層主との戦闘で大きなダメージを負い、再建途中なのは理解している。
今の時点で十分良いパーティーだし、現にリハビリとして行ったそこそこの難易度の第三十階層あたりまでは、私以外の三人による力技ですぐに突破できた。
問題なのはそれ以降の階層。
少し難しいことを要求される状況ではたちどころに連携が瓦解する。
今回の第三十五階層での迷宮潜ではなんとか全員生き残れたものの、地図の把握が杜撰だったために窮地に陥り、メーリスさんが怪我をして数週間は安静にしなければならなくなった。
「それで、これだもんね……」
目の前には大量の書類とメモ。
クロノスさん曰く、前任の人はあまり役に立たなかったから多くの雑用を買って出ていたみたいで、その辺りの整理をしてほしいらしい。
君には戦闘での役割もあるだろうし、負担が大きかったら俺たちでも分担するから、とも言ってくれた。
だけど、これはあまりに。
報告書、物資の運搬計画からパーティーハウスの補修計画、収支領収書、迷宮の計画管理。
それに全階層の地図にモンスターの特徴云々、これは、えっと論文? 趣味の領域だろうけど、使えるものと使えないものが大別されて置いてある。
まさか、前任者はこれを全部一人でやってたの?
こんなの四人で分け合って取り組むのが普通だ。
逆にリーダーのクロノスさんは何をしていたの?
パーティーの外には出ない地味な仕事、となれば、私が担うべきだった役目にも頭が回る。
クロノスさんは大雑把にみんなで分け合って楽にやっているからと言っていたが、それは誤解だ。
この時点では、思ったよりも仕事は多いかもしれない、程度に考えていた私だったが、それすら甘い認識だったことをあとで知ることになる。






